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熊本の敬豚愛麺な人々

文龍の背脂入りコッテリチャーシュー麺




開店後10分ですでに30人以上が並ぶ。

 この店の壁にどかんと掲げられた標語は、三冠王ヤクルト村上の母校・九州学院の校訓「敬天愛人」をもじったものらしい。
「すぐわかるんですよー。あー、ここのオーナーは九学だなーって」

白い靄のように見えるのは背脂。

 ちなみに、ぼくが熊本でお世話になっているこのNさんも九州学院出身。この校訓ならぬ店訓とも言うべき言葉、いいですね。材料へのリスペクトがラーメン愛へ昇華している。来るたびにNさんはいつも熊本の美味しい店に連れて行ってくれるが、この文龍には最初の来店から驚くことばかりだった。平日なのに、車で来る客が11時開店と同時にどっと押し寄せる。開店時刻より10分もすぎれば、もう2回り目。30人は並んでいる。アスファルトに足跡のマークが点々と連なり、店の入り口の手前で消えている。列の指示だ。客はその足跡に従って行儀良く並んでいる。ざっくり数えると店の軒先の遮光テントから外れているあたりからが30人目超え。最初に来た時は確か7月くらいで熊本の日差しは東京とは種類の違う強さというか激しさがあり、テントから外れたところで並んでいるのは辛かった。地元の人はと見ると平然と並んでいる。すぐに全身汗みずくになった。20分ほどで入店。右手奥に厨房、正面真ん中に箱型のカウンター席、左手手前から奥までテーブル席。テーブル席は4人掛け。トータルで同時に30人ほどが着席できる。接客スタッフは4人。客の捌きが良いうえ、親切で感じが良い。これだけの人気店になれば、もっと偉そうな態度をとる店も都内にはたくさんある。ふざけんなと思うが、文龍は何度来てもそんな不快な思いをしたことは一度もない。券売機で背脂入りコッテリチャーシュー麺を選んでチケットを買うと間もなく接客スタッフがきて、オーダーを確認しながらチケットの半券を残してもう半分を厨房口へ。それからすぐに着席。正面奥には高菜漬けと紅生姜を山盛りにした大皿が置いてあり、客はそこへ来て小皿に好きなだけそれらを取り分けていく。テーブルの上には直径20センチくらいのステンレスのボウルに茶色い味噌のようなものが置かれている。これはなんでしょうとNさんに聞くと「醤油にんにくです。臭いヤバいですよ」と笑い、すぐに「ラーメンに入れるとたまらなく美味しいですけどね」と付け足した。食べ終えたらすぐに空港まで送ってもらい、機上の人となるぼく。にんにくの臭いは隣席の人には絶対に迷惑で不快に違いない。当たり前だ。逃れられない場所でそんな臭いに1時間以上も晒されていたらたまらない。載せるべきではない魔性の薬味。ほどなくして着丼。一瞬目を疑った。丼の表面は全体にうっすら白い靄のようなものに覆われている。具材も麺もスープすら見えない。ひと口レンゲでスープを掬って飲み込んでそれが背脂だとわかるまでに少しだけ時間が必要だった。しかし、その濃厚なのに妙にさっぱりした矛盾ある味わいのスープの美味しさがすべてを払拭した。もっちりとした麺を夢中で啜り、スープの中に埋没していたチャーシューを拾い上げては口へ運んだ。麺は柔らかめ、チャーシューも適度な厚さで柔らかい。キクラゲやねぎが軽やかなアクセントを加えている。半量近く食べたときにふと見るとNさんが先ほどのにんにく醤油をスプーンで掬ってトッピングしている。思わず、あ、と声が出た。「私は飛行機に乗らないので」とNさんは悪戯っぽく笑った。

一番奥がにんにく醤油。その手前がねぎ増し用のねぎ(100円)。
脳天を撃ち抜かれたような衝撃的な美味しさだった。
禁断の薬味・しょうゆにんにくをついに入れてしまった。
中空構造になっている冷めにくい丼の中で麺が踊る。

 次の瞬間、ぼくはNさんがステンレスのボウルに戻したスプーンを取り、軽めに一杯にんにく醤油を掬い、自分の丼に投入した。沈んでいた麺を拾って溶け切る前のにんにく醤油に絡めて啜った。これは反則だ。具材も麺もスープも勝手気ままに上手に演奏していてそれで十分だと思ったのが浅はかだった。にんにく醤油はカラヤンや小澤征爾ばりの偉大な指揮者となってオーケストラをまとめ上げていたのだ。これは、大変な店に出会ったと思った。食後、まだまだ行列が続く店の外へ出て、脳の奥を撃ち抜かれたようにぼんやりとしてしまった。にんにくの臭いのことも、ねぎ増しにすればよかった、替え玉も欲しかったなどそんないろいろな気持ちが浮かんでは消えた。どうでもいいじゃないか。敬豚愛麺だ。大変な世界に触れてしまった。それは驚きと感動とともに、少しの悲しさもあった。なぜなら、これは東京では食べられないから。いいのだ、また熊本に来ればいい。それだけのことだ。大人だし、フリーランスだからね。

全汁の欲求を抑えてほんの気持ちだけスープを残した。


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