ジャンル別SF映画ベスト・TVシリーズ編

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 1999年、『SFマガジン』のSF映画特集に書いたもの。いろんな執筆者がいくつかのジャンルごとにベスト10を挙げるという趣向で、もちろん私はテレビドラマ担当だったのでした。
 ただし、これはあくまで「20世紀」のベスト10です。
 というのも、本文中でも言ってますが、基本的に私はテレビドラマに関しては特に「今が一番おもしろい」派なので、今、SFテレビドラマのベスト10を選ぶとしたら、以下のように、見事に2000年以降の作品が並びます。おかげで、本文中のリストとは一本もかぶってません(笑)。

21世紀SFTVシリーズ・ベスト10(2014年5月現在暫定)
・ドクター・フー(新)
・バトルスター・ギャラクティカ(新)
・スーパーナチュラル
・ヤング・スーパーマン
・ウォーキング・デッド
・ゲーム・オブ・スローンズ
・FRINGE/フリンジ
・PERSON of INTEREST 犯罪予知ユニット
・ユーリカ ~地図にない街~
・ヒーローズ/HEROES

 えー、上記のリスト中の個々の作品について紹介しようと思うと、新しい原稿を一本書くことになっちゃうので、ここは一つ、ビデオを借りたりオンデマンド配信で見たりして、皆さんの目でほんとにおもしろいかどうか、お確かめください。というわけで、以下、本文をどうぞ。

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SFTVシリーズ・ベスト10
・新スタートレック/ディープ・スペース・ナイン/ヴォイジャー
・バビロン5
・Xファイル
・バッフィ・ザ・バンパイアキラー
・新スーパーマン
・仮面ライダーBLACK
・ウルトラマンティガ
・テック・ウォー
・レッド・ドワーフ
・人類月に立つ

 上のリストを見て、「あれっ」と思われた方も多いかも知れない。なにせ八〇年代以降の作品しか含まれていないのだから。
 実は、今回の依頼を受けて一番困ったのが、六〇年代、七〇年代のTVシリーズ、つまり筆者が少年期に見た作品群をどう評価するかということだった。

 子どもの頃に好きだった作品を、大人になってから見直すと、あまりのことに呆然としてしまうのは、読者の皆さんにも覚えのある経験だろう。いや、ダメなところはわかってはいるが、それでも子どもの頃同様あの作品が好きなんだ。そうおっしゃる方もおられるかもしれない。実は筆者もその口ではある。
『スペース1999』とか『原潜シービュー号 海底科学作戦』とか、もう全然ダメなところが満載なのはわかっていても、それでもいまだに愛おしいし、TVで再放送されれば、つい見てしまう作品がいくつもあるのだ。
 だが、それが冷静な評価に基づいているのかと考えると、とてもそうは言えない。ましてや、ベスト一〇のリストを作るとなると、真っ当なリストを作れるかどうかまるで自信がない。そこで今回は、八〇年以前の作品をいっそばっさりと対象外に振り落としてリストを作ってみたという次第。

 ちなみに、逆にそういった昔懐かしい作品の中のみから選んだリストも作ってみたので、参考までに以下に記しておく。当たり前すぎておもしろくもなんともないリストなのは御容赦いただきたい。

懐かしのTVシリーズ・ベスト10
・宇宙大作戦
・プリズナーNo.6
・ウルトラセブン
・サンダーバード
・怪奇大作戦
・謎の円盤UFO
・インベーダー
・仮面ライダー
・スペース1999
・原潜シービュー号 海底科学作戦

 さて、これでようやく本論に入れる。
 筆者が上記のようなめんどくさいことを考えるようになったのにはちゃんと理由がある。 八〇年代末からこっちのアメリカTV界におけるSFブームで、『シークエスト』だ、『アース2』だ、『ダーク・スカイ』だ、『タイムコップ』だと、金ばかりかかっているわりに、内容がまるで伴わないSFドラマを山ほど見せられたからなのだ。

 これらの作品は、セットも特撮もTVサイズなりにきちんとしている。物語の設定自体も悪くはない。だが、とにかくお話がつまらない。脚本はザルのように穴だらけ。演出は平板で見るところがない。
 筆者はここ数年、ずっとこれらの作品を見てぼやき続けていたわけだが、あるとき「でもそれって、私の大好きな『宇宙大作戦』や『謎の円盤UFO』なんかのおおかたのエピソードにも言えることなんじゃないの」と、はたと思ってしまったのである。

 とすると、今リアルタイムで『シークエスト』や『ダーク・スカイ』を見て育ったSF少年が、二十年くらいしてから、SFドラマのベスト一〇を聞かれてこれらの作品名を答えることだってありそうなわけで、実に怖ろしかったりするのだが、それはさておき、この十年ほどのあいだのアメリカTV界で、ことほどさようにさまざまなダメ番組を含めた多数のSFドラマが次々に作り出されているのは、ひとえに『新スタートレック』の成功に負うものが大きい。

 アメリカのTVドラマは日本のそれとは違い、シリーズの長さがそのまま人気のバロメーターである。人気がなければシーズン途中だとなんだろうと打ち切られるし(最短だとだいたい四話くらいで切り捨てられる)、人気があるうちは何年だろうと製作が続けられていく。とはいえ、五年以上シリーズが継続する作品は、数多あるTVドラマの中でもそんなに多いものではない。
 そんな状況下で七年間放送され続けたということは、すなわち『新スタートレック』がどれほどの人気を誇っていたかを示すものだ。

 なにせ『新スタートレック』は、三シーズン全七十三話で幕を閉じた短命なオリジナルシリーズの『宇宙大作戦』と違い、七シーズン全百七十六話の長大な作品なのだ。
 その人気にあやかるべく、各TV局や番組制作会社が、SFものの企画に奔走し始めたのが、今のSFドラマ興隆の元というわけだ。
 もっとも、「柳の下のドジョウ」がそうそういるわけもなく、少数の例外を除いて、ほとんどのSFドラマが視聴率競争に敗れて消えていっているのだが。

『新スタートレック』の魅力は、その特撮にあるわけではない。八〇年代以降、アメリカのTVドラマ界を席巻した新しいストーリー作法をきちんと継承している物語作りにあるのだ。それは、『ヒルストリートブルース』、『LAロー』、『NYPDブルー』などの原作者兼プロデューサーであるスティーヴン・ボチコが築きあげた多人数ドラマの手法だ。
 かつての『宇宙大作戦』においては、レギュラーは七人いても、常にメインとなるのはカーク、スポック、マッコイの三人であり、主役はカーク一人だった。
 しかし『新スタートレック』は全く違う。艦長のピカードと副長のライカーは、カークとスポックのように二人揃って艦を離れたりしない。常にどちらかが艦上に残って後方から指揮を執る。
 物語の主役も、エピソードごとにバラバラだ。七人のレギュラーの誰もに、自分が主役となる回がある。自分が主役でない回は、ピカード艦長といえども、ほとんど出番がなかったりする。

 物語自体も、一つのエピソードに二つ以上のプロットが組み込まれていることも多い。
 プロットによっては、その回の最後できちんとした解決がつかないモノもあり、そのままになってしまうことも、しばらくたってから別のエピソードの伏線としてつながっていくこともある。
 これらの手法は、物語世界のリアリティを大きくアップしてくれるものだ。現実の世界では、物語の世界と違っていろんなことが同時に起こるし、それぞれに関係しあっており、そこにいる人々はすべてが自分の人生の主役である。決して、一人の主人公を中心に、一つずつの事件が順番に起こっては解決していくわけではない。そういったことを『新スタートレック』はSFドラマとしてはほとんど初めて、きちんと描こうとしたのである。

 もちろん、『新スタートレック』の魅力は、それだけではない。ときおり展開されるタイムパラドックスねたやヴァーチャルリアリティねたなどのトリッキーなエピソードのSF性の高さや、政治的なテーマを取り上げた際、安直なハッピーエンドを避けてみせる志の高さといった、物語そのもののおもしろさが反映されているのである。

 その『新スタートレック』のスピンオフとして同じ世界を舞台に全く違う登場人物たちの冒険を描いているのが、『スタートレック ディープ・スペース・ナイン』と『スタートレック ヴォイジャー』の二シリーズだ。
 アメリカでは先日、『新スタートレック』同様七シーズン全一七五話の長丁場が堂々完結した『ディープ・スペース・ナイン』は、『新スタートレック』の政治風刺劇的な部分をさらに拡大、中東情勢を思わせる辺境星系を舞台に、複雑な政治状況と戦乱の中、平和維持に奔走する人々の姿を描いている。舞台を現実の中東ではなく、スタートレックの世界に移し換えることで、宇宙連邦(=国連)の対応の政治的な曖昧さや、紛争当事者(カーデシア人=アラブ人、ベイジョー人=ユダヤ人)双方の問題点などをストレートに批判してのけている(しかも子どもたちも見ているTV番組で)点が痛快な作品。

 現在もまだ継続している唯一のスタートレック作品となった『ヴォイジャー』は、銀河系の反対側に吹き飛ばされてしまった航宙艦ヴォイジャーとその乗組員たちが、さまざまな冒険を繰り広げながら故郷を目指すという活劇色の強い作品で、『新スタートレック』や『ディープ・スペース・ナイン』に比べると、少し子どもっぽいところがあるが、そのぶん大らかかつ大胆にSF味を取り入れているところが楽しい。

 唯一宇宙を舞台にしたSFでスタトレ勢に対抗していたのが、これまた先日アメリカでは完結した『バビロン5』。プロデューサーであるJ・マイケル・ストラクジンスキーの執念(なにせ全110話中91話の脚本を本人が書いているわ、最初から物語の展開を五ヶ年計画と決めて、途中キー局が変わりながらも初志貫徹するわ)が実ったSF巨編だ。
 数世紀後の未来、人類が作った宇宙ステーションを舞台に、様々な異星人たちとのトラブル収拾を描いた『ディープ・スペース・ナイン』似のそこそこリアルな宇宙SFらしく始まっておきながら、異次元に潜んで世界に破滅をもたらそうと画策する謎の存在と、人類=異星人同盟軍との壮大な決戦を描く一大スペースオペラへと展開していったところが実におもしろかった。

 しかし、SFドラマがアメリカで隆盛を極めているといっても、結局宇宙ものはそんなにたくさん製作されているわけではない。セットだ、ミニチュアだ、コスチュームだと、やたらと金がかかるのが難点なのだ。
 というわけで、SFといえども現代を舞台にした作品がいきおい増えてしまうわけなのだが、そちらのジャンルでトップを独走し続けているのが、ご存じ『Xファイル』である。

 こちらはスタトレとはまるで逆。徹底的に古くさい路線で突っ走っている。つまり、少ないレギュラー、主人公の視点メイン、一エピソード一プロットといった基本構造に、オカルト、UFO、陰謀論がのっかっているという次第。SFだと思って見ていると、あまりのトンデモさに頭を抱えたくなってしまうが、ホラー(それもテクノフォビア丸出しの)だと思えば、いかにも現代らしい題材の選び方が微笑ましい。作っている側が全然信じてないがゆえのお遊びが満載なのも楽しい。

 しかし、ホラーといえば今一押しはなんといっても『バッフィ・ザ・バンパイアキラー』(ビデオ化タイトルは『ナイトフォール』)のTV版シリーズ。女子高生のバンパイアハンターが、吸血鬼や悪魔を相手に大活躍する学園アクションホラーだ。若者向けの他愛のなさが、逆に番組のカラーをシリアスにさせすぎずにバランスを保っているところがいい。ヒロインのバッフィも、映画版よりTV版のサラ・ミシェル・ゲラーのほうが芝居もうまいし断然かわいくて良し。

『新スーパーマン』、『仮面ライダーBLACK』、『ウルトラマンティガ』の三作品は、日米のスーパーヒーローを、それぞれ現代的にリメイクした佳作。ヒーローというものの原型は時代を超えて普遍的だが、それを物語として表現する際は、当然その時代を考慮したアレンジが要請される。上記の三作はそれぞれその要請にきちんと応えようとした姿勢を評価したい。

 などと徒然に書き進めてきたら、字数がなくなってしまったので、最後に『人類月に立つ』(ビデオ化タイトルは『フロム・ジ・アース』)について一言だけ。この作品は、アポロ計画の全容をドラマ化したドキュドラマであってSFではないのだが、その宇宙への憧れがこもったメッセージ性の高さ、そして脚本・演出・美術のレベルの高さは、とにかくスゴイの一言。宇宙SFファンは必見だ。

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