伝説は作られる ~乱れ飛ぶスタートレック回想録~

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 1999年、早川書房の『SFマガジン』に書いたもの。当時のスタトレ人気に加えて、シャトナーの回想録が売れに売れていたことから、かつての『宇宙大作戦』出演者たちの回想録が次々と出版され、舞台裏がどどっと世間に露出しちゃってたことを紹介しています。『ハリウッド・バビロン』ならぬ『スタトレ・バビロン』つうか(といっても、実際はそんなスキャンダラスなネタはたいしてないんですが)。
 ファンの中には「夢を壊す」といってこの手の話を嫌う人もいるけど、ドラマの製作現場の舞台裏って、興味のある人間にとっては、すごくおもしろいですよね。というか、みんな、実に人間くさくて「傍から見てる分には」おもしろい、と言いますか。

 アメリカと違って、日本じゃ(死んじゃった偉人の伝記以外、特に存命の人物の)自伝とか回想録とかってほんとに売れないので、ここで紹介した本も、結局レナード・ニモイのI Am Spockだけしか翻訳されませんでした(そういや、巻末解説は私が書いたんだっけ)。
 シャトナーの回想録、ゴーストライター(といっても、名前は明記されてますが)の人の腕が良いのか、シャトナーの話がうまいのか、やたらとおもしろいんですけどねえ。
 つか、ここに挙げてる本、全部買って読んでたんだから、当時の私はどんだけヒマだったんだか(苦笑)。ちなみに、本文中では、ウォルター・ケーニッグはまだ回想録出してないと書いてますが、このあと、彼もちゃんと回想録出しました。それどころか、第1シーズンのみのセミレギュラーだったランド甲板員役の女優さんまで回想録出したのにはさすがにまいりました。
 あと、ここでは言及してませんが、あのSF界のケンカ屋、ハーラン・エリスンが、自分が書いた『宇宙大作戦』のシナリオ「危険な過去への旅」を本として出版したとき、その長い前書きで、いかにロッデンベリイら現場スタッフがSFをわかってないか、滔々と語ってて、なんというか、ご本人の面目躍如というか、すごかったです(笑)。

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 大スターや人気作家たるもの、人気があればあるほど虚実入り交じった「伝説」と無縁ではいられない。映画やTVの人気番組もまたしかり。スタートレックも、その製作過程を巡ってさまざまな伝説がファンの間で流布されてきた。
 だが、一九九一年、スタートレックを生みだしたプロデューサー、ジーン・ロッデンベリーがその生涯を閉じるや、これまでの伝説や定説を覆すような証言の含まれたノンフィクションが次々と出版されるようになった。

 すべての皮切りとなったのはカーク艦長役のウィリアム・シャトナーがクリス・クレスキーと書いた"Star Trek Memories"(1993)だった。この本は、シャトナーによるスタートレックのオリジナル・シリーズ『宇宙大作戦』撮影時の回想録なのだが、ドラマ全体の作成状況を、多数の第三者へのインタビューを交え、自分が直接見聞きしていない部分まで含めて再構成してあるので、個人的な回想というよりも、番組そのもののメイキング的な正確が強い。それまで縁の下の力持ちとしてあまり名を知られていなかったシリーズ製作の立役者であるジーン・クーンの功績を讃えていたり、駄作だらけの第3シーズンのプロデューサーとして悪名高いフレッド・フライバーガーの弁護をしていたりと、興味深い内容も多かった。
 しかし、なんといってもこの本がアメリカのトレッキーの間で衝撃を呼んだのは、本の最後の方で、ウフーラ役のニシェール・ニコルスとロッデンベリイが一時期愛人関係にあったことを暴露したためだ。この件を含め、インタビューに際してオフレコを約束したはずの件を書かれたことと、ニュースソースとして自分の名を特定するような記述(特に、本人の発言の形のまま掲載すること)を避けることという約束を破ったとして、本書発行後、ニコルスと、ロッデンベリイの妻でもあるチャペル看護婦役のメージェル・バレットはシャトナーを激しく非難した。

 そして一九九四年。ほぼ同時に出た三冊の本、前述のシャトナーの回想録の続編"Star Trek Movie Memories"と、二種類のロッデンベリイの伝記(ジョエル・エンゲルの"Gene Roddenberry : The Myth and the Man Behind Star Trek"と、デイヴィッド・アレクサンダーの"Star Trek Creator")が、事態を加速した。
 それまで、スタートレックの生みの親として、ファンから絶大な人気と信頼、そして絶対的な評価を得ていた故ロッデンベリイに対する評価が、三冊の間で真っ二つに別れていたのである。

 ベストセラーとなった"Star Trek Memories"の後を受け、TVシリーズ終了後から(当時の)最新作『ジェネレーションズ』に出演するまでのあいだをシャトナーが綴った"Star Trek Movie Memories"は、前著に対してロッデンベリイ夫人であるバレットが批判してきたために逆に遠慮がなくなったのか、前著では希薄だったロッデンベリイ批判色が前面に出ている。
 TVシリーズ終了後、ロッデンベリイが、俳優たちに無断でTVシリーズのNG集を公開して金儲けをしていたことと、ニモイのために用意されたTVの企画からニモイをはずしたことで、スポック役のレナード・ニモイがロッデンベリイと激しく対立するようになったこと。映画化第一作では、脚本を巡ってロッデンベリイと、映画化で参入したハロルド・リビングストンが激しく対立、とうとうクランク・イン後も、双方の改訂が次々とスタジオに舞い込む大混乱が生じ、撮影が大幅に遅れたこと。第二作では、一作目より低予算で作るためにパラマウントが雇ったプロデューサーであるハーブ・ベネットと、元々のプロデューサーであるロッデンベリイが、スターフリートが軍隊かそうでないかと、スポックを殺すかどうかについて対立し、後者に関しては、公開前にファンに対して情報のリークがあって騒ぎとなり、ベネットらスタッフはロッデンベリイの仕業であると確信、結果として、ロッデンベリイは信用できない人物として現場から追い出されていったこと。これら、これまでファンの間では〈強欲で儲けのことしか考えていない映画会社〉が〈自作を愛する誠実なプロデューサー〉を抑えつけている、というような噂になっていた事柄に対して、当時のスタッフにインタビューしながら逐一異なった解釈を加えていたのだ。

 そして、ジョエル・エンゲルの書いたロッデンベリイの非公認伝記は、取材対象として俳優ではなく製作スタッフに焦点を当て(俳優で大きく取り上げられているのはロッデンベリイと対立し続けたニモイのみ)、シャトナーの著作よりもさらに激しくロッデンベリイの問題点をあげつらっていた。エンゲル版伝記とシャトナーの"STAR TREK MOVIE MEMORIES"を読んでいると、ロッデンベリイが映画会社重役、共同製作者、映画監督、脚本家といった、製作の根幹部分を扱う重要なスタッフたちと、映画化以降ことごとく対立していったことが判る。
 また、他の類書では取り上げられたことのない『新スタートレック』の製作スタート時のごたごた(第1シーズンの出来の悪さは誰もが認めている)についても、ロッデンベリイと第1シーズンの主要スタッフ(特にデイヴィッド・ジェロルドとD・C・フォンタナ)との確執が原因であったと明確に述べている。

 これらに対し、デイヴィッド・アレクサンダーによるロッデンベリイの伝記は、生前に本人が著者を選び、承認している公認のもの。
 ロッデンベリイ本人の書簡を山のように挿入して資料価値が高くなっているのは、さすがに公認伝記だけのことはあるのだが、シャトナーやエンゲルがスタッフからの証言としてその名前を明記した上で書き記した確執についてはほとんど明確な反論がないまま(何事もなかったかのように無視していることも多い)、従来のイメージ通りの偉大なロッデンベリイ像を描いているが、複数の人間から証言を取っている前二著を読んだあとでは、いかにも説得力が弱い。
 例えば、新スタートレックの製作における著作権の問題を巡って、デヴィッド・ジェロルド、D・C・フォンタナと訴訟沙汰になり、示談となって金を払った件では、エンゲル版はロッデンベリイ側が訴えを取り下げて相手の要求通り金を払ったのだからロッデンベリイの負けとしているのに対し、アレキサンダー版では相手は示談で金をもらって著作権の訴えを取り下げたのだからロッデンベリイに非はなかったとしている。どちらを信じるかは、読者の判断ということになるのだろうが、アレキサンダー版の言い訳はいかにも苦しい。

 ともあれ、どちらが正しいかは横に置くとしても、これらの書物によって、特に映画シリーズ化以降、製作サイド内でのロッデンベリイの嫌われ方だけははっきりしたわけだが、それではおさまらないのがロッデンベリイ・シンパの人々である。
 後を追うように続けて出版されたスールー役のジョージ・タケイの"To The Stars"(1994)、ウフーラ役のニシェール・ニコルスの"Beyond Uhura: Star Trek and Other Me"(1994)では、二人がロッデンベリイに対する尊敬の念を表明すると共に、いかにシャトナーが打ち解けないわがままな〈映画スター〉であるかを厳しい調子で書き立てた(ニコルスは自分とロッデンベリイのことをすっぱ抜かれているので、激怒していて当然ではある)。特にタケイが、『スタートレック2』の撮影中、スタジオに火事が発生したおり、シャトナーが撮影を中断させて現場に急行し、ホースで水をかけているところをマスコミの前で演じてみせたことをすっぱ抜くなど、シャトナーの自己顕示欲の強さを徹底的に批判している。
 ここに至って、製作サイドにおけるロッデンベリイの孤立と同様、俳優サイドにおけるシャトナーの孤立も浮きぼりになってきたわけである。

 その後も、スポック役のレナード・ニモイがかつて出版した回想録(タイトルがファンにショックを与え問題となった"I Am Not Spock")の後の人生を綴った"I Am Spock"(1995)を出版したり(なぜか、ニモイはシャトナーからも他のキャストからも評判がいいのだが、それもこの本を読めば納得できる。とにかく誰かが傷つくような話題には一切触れず、中立を保っているのだ)、スコッティ役のジェイムズ・ドゥーハンが作家のピーター・デイヴィッドとの共著で"Beam Me Up, Scotty : Star Trek's 'Scotty' - In His Own Words"(1996)を出版したり(実はこの人がシャトナー嫌いの最右翼)と、もはやメインキャストで沈黙を守っているのはマッコイ役のデフォレスト・ケリーとチェコフ役のウォルター・ケーニッグだけとなっている。

 ロッデンベリイが根気よく企画をあたため続けなければスタートレックはこの世に生まれなかったことは間違いのない事実だし、いまやシャトナー以外のジェイムズ・T・カークなど想像すべくもないのも事実だ。アクの強さも役者やプロデューサーの個性のうちと、見ているこちらは笑ってすませられるが、まあ一緒に仕事する方はたまったものではないというところか。ともあれ、この回想録ブーム、まだまだ続きそうな気配(今後はスタッフによるものも増えてきそう)であり、いよいよスタートレックを巡る伝説は、複雑怪奇な『薮の中』となっていきそうである。

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