友人たちへ
まず、個別に連絡したわけでもないのに、わざわざこのページを開いてくれた友達に感謝します。なんとなく気軽に会って、話したいのですが、ここ数年、決してネガティブだったり、気を病んでるわけではないんですが、どうも放熱と冷却を繰り返していて、あまり、なんとなくのような平常時が見つからず、たまに連絡くれる友達にもちゃんと対応出来てなかったので、そこは本当に、申し訳ないです。
小中高、大学、バイト、仕事、出会った場所や理由はバラバラにせよ、僕の友達の多くは、僕が演劇や音楽をやってる事は知ってると思います。でも何故、演劇や音楽をやってるか、何故、今もやってるのかを、僕は多分話してこなかったし、あまり聞かれないし、聞かれても「なんでだろうねえ」と、濁していたような気がします。ので、一思いにnote書き留めてみようかと。
学生時代の友達に関しては特に、お互い、もういい大人だし、今更、身の上話とか聞きたくない人もいて当然だと思いますので、ふと、そう感じたら今から読まずにブラウザを閉じても全然、大丈夫です。
僕がそれを知る由はないけれど、今ブラウザを閉じても、僕はあなたの事をずっと友達だと思ってます。本当に。
小学3年生の頃、母親に「あなたは狸寝入りが上手いから」という冗談みたいな理由で、参加したワークショップが演劇との出会いでした。
どれだけ、どこまでも、大きな声を出しても絶対に怒られないので、僕は演劇を好きになったんだと思います。
物語を描き始めたのは、小学5〜6年生の頃で、日頃のなんて事ない、自分が楽しむために広げた妄想でも、言葉にして、形を整えるだけで、たくさんの人と楽しいを共有できる事が嬉しくて、物語を書く事が好きになったんだと思います。
ハッピーエンドが思いつかない、もしくは分からない壁を乗り越えた時、現実に対する認識が拡張するような感覚に驚きながらも、作品数を重ねるたびにその壁が待っており、乗り越える度に、時を超えて、誰かと会話してるようで、楽しかったです。
物語を書く事という行動に対して、使命感を感じ、受け入れたきっかけは、まだ言葉に成り切ってないので、省略します。
音楽を作ることを覚えたのが高校生になってからで、当時のバンドメンバーがパソコンで作ってるのを見て、音楽は作れると言うことを知り、iPhoneの garage bandに手を出しました。
処女作は当時好きだったダブステップもどきで、今もSoundCloudに残ってます。
物語と違って、作ることに理由や意味や、作ることにおいての責任感などは、枝毛一本も、ありませんでして。なんなら、高校時代は、音楽を作り続ける事がすごく過酷に思えて、音楽だけは、絶対に仕事に出来ないと、強く痛感した時期がありました。けれど、当時からそんな感覚があったわけじゃ、なかったのですが、物語には無い余白が、有機的に、リズムやメロディが雄弁に語る感覚が、そこに、自分が今までこの世の全てのように執着してきた言葉や文書というモノが、まるで飾りのように散りばめられている様式美が、世界1好きでは無いけれど、日常から切り離せなくなっていきました。
自分で物語をあまり書かなくなったのは、色々思う事があるのですが、多分、音楽の影響だと思います。僕の中のトレンドというか、逆に、音楽が一旦、僕と脚本との距離を作ってくれたまであるので、高校の時、音楽に対して、「作れる」という感覚を知れて本当に良かったと、思います。
決してこの先、物語を書くことが無い訳ではないのですし、書けない訳ではないです。
意地じゃないです。アイデア帳の更新が止まることもなく、机に向かえば、全然書けます。
ええ、少し強がりました。日によりけりです。
ただ、書いてても、書き終わっても、何故か発表したい気持ちが湧いてこないんです。まあ、シンプルにアップデートが必要な時期なんだと思います。
一本だけ、「発表したい」ではなく「やっておきたい」脚本のアイデアが、一本だけあるので、年内に書き終えて、どこかで最低限の規模やろうかと考えてます。
どれも、人より上手いと思った事はあまり無かったんですが、安心感や、高揚感が、変えがたく、それだけの理由で向き合ってきました。
ただそれだけじゃ足りないモノが多く、そこは、なかなかに厄介な問題でした。なんなら、今なお、そこに関しては答えが見つかってません。
飢えに追いやられて見つけてきた理由では、安心感や、高揚感に並ぶことも、勝ることもありませんでした。
人から見れば、好きにやればいいのかも知れませんが、違和感を取り除かなければ、好きにやりようもなく、ゆえに、これからの事を考えれば、向き合わなくてはいけないんだと思います。
肺に溜まった溜め息を全て吐き出して、一点の曇りなく抱きしめたくても、ただ自分が抱きしめたいという気持ちだけで、行動に移してはいけない事と同じように、芸事は、制約と相関性が明瞭な世界で、視界に映ってしまえば、私たちはその道理からは逃れられないのです。多分。
若輩者ながら、それなりに長く「作る」という意識と向き合ってきて、ようやく、制約と相関性の中で、悩ましさや煩わしさと同じくらい、明瞭に分かった事があります。
おそらく、僕が作品に対して、「完成」という自覚を持つには、誰かの力を借りなければならない、という事です。
思いつき、走り出し、机に向かい、手を動かし、「完成」を意識する事は出来ても、自分一人で、何か一つを「完成」させる事は、おそらく叶わないのが、僕の宿命なのか、僕の持って生まれた構造なのか、もしくは人柄的の様なモノなのかもしれないと、最近思い始めてきました。
なので、潔く友人の力を借りて、近いうちにアルバムを完成させたりします。(頼む、友人。助けてくれ。)どこを目指す訳でもないのですが、強いていうなら、
与えられたものは、元あった場所に返上するのが常で、若さや才能、命もそうだと思います。
僕は多分、生涯をかけてこの才能を、綺麗に、塵一つ無くなるまで、きっちり使い切りたいんだと思います。自分が持ちうる才能が、どれほどのものかとかは関係なく、もちろん、この先の成長に対して消極的なわけでは全然ないのですが、人生を振り返って、最後、そう思えるのが本望だなあと、ふと思って、今なんとなく書いてます。
そのきっかけが、ずっと家で作ってた曲を、初めて人前で歌った、今回の『スネーク・オイル』でした。
OPのARIAは、今回のために書き下ろした曲ですが、ED曲のmy graceは去年の九月か、もっと前に作り、ほったらかしにしていた曲です。
人前で歌って見て、作った当初の意味合いが、今の自分の中で、大きく変化している事に気づきました。
このnote長くねえか?と、ふと思ってしまいました。書いてる側が、すみません。無理せず読んでください。もうすぐ終わります。僕も体力が切れてきました。
ライブがあまり好きじゃないので、音楽なんて部屋で聞くモノだと思ってました。少なくとも、自分が作りたい音楽はそういうモノだったし、どっちが優れてるかではなく、そればっかりは、ルーツなので。
ただ、歌ってみると案外、自分が愛した構造はそのままに、少し違う解釈にする事で、共有しうる気がしました。ので、近々、路上ライブでもやろうかと思います。
なんだか、話の行先がぼやけてきましたね。
まあ、簡単にいうと、my graceを人前で歌うのは、なかなか、勇気が入りました。やろうと思わせてくれたのは紛れもなく、脚本や、演出や、MELTメンバー、参加してくださった役者の皆様、制作スタッフの皆様、舞台美術の皆様、映像スタッフの皆様、照明スタッフの皆様、音響の清水、など。今回のスネークオイルに関わった方々のおかげです。本当にありがとうございました。
そう思えるモノが、この作品にはありました。
「スネーク・オイル」は今日から配信でも見れます。もし気になったら、見てもらえたら嬉しいです。
4k10bitですって、恐ろしい。
MELT#3 『スネーク・オイル』
◎あらすじ◎
魂の存在が科学的に証明された。すべての生き物が死後別の生命に転生することが前提となり、前世の履歴さえ鑑定できるようになった社会。
ある日、不審死を遂げた妻の身元引受人として呼び出された男は、死んだはずの妻が平気で動いたり喋ったりしている姿を目の当たりにする。魂だけが残された動く死体の妻と夫の共同生活には、腐臭が忍び寄る。そこに現れた感情に目覚しネコ型配膳ロボットは、人類の滅びを予言するー。
幽霊、ロボット、ネアンデルタール人、そして人間と流しそうめん。ヒトとヒトならざる者たちが繰り広げる、贋作・サピエンス全史。この茶番劇を目にしたあと、なぜかあなたは涙する。
○配信チケットフォーム○
なんでえ、最後に宣伝かよって思わせてしまったらごめんなさい。なんなら、公演のたびに個人にLINEする事に嫌気が差し、自己嫌悪にしかならなくなったのが、このnoteの発端だったりします。それから変化して変化して、こんな禍々しい文章になりました。
関わる事、良いモノだから見て欲しいのは、毎度本当だし。
MELTの作品は、僕が出せなかった答えを綺麗に出してて、おばちゃんの飴ぐらい配って歩きたいんですが、富豪ではないので。悔しい。なので、ここまで読ませてアレですが、あなたにとって気になるモノが、このスネーク・オイルに見つかったら、是非見てくれたら、一人の友人として嬉しいです。
友人へ
当たり前だけど、買わなくても、それで友達じゃないなんて思えないので、変わらずどうか、お互い気負わない範囲で、これからもどうか友人でいてください。
一つだけわがままを言うなら、もしもあなたの意に反しなければ、noteか、これを載せたSNS等に、いいねとか、してくれたら、今後の行先に、大事に持って行くので、意に反さなければ、いいねとか、してくれたら幸いです。
初めましての方へ
見ず知らずの人間の、こんな、はしたない文章をここまで読んでくれた方がもしいらっしゃるなら、それは本当にかけがえのない事です。
どう思われたかは、ちょっと想像がつきませんが、わがままかも知れませんが、良いきっかけに繋がる事を願います。
最後まで読んでくれてありがとうございました。僕は少し寝ます。身に受けた幸も不幸も、才能やバグも、若さと老いも、全て、綺麗に使い切れる事を願って。そして何より、友人達にささやかな安息がふと、おとづれる事を願って。
2024.3.30
酒井陽佑