夢を見たの
深夜0時。
少し開いた書斎の扉。
部屋の電気は点いていないが、薄い明かりが漏れている。
私はドアの隙間に体をくぐらせた。
父が一人、手に持ったスマートフォンに顔を照らされながら、真っ暗な部屋に座っている。
「夢を見たの」
彼のスマフォから音声が流れ出した。
「すごい、すごく怖い夢」
彼はじっとそれを聴いている。
文庫本が詰まった本棚を背に、私はその光景を見ていた。
彼は依然、スマフォと向き合ったままだ。
※
私は大学生の頃からYouTubeに動画をあげるようになった。
別段特異なものを載せるでもなく、私の普段の私生活を日々更新してみた。
何気なく見れるからなのか、もしくは私の平均より上の容姿(あくまで自己評価だが)がウケたのか、大学を卒業する頃にはチャンネル登録者数が20万人を超え、いわゆる一端のYouTuberの仲間入りを果たした。
収入もいつの間にか、20歳そこそこの娘が一般企業の課長クラスのものを得るように。
結果私は就職活動をしなかった。大学を卒業した後も引き続きYouTubeで生計を立てようと考えたからだ。
父とはそれでよく口論に。
ネットに対しマイナスなイメージしか持っていない頭の硬い父は、私のYouTube活動に全く理解を示さず、頭ごなしに否定した。
就職しないと切り出した時の激昂っぷりは今でも忘れられない。
殺されるんじゃないか?とさえ思った。
しかしながら、父の気持ちは分からなくも無いし、申し訳ない気持ちもある。
早くに母を亡くし、男手ひとつで一人娘の私を育ててくれた。
大学まで行かせてくれたのは、もちろん私をちゃんとした企業に就職させたかったからだ。
卒業後、家を出る選択肢はあったが、仲違いをしたまま父を1人にするのは気が引けた。
何より私は父が大好きで、仲直りしたかった。
しばらくは2人の間に冷戦のような空気が流れていたが、ある日の父の一言で二国は和解する事に。
「今日の動画、いつもより良かったぞ」
何の事を言っているか分からず、ふと彼に目をやった。
すると何年物かも分からないほど古いガラケーを使い続けていた父の手には、真新しいスマフォが握られていた。
ネット、SNSなどとは普段無縁の生活を送り、だからこそYouTubeを頭ごなしに否定した父。
きっと会社の若い人に頼んで、いろいろ教えてもらったのだろう。
慣れない手つきで私の動画を検索し、どの視聴者よりも優しい顔付きで見ているであろう父が、容易に想像できた。
涙が出そうになった。
こらえるのに必死で
「見ないでよ」
と、気持ちとは真逆の冷たすぎる返しをしてしまったことを、今でも後悔している。
その日から2人は以前のように会話するようになり、いつの間にか詳しい事なんか何も知らないくせに、父は編集にまで口出しするようになった。
「テロップは全体的にもう少し大きい方がいいんじゃないか?」
「テロップなんて言葉覚えたの?」
「あ、あとスカートは膝より上のものを履いたら、お父さんがBANするからな」
「はあ?まじで黙ってて」
毎日ケラケラ笑いながら2人は一緒に晩御飯を食べた。
それから数年。
※
ひと月以上前から、父は毎晩お酒と一緒にリビングに居座るようになった。
酔い潰れて、リビングの椅子で朝まで寝ている光景を見るのは珍しく無くなった。
そんな彼が、今夜は久しぶりにお酒も飲まず書斎に居る。
私は引き続き彼から少し離れた本棚の近くで、スマフォの液晶に照らされる彼の横顔を見ていた。
再び音声が流れ出す。
「どんな夢かって言うとね、お父さんが私の事を忘れちゃう夢。一緒に笑った事、一緒にご飯を食べた事、子供の頃一緒の布団で寝た事、私を本気で叱ってくれた事、ぜーんぶ忘れちゃう夢」
…。
「お母さんがさ、亡くなってから、お父さん本当に頑張ってくれたよね。今までひとつもしてこなかった家事も全部やってくれて。私ね、もう目玉焼きは焦げてないと物足りなくなっちゃった」
…。
「私が病気になって入院した時も毎日お見舞いに来てくれて。会社行ってお見舞いに来て病院で寝て、で、そのまま朝から会社に行って。お父さんの方が倒れちゃうんじゃないかって私心配したよ」
…。
「お酒、いっぱい飲んでるんでしょ?」
「…ごめん」
かすれるような声で彼が呟いた。
「今謝ったでしょ?」
「何で分かる?」
「お父さんはね、昔から私に頭が上がんなかったもん。すぐにごめんって言うの」
「…確かに」
「昔から私を甘やかしてばっかり」
「…そうだったな」
「ん〜唯一お父さんに怒られたのは、就職しないでYouTuberになるって言った時。あの時は殺されると思ったんだから」
「…ごめん」
「また謝ったでしょ?ほんと私に甘いな〜お父さんは」
彼の目から涙が溢れ出した。
「入院してからほんと暇なのにさ、体力的にYouTubeも更新できなくて。だからこれが入院してから初めての更新で、私の最後の動画になると思います。お父さんにだけの限定公開だよ?ありがたく思いなさい」
彼の口から嗚咽が漏れる。
「自分の身体は自分が1番良く分かる、ほんとよく言ったもんだよ。…私ね、もうそろそろって感じなんだ」
子供のように泣きじゃくる父。
「もしこの動画を今そのままお父さんに送ってさ、仮に私がまだこの後もしばらく大丈夫だった事を考えてみたの。照れくさすぎてお父さんに合わす顔がないんだ」
「…照れることなんかないだろ」
喉を詰まらせながら父が言う。
「だからこの動画はYouTubeを使って、お父さんだけの限定公開、さらに50日後の予約配信に設定するね。撮り終わった後にURL送っとくから、ちゃんと50日後忘れずに見るように。あ、そんな事今この動画で言っても仕方ないか。URLと一緒にメッセージも添えとく」
涙が止まる気配はない。
「ごめんね、病気、治せなくて」
「…ごめんな、助けてやれなくて」
「あ、今助けれなくてみたいな事言ってるでしょ?何言ってんの。お父さんはこれ以上ないぐらい頑張ってくれたよ。ありがとう」
「…ごめん」
「お酒、もう飲みすぎないって約束してくれる?」
「ごめん、約束する」
「よし。じゃあ最後に、お父さんと私が大好きな文庫本達の前に来て。家の中で私が1番好きな場所。私はきっとそこにいると思う」
父は立ち上がり、ぐしゃぐしゃの顔で本棚の前に。
『ひどい顔』
「そこに居るのか?」
『居るってば』
本棚にしがみ付き崩れ落ちる父。
そんな父にそっと寄り添う。
そろそろかな。
動画の私の声に合わせて彼に告げる。
『「大好きだよ、お父さん」』
間に合って良かった。
『じゃあ、私、いくね』
私が亡くなって、49日が過ぎた。
ーENDー