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長考

どれほどの時間が過ぎただろう。

彼が思考を始めた頃私たちを照らしていた太陽は、もうその姿を消した。

           ※

この仕事に就いてどれぐらいか。

まあ、ひと回り歳下の新人が入って来るぐらいの年月は優に過ぎた。

新人の頃、私の身体中から溢れていた向上心は枯れに枯れ、今や跡形もない。

ただこなす毎日。

おそらく今後結婚などもしないであろう私は、仕事に関してはこのまま変わり映えのない毎日を送る。安定はしてるしそれはそれで幸せか。なんて思っていた今日この頃。

そこに彼が現れた。

昼過ぎにフラッと入ってきた、見るからに寡黙そうな男。

歳の頃は四十を過ぎた辺りだろうか。

仕事の合間なのか、仕立ての良いスーツを着ている。

偶然私が彼を請け負う事に。

いつもの流れで相手を席に案内する。

私は一手目を彼に示した。

これもいつもの流れ、だったはず。

何か様子がおかしい。

違和感。

私はそっと目の端で彼の表情を覗いた。

真剣。

真剣以外の何物でもない。

出会ったばかりの人間、分かっているのはおよその年齢ぐらい。それでも彼が嘘偽りなく、今目の前で出された私の一手に誠心誠意取り組んでいる事が伝わってくる。

眉間に皺を寄せ、微かに「うぅぅ…」という唸り声まで。

瞬間、何かが私の身体を貫いた。

すぐにそれが、今までに感じたことのない快感だと理解する。

『こんなの初めて』

まさか自分の脳内に、このめちゃくそ恥ずかしいセリフがよぎる日が来るなんて。

過去何人もの老若男女と対峙してきたが、紛れも無く初めてだ。

私の一手一手に長考する人間。

知らなかった。

『あきらめない』

そんな単純な事が、こんなに嬉しいことなんて。

彼は一手に対し、最低でも10分以上の時間を割いている。

序盤、あまりに煮詰まっている彼に対し、

「変えますか?」

なんて言葉を掛けたことを、今となっては恥ずかしいし、後悔している。

私の問いに対し、

「…待ってください」

かすれるような苦しみに満ちた声を絞り出し、なお真剣に挑もうとする彼。

私の言葉掛けは、気遣いの皮を被った侮辱でしかなかった。

そんな軽はずみな発言、二度としてたまるか。

          ※

私が最後の一手を繰り出してから、50分が過ぎようとしている。

彼に聞こえないように、

「がんばれ」

と呟き、心で

「ありがとう」

と言った。

彼の口が動いた。

「うえ」

私は結果をメモし、凛として言う。

「じゃあ次は右目を隠してください」

再び、長い戦いが始まる。

ーENDー



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