泣いたのはベビーシッターの方

「居ない居な〜い、バァ〜」

「オンギャァ!」

「居ない居な〜い、バァ〜!」

「オンギャー!!オンギャー!!」

…向いてないんかな……

去年専門学校を卒業してすぐに、私はベビーシッターになった。
昔から子供が好きだったし、自分が一生続けられる仕事を考えた時、ベビーシッター以外に浮かぶものがなかったから。
先輩に付いての三ヶ月の研修期間を終え、ようやく独り立ちして一週間。
「一生続けられる仕事」早くもそんな思いは、グラつき始めていた。

一週間前から私がお客様のご自宅でお守りを担当させてもらっている、「林純(ハヤシジュン)くん」
今私の腕の中に居る1歳の男の子。
見るからに気品が良く上流階級のマダム、しかしながらそれをひけらかす感じは一切なく、私に対しても低姿勢で接してくれた奥様。
そんな林の奥様から生まれた純くんは、この世に生まれて365日そこそこだが、どこか風格を感じる。
そしてここだけの話、すでに私好みのイケメンだ。
そんな背景もあり気合十分に一日5時間のベビーシットを始めて、七日目…

本当に恥ずかしい話、まだこのイケメンを泣き止ましたことがない。

純くんはよく泣く。
イケメンの顔が涙で濡れる度、私は専門学校で学んだ持ちうる全ての技術を彼に注いだ。授業料を返してくれと言いたくなるほど、毎度結果は惨敗。
純くんはとてもよく泣く。
最近では、私の顔自体が純くんにとって泣くスイッチになっている、そんな気にすらなってきている始末。

「一生続けられる仕事」そう思った自分が今では他人に思える。

ヴー、ヴー、ヴー…

林家の仕立ての良いダイニングテーブルに置かせてもらっていた私のスマホが震え出した。
私の技術ではなく、泣き疲れて大人しくなった純くんを抱えたまま近づき、画面を見る。

「タケシ…」

専門学生時代、友人の紹介で付き合い出した7歳年上のタケシ。
これまた恥ずかしい話だが、彼はギャンブル狂の無職だ。
電話に出ないと、その程度で、怒る。
怒るとはつまり…言いにくいが、暴力を振るう。

「ごめん純くん、ちょっと待っとってね」

純くんに申し訳ない気持ちを抱きつつ、彼をそっとベビーベッドに寝かした。

「もしもしタケシ?ごめん今ちょっと仕事中…

…またお金?

なんで?昨日3万円貸したとこやないの。

…またギャンブル行ったん?

私だってもうお金無いの。

タケシ私の事、打ち出の小槌やなんかと勘違いしてんのと違う?

……周りの音うるさくてよく聞こえへん?

もしもし?…聞こえる?今これ聞こえてる?

やから…タケシ私の事、打ち出の小槌やなんかと勘違いしてんのと違う?

…ううん、打ち出。違う、打ち出。

うーちーで。う・ち・で!うーちーで!うーちー…もうええわ。
とにかく、タケシに貸せるお金なんか私もうないの…」

プー、プー、プー…

いつもの事だが、一方的に電話を切られた。

「オンギャァ!オンギャァ!」

「あ…ごめんね純くん」

電話を置き、再び彼をそっと胸に抱き抱えた。

「情けないとこ見せてもたね」

「オンギャァ!オンギャァ!」

「…彼な、昔はあんな人やなかったんよ」

「オンギャァ!オンギャァ!」

「出会った頃は優しくて、真面目な人やったんやけど…」

私はいつの間にかうなだれ目を瞑り、胸に抱えた20も歳の離れたイケメンに愚痴をこぼしていた。

……

泣き声が止んでいる。

そう気づくと同時に、自分の垂れた頭に、温かいものが触れた。

私は目を開けた。


「…頭…撫でてくれんの?」


目に映ったのは、まあるい綺麗な目で不思議そうに私を見つめ、
精一杯私の頭に手を伸ばす、純くん。


「純くん…こんな情けないお姉ちゃんの…頭撫でてくれんの?」


涙が溢れた。

溢れても溢れても、涙が止まらなくなった。


「…どっちが…面倒見てもらってるか分からんね」

屈託のない瞳が私を見つめる。

「純くん、これ、どっちが面倒見てもらってるか分からんね」

純くんの優しさに応える、そんなんじゃない。
頬が濡れてるくせに、私は自然とクシャクシャの笑顔になっていた。

純くんが笑った。

私の前では泣く事しかなかった純くんが、笑った。

その瞬間ハッとした。

「純くん、もしかして私も、初めて笑った?」

応えるように、惚れるしかない笑みをイケメンは返してきた。

またまた本当に恥ずかしい話だけれど、ずっと笑顔を忘れていた事に気付いた。

「ありがとう純くん。私、決心付いたわ」

私は笑顔の天使を抱えながら、電話をかけた。

「もしもし?

別れよ。

もうアンタの面倒、見てられへんわ」

ー終ー




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