石原岳堡塁
南島原ITキャンプ2023 の帰りに寄った 平面直角座標系I系原点のついでに寄ったのは、石原岳堡塁。
最初期のプランでは、33度展望台を訪れた後はそのまま長崎空港に向かうものでしたが、少し時間に余裕がありそうだったので、地図を見ながら何か面白いものを探しているうちに見つけたのが、ここでした。
明治時代の砲台跡
佐世保軍港を防衛するために1899(明治32)年に完成したもので、1929(昭和4)年には台帳から除籍されたということで、第二次世界大戦に関わったものではないようです。説明文には「クルップル式十センチカノン砲六門、鋼製九センチ臼砲四門、砲座数は七基」と書かれていました。今の私にはなんだか意味がわかりませんが、将来分かるときのために記録しておきます。
鬱蒼とした空気
人は誰もおらず、雨上がりのタイミングでの訪問だったこともあって、ぴたぴたと響くしずくの音が一層の不気味さを盛り上げます。結構本気で怖かった。
写真のような弧を描いた入り口のある石積みの部屋がいくつも並んでいます。砲撃を受けたときに避難できるようにでしょうか。
洞窟に入ることができる
他の「待機部屋」のように見える部屋とは別に、長い通路が奥まで繋がっている部屋があります。中に入ることができます。怖かったんですが、ここまで来て見ないで帰るわけにも行かないだろうと、中に入ってみました。
電気は20分で自動的に消えます。
長い通路が奥まで通じています。静かで怖い。
突き当たりが2手に分かれています。
階段を180度回るように上ると、部屋があります。こうもりが飛んでいて、怖い。ここで奥から人が出てきたら間違いなく悲鳴を上げていたと思います。
砲台跡
砲台跡は、平らに均された土の広場。どんな大きさのものがどう並んでいたのか私には全然イメージできませんでしたが、その土手の向こう側にある海に向かって監視をしていたのだろうなと想像しました。
砲台跡のすぐ脇にも両脇に1部屋ずつありました。安全な場所をきちんと用意するという思想を感じました。
最盛期にはどれくらいの人がここに詰めていたのでしょうね。
詳細はわからないことだらけですが、とても不安になる場所でした。遺構としてすごいものを見たという感覚ながらも、こういったものが必要でない世の中であって欲しいと願わずにはいられません。