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「手間のかかるおしゃれを子どもにさせる意味」を30年越しに考える

小さな頃の写真を見返すと「おしゃれさせてもらっていたんだなぁ」としみじみ思う。

たぶん3歳くらいの写真

両親ともにファッションやブランドが好きで、リビングルームのテーブルにはいつもPOPEYEやBRUTUSが置いてあった。
僕は保育園や小学校に通っているころからピンクハウスやカールヘルム、ヒステリックミニやアニエスベー、マーガレットハウエルを着せてもらっていた。
中高生のころには生意気ながらPRADAのショルダーバッグを下げ、HERMESのボールペンを使い、お小遣いを貯めてOMEGAのスピードマスターを買った。小物類は20年経った今も愛用している。
暇つぶしに雑誌をぱらぱらと眺めたり、両親の買いものについていったりしていると、自然とブランドものに特別な意味を感じるようになった。
ラグジュアリーブランドの術中にまんまとハマっているとも言えるが、後述するように良い側面もある。

BABY PINKHOUSEの重ね着

自分が親になって知ることになったが、子どもにおしゃれをさせるのはとても手間がかかる。
とにかくすぐに汚れるし、瞬く間にサイズアウトする。例えばサロペットは着脱させるのも手間がかかる。
今のように二次流通が発達していなかった当時はお金がかかって仕方なかったろうと思う。

僕がデザイナーになったのも、ファッションテックの事業に思い入れを持って取り組めているのも、両親の「お仕着せ」と無関係ではないと思う。
本当に感謝している。

保育園に通っている頃はヒステリックミニの "Mini-Chan" というキャラクターがドンと入ったトレーナーを着ていくのが、派手だしおしゃぶりしゃぶってるしで、僕は気が進まなかった。もっとストレートに言うと恥ずかしかった。
そんな僕が30年以上経って、自分の子どもにあろうことかヒスミニを着せている。とてもかわいい。

実子が着こなす件の "Mini-Chan"
ヒスミニのロンT
カールヘルムの柄シャツ

これも親になって分かったことなのだけど、子どもにおしゃれをさせてかわいい姿を愛でている時点で、親は手間も出費も回収できている。
いや、親の立場に立つまでもなく、自己満足なのは薄々勘づいていた。

その上で、我が子が20年後、30年後に写真を振り返って「小さなころからおしゃれさせてもらってたんだなぁ」と思ってくれたり、自然とファッションに思い入れを抱いてくれたりしたら嬉しいなと思う。
僕は親から受け取ったバトンを子どもに渡す。
知識でも金銭でもなく、文化というものはそういった「お仕着せ」で受け継がれたり、掻き捨てられたりしながら、ゆっくりと、確率的に発展していくものなのだと思う。

ファッションでなくとも、みなさんが親から受け取ったバトン、子どもに意識的に渡した方が良いんじゃないかというお仕着せバトンについて、思いを巡らせてみてほしい。


結果的に筆者が取り組むことになったファッションテックの事業については下記にまとめられています。
株式投資型クラファンにも取り組んでいるのでぜひご覧ください!

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