Instagramはアートを鑑賞する展示スペースとして適しているか?
Instagram上のLike数で上位100人のアーティストが選出されるアートイベント『100人10』に作品をエントリーしています。今日がその投票最終日です。
「すごく良い作品のLIKEが全然伸びていない。なんで??」「LIKE数が基準となると作品の良し悪しではなく人気を競うことになるので参加を見送った」という旨のツイートをちらほら見かけますが、この採点方式には賛否あるものと思います。
極端な話、100万人のフォロワーがついている人気タレントが参加すれば、余裕で通過してしまいます。
こういった問題を、アートコレクターでもあり、作家活動もしている身として考えます。
アーティストはSNSとどのように向き合うべきか?
一方で「人気」が作家としての成功を左右する側面があることは否めません。
人とのコミュニケーションを苦手とするアーティストが少なくない中で、個展で在廊中にお客さん全員に積極的に話しかけ、Instagramでのストーリー投稿等すべてにレスポンスするような、「営業ができるタイプのアーティスト」は万人にウケやすく、着実にファンを増やします。
作品も売れるため、収益を原資によりコストのかかる作品を制作したり、チーム体制を整えたりすることができます。
コレクターはそのように「将来に渡って伸びていく見通し」の立っているアーティストの作品は安心して購入することができます。投資目的でなくとも保有している作品の価値が上がると嬉しいものだし、いくら気に入っても人気がない(ように見える)作家さんから数十万円の作品を買うというのは勇気がいるものです。
もちろんSNSに頼らず、ギャラリーやアートメディアなどを経由してコレクターの目に留まるアーティストも珍しくはありません。
SNSのフォロワーが3桁でも、個展ではプレビューでほとんどの作品が売れてしまうような作家さんも目にします。
しかし席数が極めて限られた「作品制作だけで食べていける人」になる上で、よほどの意図がない限りあえて強力な武器を手放す手はないように感じます。
LIKE数を競わせる『100人10』が「SNS下手なアーティストが多い」という現状に投げかける側面を持つことは下記記事でも言及しています。
Instagramという展示スペースが持つディスアドバンテージとアドバンテージ
2022年の『100人10』には631作品が参加していて、公式Instagramアカウントで全作品を見ることができます。
僕を除く630人のエントリー作家さんの作品を眺めていて感じたことを2つ挙げます。
1つ目は「インスタは作品を鑑賞するのにはどうしようもなく向いていない」ということです。
例えば150cm×200cmの作品をスマートフォンの小さくフラットな画面で見るのと、実物を前にするのとでは作品に対する印象が驚くほど異なります。
アクリル作品には絵の具の凸凹があり、デジタルデータでは見て取れない三次元の深みも持っています。
これは明らかなデジタルのディスアドバンテージです。
2つ目は「作家さんの過去のフィードを遡って参照することでその人がどういったモチーフにこだわり、どんな表現技法を試して、何に可能性を感じて生きているのかが見えてくる」ということ。
この時間軸が生み出す情報の奥行きは、リアルな展示会場ではなかなか演出できるものではありません。当然ながらSNSから手を抜いている作家さんには、この厚みのあるプレゼンテーションが原理的にできません。
SNSには「分かりやすく短時間で感動を生むコンテンツが人気を得る」という軽薄な側面がありますが、その薄っぺらいものを丹念に塗り重ねていくことで地層や蒔絵や年輪やバームクーヘンめいたものが生み出されるのだとしたら、SNSはアーティストにとってプロモーションやCRM以上の意味を持ってくることになります。
個人的には今回のイベントを通していくつかの美しい地層やおいしいバームクーヘンを見つけることができて、彼ら彼女ら素晴らしいアーティストさんたちとコンタクトを取れたことも大きな収穫の1つです。
まとめ
SNSはアーティストにとって、アートの展示スペースとしては極めて不完全な一方で、視聴率を上げたり、既存のファンとコミュニケーションを取ったりする他、「人気がある状態」や「アーティストとしての過去の足跡」をプレゼンテーションするツールとしてワークしているように感じます。
鑑賞者としてもこの側面に目を向けて接することで、アート体験をより豊かなものにできるのではないかと思います。
最後に: 縁起や表層を問う、筆者のエントリー作品 "Exchange"
さて、先述の通り、アートコンペ『100人10』に私も参加しています。
最後にちょっとだけ作品について語らせてください。
「縁起」や「表層」みたいなものが良くも悪くも小さな頃から頭に引っかかっていて、今回の制作はそれを解きほぐすプロセスでもありました。
例えば母の実家がお寺なのですが、僕はどのような気持ちでお経を唱えたら良いものか、考えを巡らせても長らく収斂することはありませんでした。
まじないも生きものも、世代を重ねるうちに「水や空気や土や火」から削り出されてその輪郭を私たちの網膜や瞼の裏側に投げかけているものです。さらに世代を重ねればどうせ形を変えたり、消えてしまったりします。でもそれは僕個人の命よりずっと息の長い話です。
だから改めて解釈して向き合う必要があるのではないかと思いました。
ともに「愛」を象徴する桔梗とオシドリのカラーリングを交換したり、「逆さ福」のように狸の置物を吊るしたり、魔除けを担う鈴にヤドクガエルの模様を重ねたり、「交換や複合」を通して生き物の形態や役割、縁起の成り立ちを考える作品となっています。
それをInstagramのグリッドに押し込めることで、連作全体がフラクタルに問いを生成します。
ぜひ「いいな」と思っていただければ、LIKEでの応援をお願いします。