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アート思考とは?~クリスチャン・マークレー展で実践してみた~

はじめに

 デザイン思考とアート思考のどちらが今後役に立つのだろうか?日本では数年前からデザイン思考がバズワード的に人気だと思う。Googleトレンドで見てもデザイン思考(青はそこそこ、アート思考(赤)は0だった。
 デザイン思考にはそこそこ詳しいと思っているが、アート思考をほぼ知らなかったため本を読んでみた。アート思考の今後の重要性に気付いたので、読んでいる皆さんにも感じてもらえると嬉しい。

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「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考 https://www.amazon.co.jp/dp/B08491KV9Z/ref=cm_sw_r_cp_api_glt_JG69SPVAVEXPYAKVQ9Q2?_encoding=UTF8&psc=1

アートの変遷

まずは歴史から振り返ろう。

『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』byドイツのオットー・ビスマルク
意味は「愚かな者は経験からしか学ばない。しかし、これでは経験したことしか学べない。」

 私はアートが苦手だった、というのはただの言い訳だが、歴史を知ろうと思ったことが全く無かった。今回、本を読んでアートめちゃくちゃ面白い!とハマった。
 昔のアートはいかに本物のように表現するかが重視されていた。なぜならば、昔のアーティストはただの雇われアーティストだったからだ。貴族などのお金持ちが肖像画を描いてくれという依頼に対して遠近法などを用いて目で見えるのと全く同じように描くことが求められていた。
 しかし、カメラの登場でアーティストの存在価値が無くなった。だって本物をそのまま写せるカメラには人は勝てないからだ。時間的にもコスパ的にもカメラ一択だと思う。そうすると、アーティスト達はアートとは?と本質を考えるようになった。
 そこでピカソが変わった絵を描き始めた。何故あんなに不可解な絵を描くのだろうか?と誰でも思ったことがあると思う。あれは、遠近法では一面しか見えない、つまり1つの視点からしか見えていない絵になってしまう。そこで思い付いたのが多視点から絵を表現することだ。
 そこから更にアートとは視覚だけのものだろうか?美しさが必要なのだろうか?手間隙かけないといけないのだろうか?とデュジャンが『泉』という、そこらへんのトイレの便器にサインして展示しようとしたらしい。それを人が見ることで考えるようになった。アートが視覚から思考に変わった瞬間だ。
 ここで面白かったエクササイズ。みなさん、まず「窓を10秒見てください」、続いて「床を10秒見てください」何が見えましたか?窓を見ると、家にいる方はその先の空や雲が、電車だと風景や人に注意がいきませんでしたか?逆に床は床の傷やゴミが気になったりしませんでしたか?
 そう、絵も同じで私たちは絵を見ているのではなく、絵の中に描かれている具象物に目や思考が囚われてしまっていた。物質としての絵が窓のように見えてなかった。そこで何を描いているか分からない抽象物を描いた絵が生まれた。
 そしてアートとは絵や彫刻、建築だけなのか?カップラーメンの容れ物はアートと言えるのか?大量にコピーできるものはアートと認められないのだろうか?そこでウォーホルというアーティストが大量にコピーした箱、箱には日用品が模写されているものを展示した。別にたくさんコピーできようが、身近なものでもアートになり得るし、特に何も裏の意図はないと。アートの境界線がぶっ壊れた瞬間だったそう。

結局アートとは、

自分の興味、好奇心、疑問を皮切りに自分のものの見方で世界を見つめ探求して、自分なりの答えを生み出すことだ。

真のアーティストとは価値創出をする人だ、美しさも見た目も1点モノも関係ない。極めて探究して見つけた答えなら、ということらしい。

アートの楽しみ方

 私は今まで美術展に行っても、友人と写真を撮ることが目的になっていたり、アートよりも説明文に集中していたり、あまり何も考えずにいた。しかし、それは勿体ない!

まずは下記2つのどちらかの方法でアートと会話をしよう。
 ①見てどう思った?どこからそう思った?
 ②アートにはどんな特徴がある?そこからどう感じる?
アートは見る人とのやり取りから発展する。

自分なりの考えがまとまったら、次は作者と会話しよう。背景や説明文、評価からどう思った?別に自分の考えと違うことは問題ないし、正解・不正解という話ではない。なぜ音楽は各自が解釈するのがOKなのに、アートはダメだと思うんだろう。

クリスチャン・マークレー展

クリスチャン・マークレーとは、音を表現するアーティストである。とても面白かった。
 アート面白い!実践してみたい!ということで、早速開催中の美術展に行ってみた。人と行くとアートと会話を充分にできない可能性があるので、一人で行ってみた。控えめにいっても非常に充実して展示を楽しめたと思う。1つ1つの展示物に対して会話をしていった。

例をいくつか挙げる。
まずはこれ。どんな音が聞こえてきますか?

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1枚1枚のカードから聞こえてくることもあれば、全部まとめて聞こえてくる人もいると思う。真ん中(下から2つ目、右から2つ目)のカードは腕が交差しており、ピアノの下に寝転がっていることが想像できる。パーティーでみんなを楽しませるために独特な弾き方で楽しさを表現しているのかもしれないし、またはピアノの腕に相当自信があり他の人には絶対できないことを習得しようとして練習中なのかな?と間違えた音も聞こえてくる。

続いてこれ。レコードのカバーを音で表現している。

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 個人的には会話するのにとても時間が掛かったものだ。具象物と捉えるのであれば、雪の日に森の中で火事が起こり、黒煙がのぼっている。ただ、雪の日だったから不幸中の幸いで大火事には至らなかった、安心「ふ〜」という音を表現したのかな?と考えた。
 後輩に聞いてみたら抽象物として、感覚的に音を感じたと言っていた。人によって感じ方はそれぞれで良い。

最後にこれ。アメコミのような表現でコロナになってからの人々を色んな形で音で表現していた。

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これは私の状態に似ていると思って写真を撮った。コロナの中、みんな引きこもってお家時間をいかに楽しく過ごすか?を考えたりする人がいる中、必死に今だ!と勉強したり、新しいことに取り組んだり、逆に急ぎ足で歩いている感じが似ているなと感じた。びゅーん、さっ、せかせかと言った音が聞こえてくるようだ。

終わりに

 結局何が言いたかったかというと、VUCAな時代でスピードについて行こう、とリーンやアジャイル・デザイン思考が流行っているが、皆が始め出すことでメリットが受けれなくなってきている。時代の変化にすぐついて行くことも勿論大事だが、今後は自分なりの価値観を活かす方向にシフトしていくだろう、ということだ。つまり、たくさんの偏愛を持って自分なりの見方や答えを考えて、ビジネスに活かす時代が近づいてきているそう。既にビジネスマンが美術館に美意識(ただ美しいことではない)を鍛えに来ているそうだ。私たちも遅れを取らず、今やっているUXデザイン、デザイン思考だけに捉われず、視野を広げてアンテナ高く変化を察知しよう!個人の興味から自分なりのものの見方を探究して自分なりの答えを見つけることが求められる時代がすぐそこにやってきているよ!って話。


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