「ボヘミアン・ラプソディ」に寄せて。
今、話題のボヘミアン・ラプソディ。
世界一有名、ともいえるロックバンド「Queen」の物語を
描いた映画である。
まず、最初に断っておきたい。
Queen世代の方々には申し訳ないが、自分はQueen世代ではない。
Queenの曲、さらに洋楽というジャンルそのものをあまり聞いてこなかったし、洋楽は特に歌詞の意味が分からないから……と避けても来た。
Queenの曲で知ってるのは何? って言われたら、
ドンドンパン!で有名な「we are rock you(正しくはWe will rock you)」や、車のCMとかで使われる「バーイセコーバーイセコー」という曲くらい、という認識だった。
更に加えるなら、フレディのイメージは魁!クロマティ高校のフレディ、というもので、フレディ・マーキュリーという存在、ひいてはQueenという存在そのものを、無知以上の無知で捉えていたと言わざるを得ない。
「Queen? ああ、アメリカだかで有名な人たちだよね。確か?」
くらいの認識だったのだ。
では、その程度の認識だった自分がこの映画を見るに至ったのは、
職場の上司から勧められたからだ。
映画そのものは気にはなっていた。だが別にNetflixなりに入ってからでいいだろう。と考えていた。
だが、職場の上司に「これは絶対映画館で見るべきだ」と勧められたのだ。
普段、映画は一人ではいかない。舞台も、ライブもそうだ。
何故なら「共有できる」相手が欲しいからだ。
映画を見終わった後、エンドロールを終えて、退席する人々を見ながら、
簡単な感想戦がしたい、それだけの理由だ。
故に、今回も母を説得していった。
言語化できない感動。
衝撃だった。
曲はいくつか聞いたことがある、でもよくは知らない。
でも、何かが確かに自分の中に残るのだ。
違和感ではない、不快感でもない、感動だ。
それが何か、何がそれを導いているのか。
言語化しようとすればするほど、複雑になる。
感動した、以上に言葉を見つけられないのだ。
心が動かされた。それ以上の言葉がない。
映画の中で、フレディは家庭にも居場所がなさげで、
生まれや、外見、つまり生まれ持ったものそのものに
コンプレックスを抱えているように描かれている。
そんな彼が、スターダムをのし上がっていくなかで、
生まれる新たな孤独や、葛藤、そして決意。
つまりは、フレディ・マーキュリーの叙事詩だ。
この映画は、批評家たちにはあまり受け入れられてないと聞いていた。
見終わった後、なるほど確かにそうだろうな、と思った。
これは、彼らからすれば「ただの伝記」にすぎない。
フレディ・マーキュリーという男が生きて、そして死んだ。
その過程を描いただけに過ぎない。
彼らの目には、そう見えていたのではないだろうか。
だが、大衆の評価は異様に高かった。
映画の中の言葉を借りるとすれば「大衆法廷は違」ったのだ。
それこそ、実際のQueen達のように。
誰の物語なのか?
この映画は、正しくフレディ・マーキュリーの物語だ。
そして、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコン達、
そしてメアリー・オースティンやジム・ハットン、Mr.マイアミ・ビーチ、
フレディを取り巻く「Queen」そのものの物語だ。
何故、彼らの物語がこんなにも心を動かすのか。
それはこの映画が「私の物語」だからでもある、と感じている。
私の物語、とはどういうことなのか。
フレディは、映画の中で数多くの困難や、葛藤に見舞われてきた。
家庭への不満。
外見へのコンプレックス。
友人との決別。家族との決別。
孤独を紛らわそうとして、羽目を外す。
返ってこない返事。
返せなかった返事。
言葉にすると仰々しく見えるが、これらは誰だって
経験のあるもののように思う。
家族に対して言ってしまった事や、友達と喧嘩してしまうこと。
そこから取り返しがつかなくなって、後悔する。
誰でも、そういう経験のひとつふたつはあると思う。
そういったものが、スクリーンのフレディとシンクロする。
フレディが悩むように、我々も悩む。
フレディが抱えた孤独を、我々も抱えている。
スクリーンの中で、悩み、葛藤し、孤独を歌うフレディは、自分なのだ。
まさしく、この映画はフレディ・マーキュリー叙事詩であり、
Queen叙事詩であり、そして私の叙事詩でもあるのだ。
また、映画の言葉を借りるなら「詩はリスナーのもの」ということだろう。
だが、先に述べたように、この映画の感動は言語化できなかった。
「これは私の物語だからだ」というのが、正しいのかどうかはわからない。
何とかひねり出したものだ、と思っていただいて差支えない。
Queen、ライブ、そして猫。
この映画が素晴らしいのはそれだけではない。
フレディ役のレミ氏を始め、Queenを務めるそれぞれが、本当にQueenに見えるほど、役にのめり込んでいる。
LIVE AIDでのフレディの動きはまさに映像に残っているフレディだ。
LIVE AIDのコールアンドレスポンスのシーン、1秒にも満たないがフレディが左からの逆行を受け輝く所など、本物のフレディ・マーキュリーに見えた。
このあたりはきっと洋楽やQueenに詳しい人がもっと素晴らしい表現で
今後、表明していくだろう。
さて、この映画で素晴らしい点のもうひとつに、猫がある。
猫だ。ニャーニャーと鳴くモフモフである。
この映画ではニャーと鳴くことはないが、ところどころで猫が出てくる。
フレディは無類の猫好き、猫の奴隷にして猫の使いらしい。
そんな猫たちが、ゴロゴロと喉を鳴らす音が映画館の音響で聞ける。
そんな映画は滅多にない。
あんなに猫をしっかりと撮れている映画が他にあるか、といわれると、
岩合光昭の劇場版世界ネコ歩きくらいしか思いつかない。
この映画は、猫好きに向けた映画でもあるかもしれない。
最後に。
今日、この映画をもう一度見てきたところだ。
1回目の観劇から、毎晩Queenの公式MVを流して寝ている。
今まで知らなかった曲も、なんとなく聞いたことがある曲も、
今では全て知っている曲になってきた。
歌詞の意味は、まだわからない所が多いものもある。
それでも、Queenの曲は良い曲ばかりだ。と思う。
RADIO GAGAや地獄へ道連れ、キラー・クイーン、We will rock you。
どの曲も飽きない、見劣りしない曲ばかりだ。
名曲の中から、もしQueenを知らない人が見ていたら、というテイで、
1曲だけ紹介しておきたいと思う。
ショウを続けなくては、と歌う晩年のフレディの歌声を是非。