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健康な牛だからおいしいとは限らない

精肉の仕事をしてもうすぐ40年になります。不器用ながらも一つのことをやり続ければなんとかなるものです。さて、40年を前半後半に分けると、前半はとにかく忙しい中に身を置き、朝から晩まで肉を切るということを修行のようにやり続けていたように思います。外出した記憶すらないほどです。後半は、人との出会い、生産者や料理人との交流など、外に目を向けた20年だったように思います。このあたりのこと、少し触れてますのでONESTORYをご覧いただけると嬉しいです。

「生産者〇〇〇料理人」、「生産者〇〇〇消費者」料理雑誌やグルメ雑誌を見るとだいたいこんな感じ。〇〇〇は抜けている。〇〇〇というのは生産者から料理人へ食材が届くまでに関わっている人であり過程です。食材で大事なのは作る人であり、それを使う人であり、食べる人。でもね、今日食べた焼肉のロース1枚、たった1枚にどれだけの人が関わっているのか。わかっていても脳みそでの理解と体験ではまったく感じ方が違うと思うのです。だから〇〇〇を見てほしい、体験してほしいそのうえで今使っている食材と改めて向き合ってほしい。そんなふうに思うのです。

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さて、昨日は知人と牛の屠畜解体を見学するために滋賀食肉センターへ。〇〇〇の体験です。僕は数えきれないほど屠畜を見てきているので、案内してくれる職員の方も「どうしますか?行きますか?それともここで待ってますか」と。いったんは待ってますと言ったものの、いやまてよ、タベアルキスト、ライター、編集者の3名と現場を見ることなんて滅多にない、これは行かなきゃと帯同したのです。やはりというか、質問が多く予備知識の厚みを感じました。この人たちの貪欲さはすごい。

料理に関わる仕事をしている人って生産者が好きじゃないですか。こんな言い方をすると語弊があるかも知れませんが、本当に見なきゃいけないのは〇〇〇だと思うのです。もちろん種を蒔く人も、育てる人も大事ですよ。でもね、AからいきなりZじゃなく、B - C - D - E - F - G - H - I - J - K - L - M - N - O - P - Q - R - S - T - U - V - W - X - Y を見て体験したほうがいいんじゃないかな。

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牛を育てる人、運ぶ人、屠畜する人、検査する人、事務処理する人、掃除する人、包丁を作る人、機械を作る人、解体する人、精肉にする人、販売する人、料理する人、食べる人・・・あぁーきりがない。

僕が40年近くこの仕事をして感じたことは、牛が健康に育ったかどうかなんて牛を見ただけではわからないです。生産者は育て方やエサの自慢をする人が多いです。国産の飼料にこだってますとかね。でもね、それが健康に結びつくとは思えないです。良い牛になるのかそうじゃないのかなんて、割ってみて(屠畜して解体して枝肉にして精肉にして)はじめてわかるのです。もっと言えば屠畜の段階で内臓廃棄が多い牛がお世辞にも健康に育ったなんて言えないです。

もしかしたら増体して脂が多い牛でも健康な牛もいるかも知れません。だから、僕の仕事は内臓触って枝肉を目利きして、精肉にして健康に育ったのかそうじゃないのかを判断しています。でもね、不健康に育った牛だからおいしくないとも言えないのです。逆に健康に育ったからおいしいとも言えないのです。目の前の肉を見て触って、そして判断する経験値と技術がすべてです。

育て方とかエサとか、生産者のこだわりもわかりますよ。でもね、その牛の肉がおいしいかどうかは次の段階、つまり精肉店の仕事と料理する人の仕事次第だと思うのです。もちろん、味を追求した飼い方をしているのは百も承知です。しかしですよ、せっかく良い牛に仕上がっても、真空パックにしてドリップ出しすぎたりした肉は残念ながらおいしくない。

僕が思う牛肉の味は

『牛の品種×餌×育て方』×『熟成×保存』=牛の肉の味
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昨日、食肉センターで屠畜解体の現場を見ましたが、瑕疵が多かった。生産者はなんのために牛を飼っているのか。もちろん生活のためだが、そのための優先順位は?増体してサシを入れることなのか、それともおいしい肉を作るためなのか。生きた牛を見て、牛が殺されるところを見て、内臓を見て、枝肉になるまでの過程を見て、ようやく腑に落ちることがある。おいしい肉=健康じゃないんです。

だから〇〇〇を見てほしい。

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新保吉伸/Niiho Yoshinobu
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