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街と、暮らしと、ときどきサッカー 【前編】

栄町共同書店に参加している箱店主は、およそ70組。
並んでいる本を眺めてみると、どの棚も個性的で、それぞれのテーマやコンセプト、本に対するアプローチなど、さまざまな考えが伝わってきます。
箱店主の方々のパーソナリティやライフヒストリーを、もう一段、掘り下げてみたい──そんな思いつきから、この「箱店主インタビュー」の企画が始まりました。記念すべき第1回は、「F.C.OITO★BOOKS」の小林さんと、「沖縄歴史倶楽部」の前田さんの対談形式でお届けします。
じつはこのお2人、熱狂的なサッカーファンという共通点があるのです。


対談者】

F.C.OITO★BOOKS/小林雅宣さん(60代男性。大阪府出身・大阪府在住)

沖縄歴史倶楽部/前田勇樹さん(30代男性。福岡県出身・沖縄県在住)


前田 ぼく、福岡出身なので、ホークスファンなんですよね……。

小林 あ、そうなんですか! ぼくは大阪なんで、南海のときから応援してます(笑)。今年(2024年)は球場で優勝決定の瞬間を見ました。オリックスとの大阪での最終戦。「これで決まるやろ!」と思って、外野席取っといたんですよ。

──今日は延々と、野球やサッカーの話をしていただいてもいいかなと思ってますけど(笑)。もともとは前田さんが「F.C.OITO★BOOKS」の棚をご覧になって、箱店主の小林さんにインタビューしたいとおっしゃっていて。ちょうど小林さんが沖縄にいらっしゃるタイミングで、なかば強引に対談をお願いしました。お二人とも熱狂的なサッカーファンですよね。この日のために、前田さんはわざわざリヴァプールFCのユニフォームを着てきたという。小林さんもF.C.OITOのTシャツを着ていますね。

前田 そもそも、F.C.OITOというのは……?

小林 ぼく、いちおうは勤め人なんですけど、ほとんど道楽みたいなかたちで、お店をやってまして。その名前がF.C.OITO。たとえば、旅行が趣味という人たちいますでしょ? ぼくはF.C.OITOの運営が趣味(笑)。

前田 セレッソ大阪のサポーターなんですよね?

小林 そうそう。セレッソのホームスタジアムが「ヨドコウ桜スタジアム」っていうんですけど、そのすぐ目のまえに空き物件があって。サポーターからしたら、好立地じゃないですか。それで、お金もないのに借りてしまった。最初はね、まわりの仲間に「誰かが店やればええんちゃう?」とか言ってたのに、結局、自分がやることになった。ぼくは本が好きやったんでね、ほんで、サッカーの本をちょっと並べてみて、そこからサポーター同士、いろんな話ができたらええかなと。だいたい、月に8回くらい開けてます。ホントは10回くらい開けたいけど。

──F.C.OITOというのは、どういう意味なんですか?

小林 「OITO」っていうのは、ポルトガル語で「8」ということ。セレッソの場合、エースナンバーが「8番」なんですよ。ぼくらサポーターからしたら、めっちゃ特別な数字。森島寛晃、香川真司、清武弘嗣、柿谷曜一朗……、もうね、8番はレジェンドの背番号。そこから採りました。

──小林さんは、生まれも育ちも大阪?

小林 大阪です。大阪府下を転々としてます。出身は東大阪。布施ってところ。東には生駒山を臨み、西に行くと生野とか天王寺とか。西隣に今里という町があって、そこは昔、今里新地という花街だったんですよ。でね、うちの親父の親父のそのまた親父が……と辿っていくと、そこで女郎屋をやってたという話がある。こどものころも長屋暮らしで、だから、どっちかというと下町。ヤクザもおったし。銭湯行くと、近所のヤクザがいて、「おっちゃん、触らして!」って言いながら、刺青に触ってた記憶がありますよ。

──前田さんのお生まれはどちらですか?

前田 福岡ですね。中学・高校・大学と福岡で育ちました。23歳のときに琉球大学の大学院に進学して、それ以降はずっと沖縄です。

──前田さんは琉球沖縄史を専門とする研究者で、人気(!?)のYouTubeチャンネル「沖縄歴史倶楽部」のメンバーでもあります。編著『つながる沖縄近現代史 沖縄のいまを考えるための十五章と二十のコラム』(ボーダーインク)も話題になりました。沖縄の歴史研究というか、そもそも沖縄に興味をもったきっかけは何だったんでしょう。

前田 わが家はミーハーで、『ちゅらさん』とか『ナビィの恋』とか、1990年代以降の「沖縄ブーム」に、もろに乗っかっちゃって。たとえば、父がザ・ブームのCDを聴いたり、母がゴーヤーチャンプルーを作ったり。たまたま近所に三線教室もあったりして、子供心に「この音楽はなんなんだろう」と感じたこともありました。

小林 たぶん、前田さんのご両親は、ぼくと同世代くらいやと思います。「飲んで、騒いで、海行って!」みたいな、いわゆる明るめな観光イメージ。

前田 小林さんは、どういうきっかけで沖縄に興味を持たれたんですか。

小林 沖縄を舞台にした『網走番外地 南国の対決』(石井輝男監督、1966年)という映画があって。高倉健主演の。……というのは冗談。決定的なのは、高校のとき、学校で映画鑑賞会があって、そこで見た『太陽の子 てだのふあ』(浦山桐郎監督、1980年)ですね。原作は灰谷健次郎の児童文学。ぼくらが住んでいる大阪や兵庫といった関西と、沖縄とのつながりっていうのは、なんとなくは感じていたけど、この映画ではそれがけっこうリアルに描かれていて……。ショックでしたねえ。原点がそこやから、逆に、観光イメージや沖縄ブームで言うところの「沖縄」には、全然入っていけなかったし、沖縄に行くこと自体、心理的なハードルがあった。沖縄の土を踏んだのも、ほんま最近ですからね。いちばん最初に向かったのは八重山諸島の波照間島。なぜかというと、『太陽の子 てだのふあ』の主人公である、ふうちゃんという女の子、その子のお父さんが波照間出身なんですよ。ついでに原作も読み返してね。

──「沖縄ブーム」以前にあったような「沖縄に向き合う意識」というのは、いまのような情勢だと、ちょっと想像しづらいところがあるかもしれません。観光産業や消費文化、メディアで喧伝されるテンプレートな「沖縄」というものが強力にあって、「それ以外」というものがなかなかイメージしにくい。

小林 大阪だとね、沖縄の人との接点って、ちょこちょこあるんですよ。

──大正区とか?

小林 まあ、大正区もそうですけど。こどものころに住んでた吹田のあたりでも、野球教えてくれたのが、島袋さんっていうおっちゃんでね。ぼくら、団地に住んでたんですが、島袋さんは団地の1階で何でも屋さんみたいなことやってはって。ただ、大阪にいる沖縄の人って、「沖縄問題」がどうとか「基地問題」がこうとか、そういう話は、会話のなかで、まったく出てこない。ぼく、40歳のころにお好み焼き屋を始めて、それから15年近く、店やってた時期があって、あるとき、沖縄出身の子がバイトに入ったんですね。嘉手納高校出身というから、「基地のあるとこやな?」ってふってみたら、「はあ、そうですけど、それが何か?」みたいな感じで、ポンッとはねのけられてしまった。拒絶ってほどではなかったけど、でも、そのとき、「あ、これは話題にしてはいけないことなのか……」と感じました。1年半ほど働いてくれてたけど、そのあいだ、基地の話はひとことも出ませんでしたね。

──うーん、それがどういうことなのかは、本人じゃないとわからないですよね。本島中部の場合、米軍基地があるのが「あたりまえの風景」になっているから、それに対して、どうにも反応しようがなかったのか。それとも、政治的なイシューというものは、往々にしてめんどうくさい展開になるから、触れたくなかったのか。あるいは、とくに何も考えてなかったのか。

小林 カラオケでBEGINの「オジー自慢のオリオンビール」は教えてもらいましたけどね。まあ、いろんな要素がありつつ、ぼくの場合、沖縄に興味をもったというのは、そういう感じです。西由良さん主宰のコラムプロジェクト「あなたの沖縄」ってありますよね。あれも興味深く拝見してるんです。地元の方もおるし、県外の方もおるし、視点がひとつじゃないところが、おもしろくて。若い人たちが、それぞれの立場で、沖縄の歴史とか現状、日常のなかの違和感を、自分の感覚や立ち位置から記している。

前田 たとえば、さっきの「基地問題」のことを絡めていうと、たしかに米軍基地が「あたりまえの風景」になってしまっていて、そのぶん「違和感」を感じることが少ない……というような感覚は、ゼミの後輩からも耳にしたことがあるんですよ。ただ、いざ立ち止まってみたときに、ふと「やっぱりいまの状況って、どこかおかしいんじゃない?」「いやいやいや、これって絶対変だよね!」みたいな違和感に、どこかでぶち当たることがある。ですから、西さんたちがやっていることって、それをできる範囲で言語化しようとする動きだと思うんですよね。ところで、小林さんが栄町共同書店に参加しようと思った理由は何だったんですか。

小林 これはたまたま。寝ようと思って、布団入って、なんとなくスマホでfacebook開いたら、クラウドファンディングの案内がちょうど出てきて。

前田 へえ~。

小林 そのまえに、うちの近所の商店街にふつうの本屋さんがあって、そちらが一箱古本市やってはったんですよ。そこに参加してたという経験もあって。残念ながら、その一箱古本市は終わってしまったんですけど、けっこうおもしろかったもんだから、機会があれば、おなじようなことを、どこかでやってみたいなあと。そんなことを思っていたら、「沖縄で箱店主? 申し込まな!」となって。でも、空きがどんどん埋まっていくみたいで、けっこう焦ってしまった。ろくにクラファンの説明も読まず、「とりあえず参加!」みたいなかたちでしたね、申し込んだときは。

前田 つまり「参加してから考える」と(笑)。

小林 そうそう。ほんまにそう。だってねえ、それでウン十万円も取られるわけじゃないし。むしろ、こういうふうに、沖縄に来るときの「場所」にもなりますし、こうやって、いろんな方とお話する機会もできますし。まあ、大阪という遠隔地なんで、そんな積極的にはアレコレできませんけど。

前田 F.C.OITO★BOOKSさんの箱は、大きなテーマとして「サッカー」という軸がありますよね。

──ひと目でわかると同時に、並んでいるサッカー本のセレクトが尋常じゃないので、「この人、熱狂的なサッカーファンだよね」と即座に思いました。

前田 でも、それ以外の本も、ちらほら置いてあるじゃないですか。たとえば、大阪関係の本が並んでいたりする。「こういうものを重点的に置いていきたい」「こんな本を並べていきたい」という方向性があれば、ちょっとお聞きしたいです。

小林 さっき言いましたけど、55歳くらいまで、お好み焼き屋やってまして。それを閉めたあと、5年くらいですかね、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で仕事してたんです。そうはいっても、それまで「難民問題」について、なんも知らなくて。それから自分なりに勉強していって、仕事と並行しながら、ミャンマー支援の団体や、中村哲さんが設立された「ペシャワール会」に寄付したりして。そういう感じやったから、社会問題や国際問題にまつわる本も置いてます。ただね、そういう本ばかり並べてしまうと、「引かれちゃう」というところもありますし、そもそも、栄町共同書店に、どういう人たちが来るのかも、全然わからなかったし。だから、なんとなくバランスを考えながら、まあ、メインはサッカー本を並べていこうかなと。

前田 岸政彦さんの『街の人生』もありますね。

小林 「やっぱり沖縄に行こう! いや、行かなあかん!」と思ったきっかけが、岸さんの『はじめての沖縄』だったからなんですよ。

前田 いい本ですよね。

小林 けっこうね、わけのわからない本でもある(笑)。いうたら「ナイチャー」としての葛藤を、ただただ喋りまくってるだけの本。「沖縄」でぶつかる壁とか、「沖縄」から距離をおかれてしまう感覚とか……。本の中にヒリヒリしたもんがあって、それがすっごく自分とリンクした。ぼく、なんども読み返しましたからね。それにね、「葛藤」しかなくて、「答え」はいっさい書かれてない。

──あの本は岸さんが撮ったスナップショットが、ものすごくいいんですよね。ぼくの場合、変な話、写真を見て、「この人は信用できる」と思いました(笑)。

(中編につづく)


2024年12月16日、栄町共同書店にて
構成:栄町共同書店取材部・大城譲司
イラスト:栄町労働者協同組合・Nata

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