「林檎とポラロイド」
2022年6月某日
「林檎とポラロイド」
監督:クリストス・ニク
どこの国の映画かをチェックし忘れて観はじめたとき、
英語でも仏語でもなかったときの、
あれ?何語?この景色どこだろ?
って考えながら観る時間すきです。
とりあえずジングルベルと白鳥の湖は世界共通らしい。笑
前半はずっと、
何もない空間の事が気になっていて。
自分の持ち物がいっぱいあれば、
何かしら思い出せそうなのになぁとおもう。
流行りのミニマリストは、
記憶喪失になった人みたいだなぁとか思ったりしつつ。
記憶がないってことは、
心が空っぽになるのかしら?想像つかない。
とあれこれ考えながら観てた。
映画は面白いか?小説は?
音楽はどのジャンルでも楽しいか?
ご飯は何を食べたいか、
几帳面なのか、綺麗好きか?
痛みや恐怖心はある?
恐れって経験で増幅すると思うけど…
記憶がないと、どうなんだろうと。
とにかく果てしなく孤独になりそうだ。
だって「懐かしい」が無いなんて!
私なんて「懐かしい」だけを食べて生きているようなもんだ!
と思って観てたのだけど…
動物は好きなんだ…え?
途中からグッと話が変わっていった様な気にさせられたし、
主人公の顔が変わった気がしたのだけど、
それって観ているこっちが勝手に読み取った妄想の変化だろうか?
と思うほどに繊細な、
ものがたりの曲がり角が何度か訪れた。
この間観た「誰かの花」と、
この「林檎とポラロイド」は、
私に喪の時間をくれた気がする。
コロナ禍のバタバタの中で家族を見送り、
その後もあれこれと、
悲しんだり落ち込んだりする暇がなかった。
故人はきっと勝手に成仏したと思うけど、
成仏してないのは私の喪の気持ちだったかもしれないなー。
たまたまこの2作に続けて会えて、
なんだか、
あ、みんなそうか。
と思って、
安心した。
この作品、タイトルと要約では何を描いたものか想像が付かず、
ずっと観るかどうしよか悩んでたのだけど
(遠いとか時間とか色々の事情で)
がんばって観に行って正解だった。
この監督がこれからハリウッドへ?
ハリウッドすか?👀
#林檎とポラロイド
#クリストスニク
#アリスセルヴェタリス
そこはかとなくPLAN75の事も思い出した☺︎