人生が変わる瞬間。
自分が食の世界に進む原点であった浪人時代。
それは自分の人生に大きな影響をあたえた人物と出会った時でもあった。
人生の棚卸を行うと、自分の人生にとってかけがえのない人物が、何度となく自分の人生に影響を与えていることに気付かせてくれる。
今回、電通を辞め、お菓子屋になることを決断した自分だが、振り返ってみると、自分が電通に入りたいと思うきっかけを作ってくれた人物と浪人時代に出会っていた。
自分が通っていた予備校は、高校時代の同級生が一人もいない予備校であったため、基本的に午前中は一人で授業を受け、午後からはオムライスを巻く日々を続けていた。
ある日、予備校地下1階の休憩所で、コーヒーを飲みながら、午後からのアルバイトに備えていると、クラスで見かけたことのある男子がコーヒーを買っていた。
どこか暗い感じの生徒が多い予備校にはめずらしく、彼は顔立ちが整っていてさわやかで、でもちょっと背が低くて、予備校で友達のいない私は友達になるならあいつだなと思っていた人だった。
実は私に狙われていることなど知らない彼は自動販売機から、カップのホットコーヒーを取ろうとしたのだが、慣れていないのか、カップの中央部を握ってしまい、その熱さに驚き、せっかく買ったコーヒーをほとんどこぼしてしまう。。
しかし、そのほとんどこぼれてカップにはほぼ残っていないコーヒーを、彼は何もなかったかのように足を組んでかっこつけて飲んでいた。
コーヒーをこぼしてもさわやかだった。
大半がこぼれてしまったことを知らない人が見たら、かっこいいとさえ思ってしまう姿だった。
でも彼をよくよく見ると、こぼれたコーヒーがズボンにかかってしまっていて、そのシミがバレないように組んだ足を微妙に動かして隠していた。
一部始終を見ていた私は、その姿に思わず吹き出しそうになり、その笑いをごまかすのも含めて、「大丈夫?(笑)」と彼に声をかけた。
(この時はまさかその彼が自分のその後の人生に大きく影響を与える人間になるとは思ってみなかった。)
コーヒーをこぼしてもかっこいい彼は「うん。大丈夫。(照笑)」と返答してくれた。
コーヒーをこぼした彼と同じクラスであることや志望大学のことなど話をした。
彼は自習室に行くようだったが、私はこの後、オムライスのバイトがあることを告げ、彼と別れた。
その日もいつものようにオムライスを巻いていると、自習終わりの彼が店に来てくれた。コック服を着てアルバイトをしている姿を、知り合いに見られたのはそれが初めてだったので、少し恥ずかしかったが、わざわざ店に来てくれたことはとてもうれしかった。
次の日から、予備校での授業はコーヒーの彼と一緒に受けることになった。
ランチも彼と食べるようになった。
彼はよく寝坊してきたので、私は教室の入り口の近くで授業はちゃんと聞こえるが先生からは見えにくいほど良い場所に彼の席を確保するようにしていた。
授業が終わると彼は自習室へ、私はオムライスを巻きに行った。
ある日、授業の休憩時間に、彼がコーヒーをこぼした休憩スペースで、今回は適量が入ったカップコーヒーを飲みながら二人で話しているとき、大学に行ってどうするかという話になった。
私は、実家を継ぐために大学に行かねばならないということや、せっかく大学に行くなら実家を継ぐ前にスポーツライターとかやりたいとか、まるで小学生が言いそうなレベルの「将来の夢」を恥ずかしげもなく語った。
コーヒーの彼に、「なんか決めてんの?」と聞いた。
彼は、
「俺は芸人になる。芸人になるために大学行くねん。」
と言った。(つづく)
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