サイン本を買う理由
本屋で、作家のサインが入った本が売っていることがある。「サイン本」というやつだ。私は、ほしいと思っていた本の中にサイン本があると、比較的買いがちである。サイン本は冊数が少ないのでそれをめがけて本屋に行くことはないが、あれば「ラッキーだなあ」くらいに思ってカゴに入れている。
信用していないわけではないが、サインの入った本を眺めていると「書いた人が本当にいるんだ」と作家の存在を実感できる。私には何かを創作する力や日常をおもしろく綴るセンスはないから、なにが一体どうなってこの文章が紡がれているのかと、なんとなく疑っているフシがあるのだと思う。だから、直筆のサインを見るとつい「書いた人が本当にいたんだ」と思ってしまう。しかも何度サイン本を買っても、「へー」と何度もその存在を実感する。出来上がったその本を、一度作家本人が手に持ってサインを書いて閉じる。ただそれだけで遥か遠くにいるフワフワとした存在が輪郭をもった気がしてくる。
じゃあサイン会なんて最高に楽しいでしょう?と思うかもしれないが、それは苦手だ。若い頃はそれでも好きな作家のトークイベントなんかに行っていたが、最後にだいたい行われるサイン会で何か話しかけないといけないような気がしてくるし、それならとっておきの言葉をとか意気込んでしまうし、そうは言っても数多いる読者の一人でしかないのだから、サインに加えて署名(名前をいれてもらえたりする)が入ったとしても、なんだか近づきすぎてしまったような気がして後味がすっきりしないことが多かった。だから、やめた。イベントに行く時間的余裕がなくなったのもあるし、つきあいできている関係者や知り合い同士の内輪っぽい雰囲気を見かけたりするのも好きではなかった。
本棚に置いてあるサイン本を、他の本と一緒にガサッとカゴに入れて普通にレジに並ぶ。家に帰って開いたときに「おおーほんとにサイン入ってる」なんて一人でよろこぶ。そういう距離感が好きである。