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アルテイシアさんの本を読んで思い出すこと

学校や遊びから帰って家に入る時に「ただいま」と言わなくなったのはたしか小4くらいの時。一緒に住んでいる両親のことを「お父さん」「お母さん」と呼ばなくなったのもこの頃だったと思う。どちらも、なんとなく言わなくなったのではなく、意識的にやめたのだった。折り合いの悪い両親に対して「ここは私の家ではない」「あなたは私の家族ではない」と子供なりに抵抗していたつもりだった。

はじめて「家族」と呼べる人ができたのは、結婚してからで、なによりも義両親の存在が大きい。義母は本当に気遣いの人でいつも気にかけてくれ、義父は物静かな人だ。二人はそれぞれにマイペースだけど仲が良く、何よりも口うるさいことを言わない。価値観を押しつけてくることもない。人の噂話や悪口を言わない。自慢話や辛かった思い出話もしない。そういう人たちのいる義実家に遊びに行くと、実実家でもしない居眠りをリビングでしてしまうくらい信用している。親ガチャは外したけれど義両親ガチャはハズレじゃなかった。夫とケンカをして3日間口をきかなくても、どうしようもなく頭に来て家を飛び出しても、「離婚じゃ」と指定の届を叩きつけなかったのは、このアタリを手放したくなかったから。結婚相手は自分で選べるけど、義両親までは選べない。自分との相性は完全に運だ。だから、今のところは夫一家がくれる優しさを頼りに結婚を続けられている。

人のツラい話や愚痴を聞くのが苦手なので、自分と親との間に起きたことを詳しく語ることはしないけれど、私は気がついた頃にはすでに、自己肯定感がほぼゼロで、ずっとずっと「消えてなくなりたい」「生まれたという事実から消し去りたい」と自分の存在自体を呪っているような子どもだった。

10代の頃は、人の顔色ばかり伺って行動する癖がつき、自分の好みや本心を言えず、本屋に並んでいる中谷彰宏の「いい女」のハウツー本みたいなのをコソコソと立ち読みして「この町を出て東京で成り上がる」と息巻いていた。20代前半の頃は、一人暮らしで手に入れた自由を持て余し、遊びと仕事と人間関係で消耗した。自分以外の人がみんな幸せそうに見えて、くだらないマウンティングばかりしていた。「若いっていい」と言う人もいるし、若い頃の思い出が輝いているのは素晴らしいことだと思うけれども、私はもう戻りたくない。自分も周りも大切にできなかったことを今でも悔やんでいるし、傷つけた人たちへの抱えきれないほどの申し訳なさもある。

いろいろな親の呪縛から解き放たれるようになったのは、20代後半になってからだ。なんとなく、もういいやと思って「親と仲が悪い」ことを隠さなくなった。平気で人に言えるようになった。「年取るって悪くない」と一人テンションが上がった。

大きなきっかけは、何かの理由でした母親との電話だった。どういう言葉だったのかはっきりとは思い出せないけれど、世間話のなかで「結婚しないのか」と聞かれて、頭が爆発した、ような気がした。怒りでどうにかなりそうだった。子供の頃「結婚は地獄」「結婚したら終わり」「結婚はしないほうがいい」と散々私に愚痴った結果がこれか。ああこの人は暇なのだ。だから人のライフイベントで暇つぶしがしたいのだ。ひどい、ひどいなあ、と呆然とした。

それからは完全に吹っ切れ、それまで多少は持っていた歩み寄ろうという感情を完全に捨てた。苦しさは完全に消えないけれど、せめて楽しく暮らそうと思った。

結婚してからは、前述のように義両親とうまくやれていることで、さらに吹っ切れたし自信もついた。名字が変わることはいろいろ面倒だけれど、それでも、私にとっては名前も呪いのようなものだったので、別の名字を名乗れることで「もうこの家の人間じゃないんで」と思えるようになった。

極めつけは占いだった。気にする癖があるので雑誌の星占いとかは意識的に見ないことにしているが、お店などで占ってもらうのは好きだ。知りたいことを教えてくれるし、目の前で自分だけに話してくれるので、言葉を選んで話してくれる。で、たまにショッピングセンターの占い屋さんなどに行くのだが、そこで私の生年月日を見て「あれ?親と仲悪い?」と聞いてきた占い師の人がいたのだ。その人曰く、「そういう(親とうまくいかない)星だから、なるべく関わらないほうがいい」とのこと。「星ならしょうがない」と今まで悩んでいたことがくだらなくなり、それからはもう自分の人生だけを生きることにした。時折メールが来たり、年に一度、2時間くらい食事を共にする必要があったりするのでそういう時は今でも情緒が荒れるけれども、それ以外の時間は大切な人や自分のために使いたいと思っている。

そうはいっても、親に言われた言葉や受けた行動のダメージが完全に消えるわけではない。怒鳴られたことにより今でも大きな声は苦手だし、貧乏だったから食べ物への執着はすごいし、お金を稼いでいる人間が偉いシステムだったので仕事への執着もすごい。自己責任システムでもあったので自分へのプレッシャーに押しつぶされそうになる。自分を労ることが下手。そして何より、親を許すことができない。少し丸くなったからといって許したり認めたりしてしまったら、必死に耐えたあの頃の自分を否定することになる。色々わかる年齢になったので同情はするけれども、許すことはしない。人を嫌いでいつづけるのは、結構疲れる。

だから、アルテイシアさんの文章にいつも勇気づけられているのだ。

間違ったことに怒っていい。我慢しなくていい。親と無理に仲良くしなくていい。毒親育ちは自分だけじゃない。愛想笑いしなくていい。人の人生や選択や生活に口を出さない。容姿差別にも性差別にもNOと言っていい。

中学生の頃、兄にはない制約がたくさんあって、生まれた性別を呪っていた。男の子になりたくて髪をとことん短くしたら、全然似合わなくて親に笑われた。夏祭りのとき、巻き方なんて知らないくせに、胸にさらしをぐるぐる巻いて甚兵衛を着た。でも、結局私は孤独なままで、誰にも苦しみを吐き出せず、世界は何も変わらなかった。「もしタイムマシンがあったら」なんていう話にはあまり興味がないけれど、もし過去の自分に会えたら、こっそりアルテイシアさんの本を枕元に積んであげたいと思う。

私が子どもの頃よりはさすがにマシになっていると思うが、今でもジェンダーロールの呪いはキツい。めちゃくちゃキツい。一応「男女平等」の教育を受けたつもりでいたが、結婚・出産・育児のライフイベントはいまだにジェンダーの檻がとてつもなくて、金槌で頭を殴られるような衝撃が何度も走る。普通に生活しているだけなのに、まるで砂漠の中を今にも倒れそうになりながらよろよろと歩いている、そんなイメージが頭から離れない。

ネットなんかでセクハラや性差別で苦しい思いをしている人を見かけると、私はいつも申し訳なくなる。「セクハラをかわすのも仕事のうち」という上司の言葉を真に受けていたこと。取引先の愚痴をニコニコと聞いていたこと。就職の面接での「出産しても働けますか?」という質問の違和感に気づけなかったこと。それらの全てが若い人(男女問わず)を苦しめている原因のひとつになってしまっているかもしれないと思うと、やりきれなくなるのだ。当時はそうしないと生きていけなかったし、そういうものだと思ってもいたから仕方ないとも言えるかもしれないけれど、それでもこれからを生きる人のことを考えると胸が締め付けられてしまう。

生きるうえでの喜びも抱える地獄も人の数だけあって、人間には生まれも育ちも顔も身体もどうにもならないものが山ほどある。だからこれからは、理想とされる役割や誰かが決めた価値観にとらわれずに生きていいのだと、そう思わせられる大人でいたいと思う。アルテイシアさんの文章は、日々のノイズをたたっ切るためのガソリンだ。女の子は愛想良く。若いっていいよね。そうはいっても家族だから。やっぱ結婚はいいよ。ではなく、つまんない話にニコニコする必要はないよ。加齢も悪くないよ。毒にやられそうになったら戦わなくていいからダッシュで逃げてね。結婚?恋愛?したければすればいいし興味ないならしなくてもいいんじゃない。いくつになってもそう思える大人でいるために、心の支えとして日々ゲラゲラと笑いながら読んでいる。いろんな「らしさ」に疲れたたくさんの人にもどうか届いていますように、と願いながら。


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