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当たって砕けて海外文学

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海外文学の積読にひたすら体当たりしてどこまで小さな石ころになれるか試しています。
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#おすすめ本

いつだってそばにいる:ミヒャエル・エンデ『モモ』

私は読書は体験だと思っているし、子供時代ならなおさらだ。 子供の頃に夢中で読んだ本はいくつもあるのに、思い出せるのは当時の自分の熱狂ぶりばかりで、ではどんな話だったかとなると途端にぼんやりとしてくる。下手をするとタイトルだって怪しくなってくる。 先日も、小学校の時に大好きで何度も図書館から借りていた本の名前を思い出したくて、覚えている表紙のイメージと断片的なタイトルと内容だけで必死で調べた。記憶にあるのは、緑色の表紙で、「○○おばさん」というタイトルで、翻訳物で、子供の問

かけ離れているようでそうではない

アゴタ・クリストフの『悪童日記』を読んだ。そしてちょっと、もうちょっと知りたいなと思って『文盲』も読んだ。でも、もう少し、もう少しと思ってしまい、図書館で『昨日』と『どちらでもいい』を借りた。ちなみに『ふたりの証拠』と『第三の嘘』のことはうっかり忘れていた。 本当は書評とか論考とか、そういうものもあった方がいいかと思って手に取りかけたけど、それを読んだら絶対に引っ張られる自信があるのであえてやめた。訳者のあとがきと文庫解説だけ。それだけにした。 格好つけていえば、多様な解

それはいつかの青春の

読みました。『スタンド・バイ・ミー』(スティーブン・キング、新潮文庫)。 途中の、知らないカタカナの固有名詞が立て続けに出てくるあたりで「これだ、これだよ、これが外国小説の苦手なところなんだ」とクラクラしたりとか、「○○なのさ」みたいなアメリカ文学特有(だと私は思っているが私だけだろう)の訳に気持ちが置いて行かれそうになったが、いや、でもやっぱりいい小説なのだと思う。 思う、とぼんやりした表現になってしまうのは、細部とか構造とかまで深く読み込めていないからなのだけれど(と