踵を鳴らしますか?
「ねえ、社交ダンス、やりたくない?」
——やりたい。
わたしは体育こそ五段階評価の「二」だったが、踊るのは大好きだった。じっとしていられない、体が動いてしまう、というタイプである。どんくさいのに。
さも「名案でしょ」という顔をして声をかけてきたのは同じ学科の友人で矢田という。一度社会に出てから大学に入り直した彼女は、年下の我々に違和感なくなじんでいる一方で、常にどことなくエキセントリックな空気をうっすら放っていた。
「Y橋の近くにさ、ダンススタジオがあって。四人集めたらグループレッスンにしてくれるんだって。学生だと安くしてくれるらしいし」
このあたりでY橋といえば、魚を中心とした食材を扱う市場で有名な場所である。そんなところに社交ダンスなんて華やかなアクティビティが存在しているとは知らなかったが、まあ市場にスタジオがあって悪いわけもない。
などとぼんやり思っているうちに、矢田はあと二人の勧誘に成功し、明日には四人でダンスシューズを買いにいくことになっていた。
我ながらどんくさいわりに、食べるのは早い。いち早く海鮮丼を平らげたわたしは、こんなのがあるよ、と矢田がおしえてくれたサイトを眺めていた。
ダンスシューズとは、その名の通りダンス用の靴のことだ。ラテンダンス用なんかだと爪先の空いたハイヒールのサンダル型を履くらしいが、昨日まで社交ダンスと何の関係もなかった我々は汎用性の高そうな普通のパンプス型を買うことにしていた。ヒールもそんなに高くない。つらつらと画像を流し見ていると、ラメがきらきら光る赤いシューズが目に入る。
「これいいな。オズの魔法使いみたいで」
映画「オズの魔法使い」で主人公のドロシーが履く魔法のルビーの靴。子供っぽい連想ではあるけれど、ダンスという非日常の空間なら、おおっぴらに口にしてもなんだか許されるような気がした。
残念ながら、買いに行った店舗にはルビーの靴はなかった。そのかわりに、落ち着いたシルバーのシューズがセールになっている。普通の靴よりもだいぶ軽く、内側はクッションがふかふかに効いていて、気持ち良さそう。やわらかく銀色の光を反射するシューズに足をいれると
全てが消えた。
矢田も、あとの二人も、シューズの店も。はるか遠くに何かが光った気がする。足元には黄色いレンガを敷き詰めた道が前方にどこまでも続いている。目に痛い。
映画しか見ていないわたしには知る由もなかったが、原作の『オズの魔法使い』でドロシーが履くのはルビーではなく銀の靴だった。