回転するコルク
第一座右の銘!
壁にいくつも取り付けられた拡声器から響く号令に続いて、ホイッスルの音が耳を突く。
ホイッスルの音って、硬い「ピーーーー」のなかに少しの「ふぃー」と、かすかな「るるるる……」のニュアンスがあるよな、あれは笛の中で回転するコルクの動きがつくる音なんだろうなあ。
なんてことを考えながら、首をかくんと右に倒す。そのまま左腕を横に伸ばして肘を九十度曲げ、手を下に垂らしたら、手首をぐるぐる回す。膝も曲げてみようかと思ったけれど、もう少し待ってもいいかもしれない。それとなく周りを伺うと、みなそれぞれに体を動かしていた。うつ伏せになって縮こまり、右腕と左足を交互に伸ばしている者、曲げた腰の左右に手の甲をつけて、片足立ちになる者、特殊な鍛錬を積んだのだろう、手足がからまったような妙な体勢で蠢いている者……緑色のリノリウムの床が遥か彼方まで広がる部屋に、等間隔で配置された無数わたしたち。中央には塔がそびえ、ガラス張りの最上階からは監視役がこちらを見下ろしているという。
大切なことは、ときに言葉にならない。座右の銘だってそのはずで、自分を構成する核となるものは心の動きとその発露である体の動きによって表現されるべきなのだ。なのだが。
第二座右の銘!
第一と第二の違いは、移動だ。心の内から自然と湧き出る動きをなめらかに、あるいはぎこちなくつなげて、どこかに向かう。壊れた機械のようにかくかくと歩く者もあれば、鮮やかな側転をくりかえす者もいる。
左手首をぐるぐる回しながら、意識は自分のなかの奥深くにわけいっていく。きっとあるはずだ、自分にとって大切な、核となる歩み、歩みでなくてもいいけれど、ここではないどこかを指すベクトルと、それを実行する動きが。第一のカーテンをくぐり、第二のカーテンをくぐって、第三のカーテンをめくり、心の底を目指して潜る……
からっぽ
なにもない。どれだけ探っても、わたしには核などない。カーテンと思っていたのは玉ねぎの皮で、むいてもむいてもそれは皮でしかなく、最後にはなにもなくなってしまうのだった。まわりの者はとりどりの動きを繰り広げながら思うままに飛んだり跳ねたり滑ったり這ったりして明後日の方向に動いていたが、徐々に、壁に並ぶ無数の出口へ近づいてくようだった。あわてて、でもあわてていると見えないように、私は右足を振り上げ、体を右に九十度ターンして足を下ろしてみる。
なにもないと知られてはならない。
からっぽの腹を抱えながら、にせの確信を込めた動きをくりかえして進むのだが、どの出口もあまりにも遠い。気づけばみなほとんどいなくなっており、そのせいで広大な空間がより広く見える。残っている者もいまにもどこかの出口に吸い込まれそうだ。
空虚な存在だと思われてはならない。
ぽんぽん、と肩を叩かれて振り向くと、首の上に頭のかわりに満月を乗せた男が立っていた。