トロッコ問題の別解
彼は数学オタク。昨年まで、学生講師が担当していた生徒である。個別塾の授業は、和気藹々と愉快な雰囲気で進む。高校数学の基礎知識と標準的な解法を習得させた。
受験学年になり、担当が変わる。意外に思われるかもしれない。受け持ってからの私は、ホワイトボードに問題を解いてみせたことが一度もないのだ。
私は、彼のレベルに見合う問題を提示する。簡単過ぎたら時間のムダ。数学センスが充分に伸ばせる、適度な良問をタイミングよく。ベテラン講師の仕事は、そこにある。
もちろん、解法の見通しが立たない時、どう発想すればよいか、彼の思考プロセスに合わせて誘導する。親切過ぎたら鍛えられない。一般論では、個性と齟齬をきたす。
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とはいえ、国立大学志望の彼。共通テストで国語は必須となる。しかし、なかなか手をつけない。数学と比べ、興味が湧かないのだ。
残り半年──
記述問題もこなせるなら、東京大学を受けられるかもしれない。もしくは東京工業大学。東工大の二次試験には国語がない。関東では理系受験生の見極めどころだ。
さて、どうしたものか。
模擬試験の現代文を解き直す。トロッコ問題で、最大多数の最大幸福について語る文脈。一人を犠牲にするか五人が犠牲となるか。
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君はどうする。問題と離れ、考えてもらう。想像力が機能するよう、ヒントを投げ掛けていく。興味も引き出せたらよいのだが。
私の授業では、スマホも使ってよい。調べたことを題材にする。ググってわからないことは、ディスカッションである。
「先生。ネットでもう一つの答え、バズってます。レバーを中立にすれば、トロッコが脱線して、誰も犠牲にならないそうです」
『あはは~面白いね。もちろん、キミもわかるだろうけど、本質からは外れてる。でも、角度を変えて見るなら、数学の別解に等しい取り組みかもしれないよ』
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私は、生徒の得意と苦手分野を結びつける。得意なことで楽しむ時、誰もが自分に合う最高の学習法を使う。無意識のうちに。
私の授業は、生徒が好きなことを語る空間と化す。生徒にとって、心地よい場所であるよう演出するのが、私の得意かもしれない。
好きなことを語り出すと、無口な生徒も途端に雄弁となる。口調は大人びていく。在り方を見直せたのだ。
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『根本から角度を変えてみよう。別解だ』
「うーん。よくわかりません」
『え。なんて言ったの?』
「そっか。いつもおっしゃる在り方ですね」
『よろしい。そうだよ。在り方さ。変えようって言われたら、スッと変わっていい。わかりません、なんて遠慮しないことだ』
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私たちは時間に縛られている。突然、変わることなどあり得ないと思う。今ここで、別人になるのは許されないと信じている。
何もかも自分で決めてよい❗
許可は要らない。文句が出ない理由付けもなくて大丈夫。私たちは本来、自由自在なのである。そろそろ思い出す頃合いだ。
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『ほとんどの人は、どうするか問われ、二者択一の世界へ取り込まれちゃうのさ』
「第三の答えがあるんですね」
『これから選ぼうとしたでしょ』
「あーなるほど。選んだ後の自分か」
『その通り(*⌒▽⌒*)』
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選択肢が示されたら選ぼうとする。そう仕付けられてきた。選び終えた後の自分に、成り切ってみる。そんな発想は浮かんでこない。
一人と五人。それぞれ選ぶ自分に成り切る。味わう。そして、意識の世界で済ませ、実際に経験した以上の理解を得てよいのだ。
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今回ご紹介のイチオシは、手づくり作品である。お写真を拝見するたび、さまざまな思いが浮かんでくる。私なりの別解──
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優香さんのレース編みと粘土細工は可愛らしい。心が緩む。司書の資格をお持ちでいらっしゃる。クリスティのミスマープルは、私にとって懐かしい思い出がある。
🌸 🌸 🌸
白い花さんのアトリエは、可憐なブーケが見応えある。晴れの舞台。このブーケを手にした花嫁は至福の喜びに包まれるだろう。
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Jolieさんのハンドメイドは、3300点を超えた。手づくりの味わいが素晴らしい。隅々にまで込められた、作り手の細やかな思いが伝わってくる。
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クリスティの作品は、亡妻ミドリが好きだった。付き合い始めた頃、次々と貸してくれるミステリーの犯人を当てる。しかし、読む途中で私が推理すると外れてばかり。
あなたってダメねと言いながら、嬉しそうに笑う。あたしはすぐわかるのよと得意気だ。悔しそうな顔をしてみせながら、なぜか私は外れることが愉快だった。
あの頃、クリスマスプレゼントに、マフラーを編んでくれた。編み物なんて経験がなく、友達に教わりながら作ったそうだ。
14年前の夏、遺品と一緒に処分した。
ミドリは思いを遺さぬよう。私が悲しみで引き留めないように──あれでよかったのか。時折、別解を思うのだ。