霊界ウラ道ツアーご招待
「しっかしフジさん、悪戯坊主やな」
『スビバセン。若気の至りです』
「若気いう歳やあれへん」
『幼稚園児だったかな』
「けど、そういえばわたしも」
『やっぱあるんだ。罰当たりな悪さ』
「祖母に貰うた御守、開けたんや」
『あはは~オレだけじゃない!』
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こんにちは。フジミドリです。誕生日に贈る種観霊、お楽しみ頂けましたでしょうか。
種観霊とは、現実を種として、霊魂の目から観るという道術の稽古です。
観方が変われば、在り方は見直せます。心地よく自由自在になるのです。
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『もっと、ヤバいことやってるからね。神棚開けて、中身すり替えたもんな』
「とんでもないガ──お子ちゃまやで」
『神主さん呼んで、大人たちは皆、拝んでるわけよ。オレの入れたチョコレート』
「低級霊は怖ない、書いてたけど、あんた、それでおかしくなったんとちゃう?」
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全国神道ファンの皆さま、スビバセン。 幼児の悪戯とはいえ、不敬な私でございました。
実際、祖母と同居して、毎朝神棚を拝み祝詞も挙げていた同い年の従兄弟は、喘息の発作を起こしてしまったものです。
私に教唆され、神棚にあった襤褸を、共犯で捨ててしまったばかりに。
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「ははぁ。フジさん、今のうち洗い浚いぶちまけて、懺悔しとこいうハラやな」
『だって、どうせ幽界に逝ったらバレちゃうからね。こっちで隠したこともさ』
「よく言うやん。地獄の閻魔さまに問い詰められる。隠し立てでけへん。裁かれる」
『あはは~誰も裁かないよ。全部バレるからね。否応なく自分で懺悔したくなるの』
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こちらにいる間、人生を振り返って明らかにした方が、幽界へ進んで楽なのです。
もちろん、決まっている人生です。ご自分を責めるとか、後悔などは要りません。
そんなことがあったわぁ、やらかしたぜぇと光を当てさえすれば宜しいのです。
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『ただ、子供ながらに、そんなことで罰を与えるなんて偽物だ、そう思ってたんだよね』
「子供だからこそ、ホントんとこが見える、そういうのあるかもしれへんな」
『大人ってバカだなぁ、チョコレート拝んでるよ、一人でクスクス笑っていたからさ』
「大人は既成概念に囚われとるからな。フジさん、ませガ──栴檀は双葉よりや」
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無邪気な子供とはよく言ったものです。人生経験による、先入観や偏見のない頃の方が、真実を見抜いていることもあるのです。
同じように、知識や経験があるから、必ずしも優れているわけではなく、却って物事の本質を見抜けていないことも──
何も知らないからこそ、曇りのない目で本質を見通すことは、あり得ることなのです。
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『外見って変わるじゃない』
「鏡を見るたび、溜め息やで」
『でも、変わらない自分もいる』
「鏡を見んと、そうかもな」
『道術では、個性と性格に分ける』
「ははぁ。どっちが個性か解ったで」
『さっすが~揺さん。話が早い』
「褒めてもろうて、若返った気分や」
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個性と性格。辞書の説明ではなく、感覚的な表現となります。個々に特有の性質が個性。つまり、霊魂の色合いと申しましょうか。
一方の性格は、性別に基づく格式。生まれながらの男女によって規定される性質。後天的な慣習と言えましょう。
端的に纏めるなら、個性が変わらない。けれども、性格は変わっていくのです。
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「なるほど。そうやね。あの人、性格悪いなぁは言うけど、個性悪いは言わへんよ」
『うん。それで今回の私物語は、個性の自分として書いたのね。生まれた時からずっと変わらず、死んでも残る自分だよ』
「ははぁ。この世にありつつ、死後の世界、生まれる前からおる処へ戻るわけや」
『眠っている間、霊界まで行けるけど、情報が多過ぎて脳に入り切らない。でも、個性の自分に成り切る。謂わばウラ技ルートかな』
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言葉遣いはともかく、私たちの中には、生まれてから死ぬまで変わらない何かがある。
そして一方、変わっていく何かも。
この事実から、あるがままそのままに見直せば、自ずと視野は広がるのです。
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「誕生日の私物語、読んで思うたんやけど、あれ、そのまんま、わたしの物語や」
『わかるわかる。オレも書いてる途中、意識がフワ~ッと広がっていくようでさ』
「読んでくれはる人の代わりに書く?」
『書かせてもらってる感じかな』
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お読み下さる皆さまに代わって書く──何とも不遜な考えに聞こえるかもしれません。
とはいえ、この感覚を得て、書けるようになった。そんな気が致します。
私は、何度も手直しする推敲型ですが、途中でちょっと恥ずかしいな、カットしなくちゃと思うこと、多々ございます。
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「自分の意志いうより、書かせて頂く感じやから、恥ずくても書き切るわけや」
『頭の考えや、心の思いじゃなく、もっと深い意識の領域にアクセスするというか』
「通じとるんやね。そうか。根源は一つなんやろなぁ。映画も音楽も同じかしら」
『根底では一つだって理解があれば、競ったり争ったり、なくなるんじゃないかね』
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もちろん、すべて私の想像です。とはいえ、このように理解すれば在り方が見直せる。
在り方を見直せば、脳の情報処理は変わる。別人になると言ってよいでしょう。
眠りで神経回路が造り替わる。目覚めれば、生まれ変わって新たな自分です。もう一つ別の人生を生きられます。
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「あっはっは。また、そんな調子のええこと言うて、壺でも売ろういうんかい」
『テヘ。バレテーラ。スビバセン。有料マガジン、売っておりましたとさ』
「まぁ買うてくれはる人が、満足ならええけどな。わたしのイラストもサービスやで」
『いやホント、イラストには、いつも助けられてるよ。見ると閃くんだよね』
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改めて、記事のご購入に感謝致します。サポート頂きました。わざわざ、私をご紹介下さった方もございます。
もちろんお読みになって、スキを下さるのは僥倖です。貴重なお時間頂いております。
決まっているとはいえ、皆さまと出逢えまして、本当によかったなと感じます。
お読み下さる読者の意識が、フジミドリを通して形になる。私たちは一つになって、ここに顕われているのです。
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「なるほど。決まっとるから、安心して感謝でけるんやね。せやないと、スマンなとか、申し訳あれへん思うて委縮するかも」
『決まってないと怖いよ。次の瞬間、何が起こるかわからないんだからさ。偶然に任せるなんて、オレは恐ろしくてイヤだね』
「そうやなぁ。偶然に支配される人生いう理解やったら、不安でジタバタするか、諦めて投げ遣りになるか」
『オレは、人生が決まっていると受け入れて救われたのさ。不安から解放されて、時間とエネルギーを他へ回せるようになれた』
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ここで改めて、お断り致します。
フジミドリがこれまで、書いて参りました全て、独断と偏見による私心でございます。
世にある知識や情報ではないのです。何方かに、ご伝授頂いた叡智でもありません。
もちろん、読んだり聴いたり、参考にさせて頂いた本やお話は、数多ございます。
とはいえ、私が中真感覚によって掬い取った種観霊です。決して鵜呑みになさらず──
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「あっはっは。大丈夫や。まぁ、説得力あるから。一瞬、騙されそうにはなる」
『だ、騙されるって。あはは~塾講師なんて仕事は、子供騙しなとこあるけどさ』
「フジさん、なんでも教えるんやろ。毎年、入試問題、仰山見とったら、博識なるわ」
『たーしかに確かに。現代文や英語の長文、へぇ~って内容あると、調べるからね』
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私は、そのような在り方です。
必要な情報は全て手に入る。だから、安心してよい。そう設定しているのです。
逆に言えば、知らなくてよい情報は入ってこないから、焦る必要がございません。
様々な道筋から何気なく、スッと、自然に、私の元へ情報は入って参ります。
それでいて、わりと最先端の情勢に通じているように感じます。たぶん──
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「わたし、ニュースとか興味あれへん」
『そうだね。オレもないかな』
「けど、知らんと時代遅れなるやろ」
『必要なら、情報は入ってくるものさ』
「なるほどな。今こうして、フジさんから話を聞くのも、知ったことになるか」
『興味あれば調べたらいい。なくても必要なら自然と巡り合う。知るかどうかじゃなく、何を感じてどう理解するかだもん』
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心理学や脳科学、引き寄せの法則とスピリチュアル、知識は知識に過ぎません。
あらゆる学問、世界情勢、語学や歴史、すべて同じです。明日、死ぬかもしれない私たちにとって、何の価値もございません。
死後に使えるのは、中真である霊魂が蓄えた理解だけです。理解に役立ててこそ、知識は活かせましょう。
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「同じこと訊いてスマンのやけど」
『全然無茶苦茶超オッケーさ』
「まず、そのルビ👆ムリあるで」
『スビバセン』
「前も訊いたやろ。わたし、浄化でけへんことあるんや。亡くなった父との確執やら、離婚するに至った諸々、息子や娘のこと」
『あぁ、今後に影響するかだね。大丈夫。全部、組み込んで来たから。乗り越えられない展開はないのさ。淡々と熟せばいいよ』
「意識の世界で済んだから、この世に顕われるいう法則やったな。終わっとるんやね」
『成長して幽界から霊界へ進むわけじゃないから。今この瞬間、そこにもいるわけ』
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広大無辺な大宇宙が意識そのものです。私たちは意識の一部。分かれ目はないのです。
肉体の私が、物事を認識するのではございません。無限に広がる意識が、この肉体へ浸透している。そのような捉え方となります。
さらに言えば、現象や事物が外に在るのではなく、自分が映し出している。そう理解しております。奇妙に聞こえるようですが。
☆☆☆
『意識は自由自在だよ。でも、不自由を体験しないと、自由って解らないんだ』
「はぁ。それで、不自由な思いやら考えやらがあるんかい。比べてわかるんやな」
『不自由を味わったら、スッと戻ればよかったの。でも、だんだん戻れなくなった』
「ほな。掴んで放すんやね。のめりこんでから、ハラに収める。リハビリやね」
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頭脳で蓄えた知識や体験、心に折り重なった感情を使ったら、手放してよいのです。
手放すとは、力を緩めること。中真の仙骨を意識する。ただそれだけで宜しいのです。
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「それがなかなか、でけへんのや」
『やろうとするからだね』
「は。やれ、言うたやんか」
『うーん。何も思わずにというか』
「あぁ、コップの水を飲むの、何も思わん」
『無心と言うか平常心というか』
「なんでも、そうできたらええなぁ」
『スムーズに展開するだろうね』
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霊魂の自分に立ち返れば、どんな一大事も、コップの水を飲むことと変わりません。
もちろん、常識世界に入り込んでしまえば、一大事は一大事なのですが。
それが分かった上で、コップの水を飲むように無心で進める。そこに人生の醍醐味があるのではないでしょうか。
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誕生日を切っ掛けに、生まれた時が思い出せるかな。記憶はないようなあるような。
ゼロになり、中真感覚が発露されると、私を慈しむ母の声が聞こえて参りました。
新緑の5月──
皮膚から筋、骨から細胞へ、意識を研ぎ澄ませると、素粒子の世界へ繋がったのです。
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お読み頂き、ありがとうございます。
次回フジミドリ、5月8日午後3時。
母を語ってみようかな。
こちら西遊記、翌9日午後6時です。