物語の基準って❓
小説にチャレンジしたい。どう書けばいいですか。なーんてご質問がありました。
なるほど。ごもっとも。きっと書店やアマゾンで、小説の書き方なんてご覧かも。
小説はフィクションでエッセイが実話。そんな堅苦しい枠組みに違和感ありませんか。
フィクションだって自分が出る。現実の体験を世界観に合わせで加工してるだけ。
エッセイだって本当のことは書けやしない。話を盛らなくても記憶違いとか。脳の記憶は当てにならなかったりします。
だとすれば──
小説なんて書けそうなもの
なんでだろう?
あれこれ考えて、ようやく私なりに辿りついた答えがあります。
基準があるから❕
私たちは自分の書いたものに自信がないのです。小説として成り立つのか。小説って何❓
才能がない、こんなのダメ、そんな既成概念を捨てましょう。アタシはできる、素晴らしいわ、そんな在り方で❣
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軽~くふんわりソフトに楽しむ。今や私小説の時代。自分のことを書けばいいのです。
小説は何をどう書いても自由。うるさい人がいるからナラティブって呼びました。
これナラティブです!
文章作法どうでもいい。自分の語り、お喋りそのもの。書いて楽しく加工する。
基準を気にして委縮しちゃう。あの人なんて言うだろ。これで合ってるかしら。正解なんてありません。自由自在に書いていい💃
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プロ作家の言うことってサンプル数1の体験談です。自分だけに通用する経験則😪
評論家や編集者って自分で小説書けません。書いてもらい、あれこれ言いたい人。放っといて。小さな親切大きなお世話🗿
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自分の体験にちょびっと加工して話は盛る。ウソついていい。他愛ないウソ。
楽しんでもらえるウソ🌹
アホな上司はコメディに。叶わなかった夢が成功譚へ。妄想のエロスなら有料で💚
なんだ。自分の人生ネタの宝庫。思い出して加工して人生の書き換え。書きながら過去の自分が癒される。ああステキ🎶
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つまりですね。
やっぱり在り方でした。
小説を書けないとおっしゃる方は、小説を書けない自分という在り方のまま、私にご相談下さったのです。そりゃ書けません💦
どんなアドバイスも、小説を書けない自分として聴いちゃう。脳は書けない自分として情報処理する。そりゃ書けません🙍
プロになりたい方は、プロになりたいという在り方、つまりプロになれない自分のまま、苦悩していらっしゃる😿
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というわけで基準は必要ない、ただ書いて心地よければいいじゃん、という結論でした。もちろん私の独断と偏見😅
きっとあなたの周り、一緒に心地よくなって下さる方、いらっしゃいますよ🥰