法治国家の正体見たり
ツイート読んで驚きました。ホントに絶望します。こんな事って、あるのでしょうか──と、ご相談を頂きました。いつものように、賢者さまのご講話です。
🌿 🌿 🌿
https://twitter.com/Awakend_Citizen/status/1447878949933965312
🌸 🌸 🌸
『真相はわかりません。でも、傍聴なさった方のコメントが複数ある。全くのデマとも、考えられません。マスコミの報道と真逆なので、一体どうなっているのか』
「火のないところに煙は立たん。おおよそ、実際にあったとみて、間違いなかろう。真逆のマスコミ報道が、その証拠じゃよ」
『ちょっ、ちょっとお待ちください。もしかして賢者さま、マスコミ報道はウソの塊だ、そう仰るのでしょうか』
「わっはっは。何を慌てとるかね、君。マスコミが真実を伝えると、誰が決めたのじゃ。法律で決まっておるのかな」
🏁 🏁 🏁
なるほど。確かにそうです。SNSのお陰で、暴露されました。マスコミは、政府とスポンサーに逆らえません。筆頭株主も共通です。
そこまで断言できない方でも、どうやら疑って掛からないと、自分も家族も身が危うくなる、そうお考えのことでしょう。
とはいえ、特別のコネでもない限り、裏の真相は見えません。何を頼ってよいのか、わからない。迷った末に無関心となる──
🗿 🗿 🗿
『つい、ゲームや娯楽の世界へ逃避します。身近な楽しみで不安をやり過ごす。他に道は残されてない気がするのです』
「それが狙いじゃよ。マスコミどころか政府さえも動かす、巨大な力が渦巻きおる。そう感ずれば、怖気づくのが普通じゃろ」
『いやホント、調べたって、よくわかりません。頭が悪いというか基礎がないというか。かといって、行動する勇気も出ません』
「そう思わせるため、あからさまなウソ報道を流し、権力で抑え込む。適度にリークしてな。力を削ぐことが目的なのじゃ」
👽 👽 👽
そうか。戦前の大本営発表と同じ、政府とマスコミのウソは、暴露ましたが、にも関わらず堂々と暴挙は遂行される。逆らえないと、諦めさせることが目的なのですね。
それなら納得いきます。実際、ほとんどの方は、見て見ぬフリばかり。聞こえて聞かぬことにする。言いたくても言わない。無関心を装うわけです。子供たちはマネをする。
こうして、連綿と引き継がれてきたのです。歴史を紐解けば、今回と同じことが、何度も繰り返されました。何も変わりません。
🙈 🙉 🙊
『私たち、一体どうしたら──』
「ん。なんじゃね」
『そっか。このままでよい』
「わっはっは。わかってきたじゃないか」
『でも、賢者さま。本当にこのままでよいのでしょうか。どうも、スッキリしません。何か、大切なことを忘れているような』
「それでよい。思い出してきたのじゃ。とはいえ、焦る必要はないぞ。大切なことを忘れておる、という気づきだけでよい」
🔮 🔮 🔮
これはまた、意味深なお言葉ですね。私たちは、大切な何かを忘れている。しかし、中身は思い出さなくてよい。何故かと言えば──
その大切な何かとは、言葉にできないものです。心の奥深い場所で、ひっそり漂う、波動としか言いようがございません。
そしてそれは、私たちにとって、本当に大切なもの。心の底から、静かで優しい気持ちにさせてくれるものなのです。
🌷 🌷 🌷
「正義と悪徳は対立する。じゃが、対立するということは、同じ次元なのであるぞ。一つ上から覗くなら、何も変わらんとわかろう」
『うーん。なかなか受け入れられませんね。対立する二つの考えで、揺れ動きますよ。そして、迷い悩み不安に苛まれるのです』
「そろそろ潮時じゃ。死後の世界でリセットされる。この世のプラスマイナスは、相殺して手放す。死んでからでは手遅れじゃ」
『もしかして、忘れているのは、死後の世界でしょうか。この世の正義も悪徳も、消えてしまう。全て相殺されるのかな』
✴ ✴ ✴
ゲームで、そんな世界を体感したら、人生観が変わるかもしれません。そんな思いを込めて、書いたファンタジーです。
この世をより善く変えていく。邁進するのも宜しいと思います。しかし、行動しなくたって、誰に責められるものでもございません。
どなたにも訪れる死後の世界。どんなものであるか、わかりません。だからこそ、ご自身で決めて宜しいのではないでしょうか。
🔮 🔮 🔮
『 賢者さまは、どのようにお考えでしょう。どう向き合っていかれるのですか』
「お好きにどうぞじゃ。所詮この世は不自由な世界。支配したがる者の気が知れん。あの世は自由自在。待ち遠しくて仕方がないぞ」
『どちらが主体の在り方か。なるほど。人生は、何もかも全てが決まっているとしたら、心の重荷は軽くなるように感じます』
「法治国家とは、人の上に法がある。歪じゃよ。この世を支配した者は、死後の世界で浮かばれん。あの世を蔑ろにしたからな」
🌈 🌈 🌈
どうやら私たちは、二者択一を迫られているように感じるのです。気のせいでしょうか。
この世は決まっている。映画でも見るように淡々と熟せばよい。大事なのはあの世。映画をどう理解するかで、次の人生が決まる。
あるいは、この世を大切に、なんとか善い世界に変えようと奮闘努力する。死後の世界は考えない。生きてる間こそが全てだ──
読者さまは、孰れをお選びでしょうか。