将来を見据えた大学進学

当時高校生で男子のマネージャーをやっている方が少なかった時代
私立中学校から入学させた親にしてみれば、Jリーグが開幕したとはいえ、プロのサッカーチームで「飯が食えるのか?」という不安があったし、せっかくお金をかけて、塾に通わせて、私立中学校ー高校の進学校へ入学させた息子が、Jリーグのマネージャーとか用具係をやりたい!と言いだしたら、それはかなりショックだったと思います。
特に母親は、高校の部活も辞めさせられず、プロチームに就職したいと言い出した私のことで相当悩んだと思います。当時、単身赴任中だった親父のところへ行って、進路のことで相談をした。
「本気で、プロチームのマネージャーになりたいのか?」と言われ、「うん!」と答えた私に父は「お母さんを説得はしてやる。でも、大学だけは行け!体育系の大学でも良いから、大学だけは出ておけ。ただし、現役で合格すれば体育系の大学へ行かせてやる。でも、浪人するようなことがあったら、お母さんが望む一般大学を受験しろよ。それが条件だ!」と、いう話だけをして、あとは食事に連れて行ってくれた。

高校2年生の冬だったかな?これで自分にもスイッチが入ったような気がします。高校3年生の選手権予選も東京都の地区予選の準決勝で学習院高校に負けた。スゴイ悔しかった。試合後のミーティングの時に監督から「試合に出てたやつは頑張っていたか?死に物狂いでやっていたか?試合に出られなくても、お前たちのために誰よりも早く会場に来て、試合の準備をして、お前たちの勝利を信じて戦ってくれた仲間がいたんだぞ!その仲間のために、死力を尽くして戦っていたようには思えなかった!お前たちが全力で試合に臨めるように周りでサポートしてくれる親御さんや仲間がいることに感謝できない奴らが勝てるほどサッカーは簡単じゃない!分かったか!?お疲れさん!」と最後のミーティングを聞いて、俺はその場で泣き崩れたことを今でも覚えている。監督にそんなふうに言って貰えたことが初めてだったから。

その後も、後輩の練習試合でも応援に行ける時は応援に行っていた。予備校には通わずに勉強していた。学校の周りの連中は早慶、明治、法政はもちろん送立大学を目指すような奴らばかりだったから、体育系大学を受験するお前はいいよな。みたいに言われた。
でも、自分はそれが自分のやりたい道だったから、何とも想わなかった。もちろん、気に食わないといって、いじめ?られたこともあった。自分が高校3年生の高校サッカー選手権大会の大会補助学生もやっていた。センター試験の1週間前の決勝戦(帝京VS市立船橋)も国立競技場に居た。

そして大学受験。
国士舘大学、東海大学、順天堂大学、国際武道大学、そして鹿屋体育大学を受験した。一番行きたかったのは、順天堂大学。当時は名波浩さん、仲村浩二さんという2人の中盤のエースがいて、千葉県内の大学だったことが一番の理由だ。そして、見事に順天堂大学だけが補欠合格だった。しかし、なかなか繰り上げ合格の連絡がなく、3月22日ごろだったかな?母親にそろそろ予備校の申し込みを考えなさい!と言われた。自分でも諦めかけた3月25日に順天堂大学から繰り上げ合格の連絡。3日以内に入学金と授業料などをお支払いできますか?と言われ、7日後までに入寮の手続きを。と言われた。

まさに人生の逆転ホームランだった。
それから2週間後、順天堂大学に入学をすることになった。それほど熱望していた順天堂大学への入学。天にも昇る気持ちだった。さらに中学、高校と男子校だったので、女子がいるというだけでテンションが上がり、サッカー部のマネージャーとかどうしようかな?って、入寮してちょっと考えが変わりそうだった。その時だった。入寮した日の夕方に入寮式が行われるが、その前に寮に入って荷物の整理をしていたら、サッカー部の部長先生に呼び出された。
「高校の監督とは家が近所なんだ。高校の監督から、すごいマネージャーが今年順大に入学させてもらいましたので、宜しくお願いします。って言われたんだよ。明日から、サッカー部の練習に来てくれるね?」と、いきなり言われた。

そうか。高校の監督が大学の部長先生に話をしてくれているのか?!やるしかないな!と、自分の浮ついた気持ちは一気に吹っ飛んだ。人生の中で、こうして誰かに導かれるようにして、自分は大学のサッカー部のマネージャーをすることになった。もちろん、将来自分がプロのチームのマネージャーになるために、ここからが勝負だ!という決意をもって、自らの意志でサッカー部のマネージャーになることを決心したんですけどね。

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