水民マガジン カヤックをはじめた頃
阪神淡路大震災のとき芦屋におり 幸いにして家族も神戸在住の両親も無事だったが 4月に転勤があり 埼玉県の草加に移り住んだ
その際 松戸のカヌークラブに所属していたОさんに
『カヌー やらへんか?』
と誘われた
Оさんは 面白い人で 高野山大学出身で 高校で書道を教えていたのち 舞塾の田中泯に弟子入りした
最近は知的障害者を集めて紙漉きの工房を営んでいる
わたしは カヌーのことは 全くわからなかったが Оさんの誘いであれば 面白いだろうと思い ひとつ返事で応諾した
初めてカヌー(カヤック)に乗ったのは その年の6月
震災の約半年後である
震災を経験した人には理解できる感覚だと思うが 幸いにして生き延びることができた という気持ちが強かった
生きているのが当たり前 ではもはやなく たまたま 生きている事ができた
そんな感覚だ
逆に 本当にやりたいことがあったら 後悔しないように とりあえずやる
という考えに必然的に至る
カヤックを 自分ができる範囲で極めたい と思ったので会社を辞めた
と 元の同僚に話しても ほぼ理解してもらえなく 会社に不満があったからだろうな と思われたようだ(全くなかったわけではないけど)
そんなわけで Oさんの一言は わたしの人生にとっては かなり重い
そして カヤックをはじめた日のことは 鮮明に覚えている
ちなみに カヌーとカヤックの違いだが 単純にパドルの種類の違いだ
パドルは ブレード(水かき)シャフト(棒)で構成されているが カヤックはシャフトの両側にブレードがついた ダブルブレードパドルを使う
カヌーのパドルは ブレードが一方にしかついていなくて 反対側にはTの形をしたグリップ(にぎり)がついたシングルブレードパドルである
だから リオでメダルをとった羽根田くんがやっていたのは スラローム・カヌーなのである
ところで ヨーロッパや日本だと パドルを使って漕ぐボートを 総称してカヌーと呼ぶことがあるが 北米では カヌーとカヤックは 厳密に区別されるらしい
まあ カナディアンカヌーをカヤックと言ったら カナダ人としては黙っていられないだろう
話を戻そう
千葉県松戸市と 埼玉県三郷市の県境は 江戸川である
もっと下流には わたしの年齢 62才前後のZZ・BBで おそらくその名前を知らない者がほぼいない『矢切の渡し』があって 東京 千葉の県境になるのだが
松戸 三郷を結ぶ 江戸川に架かる有料橋の 松戸側の橋の下に 松戸市のカヌー協会の艇庫がある
そこで ボートを借りて 江戸川で漕ぐわけだ
借りたカヤックは ダンサーという ポリエチレンの頑丈なボート
ポリ艇(ポリエチレン製のボート)としては 当時 初心者に最適と言われ 今となってはデカすぎるボートである
Oさんと 実際カヤックの乗り方をレクチャーしてくれたのは 現役の神主さんで 自分でカヌー師さんを名乗るМさんである
色々と漕ぎ方の説明を受け 悪戦苦闘する
リバーカヤックは 最初はまっすぐ進まないし 一旦曲がりはじめたら 修正が効かない
のちに 次第にわかるのだが まっすぐ進むためには まっすぐ漕がなければならないと努力するのだが 実際には 微妙な流れとか いろいろな影響を受けるので 上達すると まっすぐ漕ぐことができるのではなく 修正しながらまっすぐ漕いでいるみたいになる のである
しかしまあ 当時のわたしは 夢中でボートを手なづけようと必死だった
するとスコールのような にわか雨が降ってきた
そこで 橋桁の下に退避して雨宿りをする
篠突く雨に 水面が 真っ白になる
こうしたワイルドな体験に 心を揺さぶられた
中学2年のとき 当時つるんでいた友達と 自転車で香櫨園の浜に行き 幕末の砲台を見た
西宮市の頭のおかしい役人が よりにもよってセメントかモルタルかはわからないが 荘重な石造りの外壁を デコレーションする前のバタークリームケーキみたいにのっぺりと塗り固めて その建造物のもつ意味と歴史を無意味なオブジェに魔改造する前の砲台である
西宮市に 異常で愚劣で程度の低い政治家がよく出現するのは これの呪いだと わたしは思う
ついつい興奮してしまった
砲台を見たあと 夙川の河口(土手を越えると 火垂の墓の舞台にもなった回生病院がある)に浮いていた 長さ1メートル 幅50センチほどの 立方体の朽ちた木材で遊んだ
それが むちゃくちゃ楽しかった
たぶん 水着を持っていったわけではないので 短パンで水に入ったのだろう
帰りに自転車乗ってるうちに乾くやろ
そんな感じだったと思うが とにかく 何故か楽しかった
初カヤックは ちょっとそれを思い出したのだ
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