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#コーマック・マッカーシー
「公正世界仮説」に反する物語が好き。
先日、高橋ツトム「ブルーヘヴン」が好きだという記事を書いた。
上の記事には入れられなかった好きな理由のひとつが「『公正世界仮説』に反する原理が働いているから」だ。
盛龍たちが乗る漂流船を見つけた時、ブルーヘヴンの社長と船長は「救助すべきか否か」で揉める。
社運を賭けた豪華クルーズ船の航行中に、漂流船の救助などしていられない、身元不明の人間を乗せるわけにもいかない、人道など知ったことでは
コーマック・マッカーシーの「平原の町」がブロマンスであることに、今さら気付いた。
↑の記事でホームズとワトソンは「凄く仲良く育った兄弟が、そのまま大人になった」「阿吽の呼吸があり、それに甘えることが出来る関係」に見えると書いたが、「よく考えたら、それはブロマンスではないか」と気付いた(遅い)
「ブロマンス」は日本のBLの一ジャンルとして生まれた造語かと思っていたが、
調べたら、英語圏でBLとは関わりなく生まれた語らしい。
言われてみれば「スタンド・バイ・ミー」のクリスと
「社会に依拠せず、自分が世界とどう対峙するか」を語っているコーマック・マッカーシーの作品が大好きだ。
黒原敏行がマッカーシーの作家性だけではなく、作品一冊ごとに話をしている。こ、これは贅沢すぎる。
記事の終盤で黒原敏行がこう語っているように、マッカーシーの作品の特徴は、社会がほぼ機能していない、ゆえに自己がむき出しのまま世界と直で対峙する(せざるえない)ところにある。
今の時代だと「自己を抑圧するもの」として捉えられることが多いけれど、社会は「脆弱な自己を守る鎧」でもある。
共同体の内部
コーマック・マッカーシーの文章を読むと、「物語において必要な情報への感覚」が変わる。
いま「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」(以下「ノーカントリー」)を読んでいる。
めたくそ面白い。
ハードボイルドのような余計なものを切り詰めた端的な文章が好きなので、マッカーシーの文章も好きだ。
「ノーカントリー」はマッカーシーの他の作品と比べても、「そこを削る」という感覚がなかった部分まで削られている。
「ここまで削るのか」と驚いた。
例えば殺し屋のシガーが、ホテルで対立