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「ELDEN RING」の感想

 以下の文章は全て個人的な見解です。権利者の方々による指摘や、個人的な気付きによって、予告なく変更・削除する可能性があります。
 また、視界が狭い人間なので、色々とご指摘いただければ幸いです。



感想

狭間の地で

 遠い地に放り出された。よくわからないが、何となくカッコいい伝承を聞かされると、気付けば暗い部屋に立っている。女性の死体が置かれており、何やら気味が悪い。部屋を出ると、遠くに黄金に輝く樹木が見える。樹木と言っても、それは世界を支えていると嘯くことができるであろう大きさだ。黄金の光は、ほのかに暗い周囲とは対照的であり、異彩を放っている。

 道なりに進んでいくと、明らかに開けた場所がある。警戒しながら進んでいくと、案の定、頭上から異形の化物が降ってきた。宇宙人が、人間を部品に蜘蛛を造ったような見た目をしていて、剣を複数構えている。こちらが持っているのは弱弱しい杖と、それを振り回して出る魔法の礫だけ。最低限の抵抗はするが、あっという間に体力を削られ、死に至る。

 しかし、体は死に切れぬのか、そのまま、意識を失い、結果として、どこかの洞窟にたどり着いたようだ。

 ああ、いつもの洗礼だ。懐かしさを感じていた。


 「ELDEN RING」は「DARK SOULS」の流れを汲むオープンフィールド(ほぼオープンワールドの意)のゲームである。

 端的に言ってしまえば、アクション性やダンジョンの構造、ボスの設計などはソウルシリーズそのままに、広大な世界を駆けることができるようになったと言ってしまっても差し支えないだろう。プレイヤーはエルデの地という膨大な舞台を駆けまわり、各所に置かれたダンジョンに挑み、そして、その主にやられて命を落とし、何度かやり直して、ついに倒す、というサイクルを繰り返していく。

 基本的なゲーム設計は「DARK SOULS」に近い。そのため、この記事では本作で初めて実装された要素や、オープンフィールドになったことによる影響を中心的に見ていきたい。

 死にゲー×オープンワールド。現在のゲームシーンで人気を博すジャンルが組み合わさったのだ。最強にみえるが、その実体はどうなったのだろう。

こんな感じの風景が広がる



振れ幅の大きい調整要素

 本作で最も影響が大きい戦闘における新規実装要素と言えば、遺灰を挙げる人が多いだろう。遺灰はアイテムの一種で、それを使うことにより、助っ人を呼び出すことができる。たとえば、ネズミだとか、弓兵だとか、空を飛ぶクラゲとかを仲間にして、一緒に戦うことができるのだ。ペットのように常に一緒にいるのではなく、一部の指定場所(主にボスや、敵が密集している箇所)で呼び出しが可能になり、その体力が尽きるか、その場所を離れるまで、一緒に戦ってくれる。

 想像に難くないが、これが非常に強い。種類や強化の度合いによっても異なるのだが、プレイヤーキャラクターが2~3発しか耐えられない攻撃を何度も耐え、攻撃を繰り返してくれる。何より、相手の狙いがそちらに行くことによって、自身が自由になる点が大きい。隙を見て攻撃を仕掛けてもいいし、減ってしまった体力を元に戻してもいい。明らかに楽になる。

 これは大幅に難度が下がる要素であり、今回、本作が幅広い支持を受けた理由の一つではあると思うのだが、あまり良い実装でないと感じる。

 というのも、これが与える影響が大きすぎているのだ。


 要は使わなければ難しすぎるが、使えば簡単すぎる。

 この遺灰の実装が最低限の保証となっているためか、本作は複数体ボスが多く、それ用にデザインされたボスというよりは、単純にボスが複数体いるという感じが多い(流石に行動管理などは変更されていると思うが)。

 そのため、遺灰によるターゲットの分散が起こらない場合、こちらが対抗できる手段がある程度限られてしまい、難度が高くなりすぎている。

 一方で、使用したらしたで、適切な遺灰を選び、強化をしっかりしていれば、遠くで魔法を撃っているだけでも勝ててしまうボスは非常に多い。

 どちらの場合も、適切な難度や行動の設計によって生まれる死にゲーの面白さを結果として萎めてしまっているという印象を受けた。

 複数の要素(本作で言えば、装備や戦技、遺灰など)を用意して、それぞれをどう使用するか、あるいは使用しないか、といった部分で、戦略性に幅を持たせたり、難度調整が自身で出来る、ということはいい。しかし、死にゲーはそれがその面白さを発揮できる幅が狭いのだ。遺灰という要素は、影響が大きすぎ、上手い具合に自身で調整するのに難儀する。

頼りになる(なりすぎる)仲間たち(この画像では白い鷹)



オープンフィールドの探索と、その報酬

 霊馬というめちゃくちゃ便利な乗り物を得て、フィールドをかなり自由に駆けていくことができる。そうして、向かう先は、ダンジョンだ。

 ダンジョンの中身としては、従来のソウルシリーズに近い構成をしており、限られた空間で密度のあるステージデザインをしている。その奥にいるボスを倒すと、基本的にはユニークなアイテムがもらえる。

 いくつか大きなダンジョンがあり、それらはレガシーダンジョンと呼ばれている。これらがいわば、メインのダンジョンであり、その奥には大ボスがいる。これを倒すことによって(倒さなくてもいい場合も多いが)、先に進んでいくことができる、という形だ。

 この構成自体は、近年ならば「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」(以下BotW)に近い。BotWでは、祠という謎解きを行うコンテンツがフィールド上に点在しており、それを発見してクリアしていくことがメインのプレイサイクルであった。本作では、祠がダンジョンであり、クリア報酬がアイテムであると考えればわかりやすい。

 この、比較的安全である探索時の移動と、ダンジョンの密度やストレスフルな構造の緩急が、本作における最大の魅力の一つであるとは感じる。ただ、ダンジョンの発見・クリアによって得られる報酬であるアイテムがあまり報酬になっておらず、次第に探索が面倒になってしまった。

 かかる労力と報酬が釣り合っていないように感じられたからだ。


 まず、本作はクエストがあったり、全てのダンジョンの入り口がマップに記されているわけではないので、ダンジョンの探索から始めなければならない。BotWにおけるセンサーのようなものもないので、怪しいところを調べてみる、という程度だ。(一応、マップに記されていたり、ガイドが存在するダンジョンもある)

 そして、ダンジョンを発見しても、それをクリアしなければならないのだが、ギミックやボスによっては結構なストレスが溜まる。その果てに待っているのがアイテムという報酬なのだ。

 ここでもらえるユニークなアイテムは千差万別である。装備や遺灰であったり、魔法であったり、鈴(ショップで強化素材が買えるようになる)だったりする。これがゲーム経済的な探索の報酬に近い。

 だが、その報酬が真に報酬であるとは限らない。なぜならば、本作にはビルドの概念が存在するからだ。

 ここで言うビルドとは、ステータスをどのように伸ばしていくのか、という方向性を指すものだ。つまり、筋力を上げて戦士にするのか、知力を上げて魔法使いにするのか、というようなことである。本作ではソウルシリーズでおなじみの、レベルアップ時に伸ばすステータスを選ぶ方式だ。そして、ステータスは多様であり、色々な形がある。それぞれに適した装備が存在するわけだ。

 つまり、ビルドが噛み合わない場合、報酬のアイテムを使うことができずただの肥やしになってしまうのだ。たとえば、筋力ばかりを伸ばしているキャラクターが強力な魔法を手に入れたり、知力重視のキャラクターが大剣を手にしたりする。これは報酬にならない。

 もちろん、ステータスの割り振りをし直す方法もあるので、その後の楽しみにとっておく、ということはできるのだが、報酬として弱いと言わざるを得ないだろう。


 また、そもそも、装備自体が選択肢を増やすだけであり、直接的な強化をしないものが多い、という点も挙げられる。

 古典的なRPGや、それに近い経済構造を持っている場合には、完全上位互換の装備というのが用意され、それがステップアップとして使用されるのだが、ソウルシリーズのようにPvPを実装している作品では特に装備は選択肢であることから、上位互換の関係ではないことが多い。

 この場合、装備を手に入れるというのは選択肢が増えるだけであり、基本的にはキャラクターの強化に結びつかない。

 加えて、本作では強化の要素もある。装備を強化するにはコストが必要であり、既に強化済みの武器を使用しないことは、そのコストを失ったままにすることに繋がるので心理的な抵抗が大きい。せっかく強化して、長らく使ってきた装備を変えるためには、それなりの動機が必要になる。もし、決意をしても、そこから装備を自身の進行度に合わせて強化を行わなければならない。さらに、その装備が実際には使えなかった(好みでなかった)となれば、強化したコストが回収できていないことになる。

 このように、ダンジョンの報酬としての武器、武器の強化のシステム、ビルドシステムがイマイチ噛み合っておらず、報酬として弱いと感じざるを得なかった。一方で、鈴のようなアイテムは、普遍的にかなり有用であり、その格差が気になる。

 ただ、アイテムの説明欄などから設定や物語を伝える環境ストーリーテリングとの相性は良く、アイテムの説明という情報が最低限の報酬の保証になっている、という考え方はできるだろう。

フィールドを駆けたり、ダンジョンを潜ること自体が楽しい人は楽しいだろう



オープンでないフィールドと、NPCイベントの設計

 オープンフィールドと題されてはいるが、完全に自由が効いたマップであるかと言えばそうではない。簡単に言えば、地域ごとに大まかな進行度が決められており、それを移行していく、いわば、疑似ステージ制のようになっている。

 これ自体は利点も多いので、よい実装であると感じるが、問題はNPCイベントなどとの兼ね合いだ。

 本作は上述の通り、疑似ステージ制となっているが、あくまで疑似なのでステージをまたいでいくことが容易である。その地域の大ボスを倒さなくても、とりあえず、次のステージへ進むことができたりする。しかし、そうしてしまうと、変に進行してしまうNPCイベントなどが一部あるのだ。

 つまり、NPCイベントの作りがオープンフィールドの設計に追いついておらず、プレイヤーの想定していない動作を引き起こすことがよくある。

 アップデートにより可能になったが、それまではNPCの居場所すらわからず、クエストなどもないので、各イベントの進行度もわからない。何かあるたびに、進展がないかを確認したり、いなくなったNPCを探し歩いたりしなければならないのだ。

 しかも、行ける場所は次第に膨大になっていき、探索範囲は非常に広がっていく。アップデートからもわかるように、ここまで広大な土地でNPCの場所を探すのは作業でしかなく、苦行に近い。それなのに、折を見てそうしなければならない。

 次のステージへ進めそうな道を見つけても、それを進むことによって、イベントが進行してしまう恐れを感じてしまう。

 世界観の作り込みや、それを間接的に伝える環境ストーリーテリングの仕組みは良いのだが、それを拾おうとすると、結果として、かなりの労力が必要になってしまっているように感じる。

 何も全てのNPCイベントをクエスト式にすごくわかりやすくしろ、と思っているわけではなく、フィールドに自由度がある設計をするのならば、それを許容できるようなイベントの設計にすべきだ。そうすることにより、心理的な檻から解放され、真に自由にフィールドを行き来できるのではないか。

NPCがなんかよくわからないうちに、よくわからないことになっていることが稀によくある



フィールドの広がりと、レベル制

 最終的にはかなりのフィールドが広がっているのだが、それとレベル制、死にゲーという仕組みがあまり相性が良くない。

 フィールドにダンジョンが置かれていることから、ステージ(ゲーム)が進むにつれて、クリアした上限数と下限数の幅が広がっていくことになる。つまり、数個しかダンジョンをクリアしていないプレイヤーもいれば、全てのダンジョンをクリアしてから先に進むプレイヤーもいるということだ。その報酬としてのアイテムがあまり強化に繋がらないのは、上述した通りだが問題はレベルの方だ。これは基本的には比例して成長する。

 結果として、終盤では、最低限で潜り抜けたプレイヤーと最大限をこなしてきたプレイヤーでは、基礎的な能力が異なってしまう。

 終盤のバランスに関して苦言が呈されることが多いのは、この点が主に影響していると考えている。全く詰まらずに終盤をクリアしたプレイヤーもいれば、かなり苦戦しているプレイヤーもいるのは、この差だろう。

 死にゲーがその面白さを最大限に発揮できる難度の幅はさほど広くなく、要素の種類(装備、戦技、遺灰など)が多いこともあって、その調整は非常に難しいことは想像に難くない。その上に、レベルの幅もあるのだ。


 本作が好きなプレイヤーこそ、積極的にプレイするであろうから、(自身で縛るという方法もあるが、そうでなければ)どんどんとレベルが上がってしまうだろう。そうすると、難度が低下して、死にゲーが本来持つ面白さが薄れていってしまう。

 逆にあまり興味が持てないプレイヤーがメインの部分だけを進めようとすると、レベルが低いままなので、むしろ、難度が上がってしまう。もちろん、レベル上げをすればいいだけの話だが、そのレベル上げという作業が面白いかどうかは別の問題であり、基本的には面白いと思われていない。


 レベルがあることによって、本作を安心してプレイすることができた、という声も多い。最悪、レベルを上げてクリアできるから、ということだ。つまり、レベルは保証になっているという考えになる。

 しかし、これは主客が逆転してしまっているのではないか。面白くてプレイするから、クリアできるのであって、クリアのために作業を行うことは求めるべきゲームプレイなのだろうか。そのようにデザインすべきだろうか。

 実際には、プレイヤーの認識を改めるべきであり、クリアできないのならクリアできない、とすべきで、クリアを最低限の保証とすべきではない、と感じる。もちろん、これはゲームのジャンルや特性に依存する。たとえば、ストーリーを重視したRPGであれば、ストーリーを読むためにゲームをプレイし、RPG要素もストーリーを盛り上げるための一要素として考えられる。この場合には、むしろ、このような最低保証がなければ問題だろう。

 ただ、本作のようにゲームプレイに重点を置いている作品の場合、クリアできることを絶対的な補償として用意しなくてもよいのではないか。このクリアの最低保証としての、永続的な強化要素は様々なゲームに歪として現れており、近年のローグライトゲームの流行は、その悪影響から逃れるための一つの手段としての側面がある。

筆者は1周目クリアで120レベルほどだったが、もっと高いプレイヤーも多いようだ



ゲームのボリュームと周回、オンライン要素

 本作のボリュームはかなりあるが、正直に言って、そこまでのサイズが必要だったのか、と感じてしまった。

 後半のステージになると、(設定上、そうあるべきとは言え)密度がなくなっていくし、そもそも狭いことが多い。さらに各ダンジョンも既視感の強いものが多くなっていく。これは各テーマ(たとえば、英雄墓、鉱山など)で各ステージに似たダンジョンがあることも影響しているだろう。また、ボスも同じタイプのボスの強化版、複数体、ということが多くなる。

 もちろん、ゲームの設計(特に大規模になるほど)の基本形はコピーである(特にビジュアル面では)ので、それが悪いわけではないのだが、どうしても既視感が強まっていく。そうなる前にゲームをクリアできた方が、体験としてより良いものになるのではないだろうか。

 また、周回やオンライン要素との兼ね合いが悪いのも気になってしまう。

 ほとんどの皆が通るレガシーダンジョンならまだしも、広大なフィールドでマッチングするのは難しい。周回の要素もあり、なおさらだ。

 もちろん、幾つかの対策と呼ぶべき仕様があるが、結果として複雑化してわかりにくくなっている側面も強い。


 複数エンディングが存在したり、イベントに分岐があること、8周回目までステータスが変更されることから、ある程度の周回を見越してデザインされているようにも感じるが、1周があまりにも長く、次の周回へ行くのをしり込みしてしまうプレイヤーも多いだろう。また、周回を繰り返すことにより、上述したようなレベルなどの幅の問題も広がっていってしまう。

 全体的に、これらの要素はソウルシリーズを踏襲したという側面が強く、本作に合わせてデザイン(調整)されたように感じにくかった。


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