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【ゲーム考え事】ガチ・カジュアル(競技・非競技)の一つの定義と分離の必要性

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 以下の文章は全て個人的な見解です。権利者の方々による指摘や、個人的な気付きによって、予告なく変更・削除する可能性があります。


前提

  • この記事では、ガチとカジュアル、特にここでは競技と非競技という軸に関して、定義について考え、それが混在していることの問題点、分離されることの利点についても考える。
    どちらが良い悪いではなく、分離すべきだというのが本記事の内容。

  • どちらかと言えば、プレイヤーに関しての内容ではなく、ゲーム構造に関しての内容であり、それを踏まえてのデザインをどうすべきかという点に移るための前提としての内容。

  • 実際にはゲーム構造や環境、プレイ人口などによっても異なる。
    最も一般的なゲームについての内容となる。

  • 過去の筆者の記事に関連した事項・単語・概念を使用するため、それらを読んでいないと完全な理解がしがたい可能性が高いが、そうでなくても概論は把握できるように記述した。



定義

前提の議論

 まず、下敷きとなる記事から紹介したい。

 これはカジュアルの紹介記事であるが、ガチ - カジュアルという対比で語られることがある以上、軸として機能するだろう。後述するように、個人点的には内容に問題がある(全面的に賛同できる内容ではない)とは考えているが、前提の一つとして、参考にした上で議論を行いたい。

 この記事においては、カジュアルという言葉を3つの意味で捉えている。

  1. 経験がない

  2. 熱心さがない

  3. 競技性がない

 それぞれについて確認してみよう。


経験の有無

 英語でどうであるかはわからないのだが、日本語においてはこの文脈でガチ、あるいはカジュアルという言葉が使用されていることはほとんどないと思われる。

 経験がないということが、他の定義を満たしやすい特性なので、結果としてそうなることはあるが、直接的にこの意味で使用されないだろう。

 『初心者』のようなより適切な言葉もある。また、構造が近いゲームに精通していたり、そのプロプレイヤーだったプレイヤーが、新しいゲームに取り組んだからと言って、『カジュアル』とは言われないだろう。

 総じて、少なくとも日本語においては、この定義において、カジュアルやガチという言葉を使用することは、無駄な混乱を招き、問題を生み出しやすいという意味で推奨されない、と個人的には考える。


熱心さの有無

 個人的に驚いたことの一つなのだが、日本では『ガチ』という言葉を、このゲームに対する熱心さがある、という意味で使用することがあるようだ。そして、熱心でないプレイヤーをカジュアルと呼ぶことになる。

 ガチという言葉は、『真剣に』『本気で』という意味があるため、この熱心さという部分を指す時に使用することがあるのだろう。ただ、元は『ガチンコ』という相撲の用語の省略形であり、これは『八百長などを行わず真剣に勝負する』ことを指す。そこから考えれば、『ガチ』という単語は、個人的に後述する競技性があるという意味で使用している。

 この、熱心さという軸と、競技性という軸が混同されやすいことが、ガチ - カジュアルに関する議論が迷走しやすい理由の一つであり、ここを明確に分けて考えることは肝要であると考える。

 そういう意味でも、そもそも、混同しやすいガチ - カジュアルという言葉を使用すべきではない、という話があるだろう。


 個人的には、熱心さによる分類は、ゲーム(カード)デザイン上では意味があるが、プレイヤーとしてはあまり意味がないように思われる。

 この熱心さというのは、ゲーム(作品)に対する情熱のことであって、たとえば、多くの場合、対戦相手がゲームのストーリーや背景設定に詳しいとか、コミュニティに所属しているとかであることが、そのままゲーム(プレイ・マッチ)における問題になることは少ないと考えられるからだ。

 また、これを定義することも難しい。

 たとえば、筆者は、「マジック:ザ・ギャザリング」をかなり長い時間プレイしてきており、20年以上の関りになる。上記の前提記事として挙げたMaking Magicという「マジック:ザ・ギャザリング」の首席デザイナーが基本的に週刊で連載しているデザインに関する記事も、日本語化されている記事はすべて読んでいるし、英語のみの記事も一部読んでいる。ストーリーも基本的に追っていて、背景世界も把握している。ただ、昔のストーリーなどは正確に把握していない。実際にゲームプレイをしているかどうかは時期によるし、プレイしているフォーマットは基本的にドラフト・スタンダード・統率者で、キューブのような非公式フォーマットもプレイする。

 このようなプレイヤーは「マジック:ザ・ギャザリング」に熱心であると言えるだろうか? そして、それはプレイヤーの分類として使用する意味があるだろうか?

 方向性や度合いが多岐にわたりすぎ、難しい上に、分類することによるプレイヤー側の利益があまりないと考える。


競技性の有無

 本記事で取り扱いたいと思っている軸である。

 詳細は後述するが、この軸における分類に関しては、プレイヤーに明確な利益があり、積極的に行うべきだと考えている。


 まず、前提として、現代的なゲームは非常に大きい幅があり、それをプレイすることによって、プレイヤーの内面にもたらされる反応は非常に多様であり、あらゆる側面が存在する。

 とは言え、狭義のゲームは、『プレイヤーの選択がゲーム経済に影響を与え、優劣性のある評価を与える』ものであると定義するならば、それと相性の良い反応が存在するだろう。

 特にこの中でも、評価という優劣性があるために、対戦型ゲームであれば、『上達』と『勝利』という面を重視するプレイヤーは多い。

 そして、これらの側面を『最』重要視するプレイヤーこそ、競技性のある(ガチ)プレイヤーである、と本記事では定義する。


 逆に、それ以外の側面を重視するプレイヤーこそが、競技性のない(カジュアル)プレイヤーである。

 たとえば、『交流』にフォーカスしていたり、『研究』にフォーカスしていたりする。

 どういうことかと言えば、たとえば、「マジック:ザ・ギャザリング」において、環境で最も勝利しやすいと思われるデッキではなく、オリジナルなデッキにこだわるとか、好きなカードを使用するとか、ゲームの多面性のある楽しみ方の中でも、『勝利』や『上達』に結びつかないもの、あるいは、そこに相反するものを積極的に選ぶようなプレイヤーである。


 このように述べてはいるが、基本的には、このような分類は、デジタル(離散的・2値的)なものではなく、アナログ(連続的)なものである、と考えるべきだろう。

 競技性というある側面についてのみ考えたとしても、その軸における数値の大小という関係であり、明確に分けられるものではない。

 例えるならば、多次元的に広がるゲームに対してのスタンス、面白さの受け取り方、ゲームに対する反応というものがあり、そこに1次元の軸を通し、そこに投射した際の位置、という形に近いとイメージすれば、わかりやすくなると思われる。


 余談ではあるが、『ガチ』『ガチ勢』という言葉に対して、『エンジョイ』『エンジョイ勢』という言葉が使用されることもあるが、これに対しても対応するのは、この競技性に関する軸であると考えてよいだろう。

 この点からも、『ガチ』という言葉は、主に『競技性がある』という意味で使用されている、と考えることができると思われる。

 ただ、混同を避けるために、本記事において、以降は『競技』という単語を積極的に使用し、『ガチ』という単語は避けるものとする。


 また、あるゲームにだけ着目したとしても、その期間やフォーマットなどでスタンスの違いがあることも多いだろうし、大会などの上位ゲームに対しての取り組みとは別、というプレイヤーも多いだろう。

 たとえば、各ゲームに対しては競技的な姿勢を取るが、大会の上位などは気にしない(メタゲームや賞金、上位大会への権利などを意識しない)し、そこの『勝利』を求めていないプレイヤーなどは容易に存在しうる。

 このように、この部分だけを切り取っても、十分な複雑性はあるものではあるが、この記事では、基本的にはあるゲーム(プレイ・マッチ)に着目し、その部分における切り分けを行うべきだ、という主張になる。



分離の必要性

ゲームの共有性

 このように定義した場合、なぜ、競技プレイヤーと非競技プレイヤーを分けるべきだと筆者は考えているのだろうか?


 まず、前提として、マルチプレイヤーのゲームの特性について考える。

 一口に『ゲーム』と言っても、それが指している概念が厳密には異なっていることも多い。

 上記記事を参考に、厳密な言い方をするのであれば、マルチプレイヤーのゲームの場合、実体的ゲームは各プレイヤーで共有しており、一方で、それぞれが主観的ゲームを感じている、という言い方ができるだろう。

 この時、問題なのは、各プレイヤーの趣向が異なっている場合でも、実体的ゲームが共有されている、ということだ。


 一般的な現代のゲームが齎すプレイイデアが複雑性を持っており、そのどの部分をどれぐらい楽しんでいるのか、というのはプレイヤーによって異なっている。

 競技プレイヤーは、その定義から、『勝利』と『上達』を最重要視する。そうなるとどのようなことが発生するのか。

 非競技プレイヤーの楽しみを奪いやすいのだ。

 なぜならば、ゲームに『勝利』すべく、競技プレイヤーの技量は『上達』しきっていることが多く、それは他の楽しみが発生する余地を残しにくい。他のプレイヤーを素早く敗北に導いてしまうし、非競技プレイヤーはこのような側面に対応しきれていないわけだから、よりすぐにゲームが終了する。

 つまり、『勝利』や『上達』を目指すことによるゲームに対する最適化は排他的な性質を持つと言える。

 このため、競技プレイヤーが混じっていると、非競技プレイヤーは自身の楽しみを十分に得られない可能性が高まるのだ。

 また、これは競技プレイヤーにとっても問題だ。

 非競技プレイヤーは技量的に十分でないことが多いから、自身の技量を『上達』させるための糧になることはほとんどない。『勝利』だけは速やかに得られるが、それだけを欲しているプレイヤーは少ないだろう。(『勝利』だけを求めるプレイヤーは初心者狩りやバッドマナー、チートを行うことが多く、ゲーム作品全体で見て、問題なるため、対策が取られることが多い。大きく脱線してしまうので、本記事では軽く触れるだけに留める)

 マルチプレイヤーのゲームの場合、実体的ゲームを共有しており、相性の悪い組み合わせは存在する。競技・非競技の組み合わせはそれに該当するために、分離する価値がある。


プレイ人口

 また、競技プレイヤーは一般的にそれだけで十分な人口を持つことも、分離を促す理由の一つになり得る。

 上述しているように、狭義のゲームは、優劣性の付く評価が得られ、対戦型ゲームであれば、勝敗という形で通常は決する。

 加えて、この勝利に対するモチベーションが上がるような施策も多い。

 単純に勝利数に対応して利益が得られるようなゲームイベントや、シーズンにおけるランク、プロシーン、大小含めた大会など、あるゲームを起点にした上位ゲームも、『勝利』に対する利益が用意されがちだ。

 その結果として、競技プレイヤーは大きな割合を占めていることが多く、単体で分離しても十分に機能することが多いのは、ランクマッチや、大会などを見ても明らかであろう。


 一方、これは、筆者が非競技プレイヤーを細分化し、更なる分離をする必要がない、と考えている理由の一つにもなっている。

 もちろん、実際には、非競技のプレイヤー同士でも、互いが求めることが異なることもあり、これもまた、ガチ - カジュアルの議論が脱線しやすい理由の一つだと言えるだろう。

 しかしながら、上述の理由から、ただでさえ、非競技プレイヤーは少数派になりやすいとも言える。

 また、これはある意味では『その他』であるわけだから、非競技プレイヤー同士でさらに細分化が行われば、いくらでも分けることができてしまう。

 加えて、自分の求めるものが明確化しているプレイヤーの方が少ないだろうし、それを明確に言葉にでき、それぞれの相性なども鑑みて、正確に割り振りができる、などとすれば、それはもはや、専門家と言ってもよいレベルだ。そこまでコストをかけても、競技性よりは排他性が少ないだろうから、コストパフォーマンスはかなり悪い。

 確かに、厳密には排他性のある嗜好や、噛み合わせが悪いものもある。

 たとえば、『相手の苦しむ顔が見たい』という欲求を叶えるために、アナログの対戦ゲームを主にプレイしてるプレイヤーなどが考えられ、そのようなプレイヤーに対しては、(特殊なプレイヤーを除けば)相性の良いプレイヤーは存在しない、と言ってもしまってもよいだろう。

 ただ、一般的にはもっと微妙なラインにあるそれらをプレイヤーが厳密に把握し、それを判断できるかと言うと疑義があり、それぞれプレイヤーごとにプレイしてから判断する、というのが現実的だと言える。

 とはいえ、『その他』であるのだから、本質的には潜在的なプレイヤー人口はかなり多いと思われる。そのようなプレイヤーが、(近年はマシになってきたが)あまり目立たなかったのは、大会やプロシーンなどで競技プレイが過度に注目されていたり、ゲームデザイン側もそちらに集中していたから、という点が大きいのではないだろうか。

 将来的には、より細かな分離が必要になる可能性はあるし、ゲームによってはそのようにする理由がより強い、という構造・デザインも考えられるだろう。ただ、一般的には細分化のデメリットの方が大きいと考える。



事例

フォートナイト

 実際、多くのオンライン対戦ゲームにおいて、ランクマッチとカジュアルマッチは分離している。

 とはいえ、多くのゲームにおいては、ランクマッチがあまりにも一般的になってしまい、カジュアルマッチの方がその模擬戦であるとか、初心者と初心者狩りの場になりやすいとか、そういう問題があるように思える。

 個人的にプレイした範囲で、最もこの分離が成功していると感じたオンライン対戦ゲームは、「フォートナイト」だ。

 本作は、基本的なプレイがカジュアルマッチ、つまり、非競技プレイとなっており、競技プレイを行う動線が細い、という形になっている。

 また、競技プレイにおける報酬が少なく、非競技プレイにおいて、メインの報酬を用意していたり、競技プレイでは、競技性がより高くなるルールを導入しているなど、先進的な仕様が目立つ。

 本作の盛り上がりに寄与している大型IPのスキンは、ゲーム性を考えた時に不利になることも多い。たとえば、ダースベイダーの恰好は、真っ黒かつマントなので、遠くからも狙われやすい。しかし、このようなスキンが歓迎される状況こそ、本作を非競技的にプレイしているプレイヤーが支配的であるということを示していると言えるだろう。

 本作の大規模な成功を考えれば、このような仕様はもっと一般的になるべきだと思える。


マジック:ザ・ギャザリング

 「マジック:ザ・ギャザリング」は長らく運営されているTCGではあるが競技・非競技プレイの分離はまず、フォーマットによるものが試みられていると考えることができるだろう。

 大会でよく採用されるスタンダードやモダン、(現行セットによる)ドラフトには競技プレイヤーが多い、という印象だ。

 一方、フォーマットの声明の時点で非競技であることが強調されている統率者戦や、その他有志による非公式のフォーマットは非競技プレイヤーが多いだろう。特に、競技でないことを明確に宣言しているという点において、統率者戦は特筆すべき非競技のフォーマットと言えるだろう。

 もちろん、デッキの値段や、プレイ環境による状況で、競技フォーマットでも非競技プレイヤーはいるし、その逆もしかりだ。筆者も、スタンダードやドラフトを非競技プレイで遊んでいるし、そういったプレイヤーも多い。

 こういった場合、基本的にはプレイする環境で住み分けが行われていることが多いだろう。知り合い同士のプレイでは、競技レベルの度合いがある程度合っていることが多いだろうし、店舗における週末イベントなどは競技度が低いと言える。一方で、各大会やその予選会は、基本的に競技プレイの場となっているだろう。

(余談ではあるが、「MTG Arena」における競技・非競技の分離に対する試みは、比較的後進的で、あまり成功していないと考えている)


 また、非競技フォーマットの代表である統率者戦(EDH)ではあるが、不思議なことに日本では特に競技的にそれをプレイするという試みもされており、それは競技統率者戦(cEDH)として、遊ばれている。

 それを踏まえ、日本最大手の販売店である晴れる屋が主催する統率者イベントでは、競技の度合いによって、4段階の区分に分けている。

 これもまた、上述したように、競技・非競技の軸で見た時に、各プレイヤーの嗜好はアナログ的であり、それを2分するのではなく、4分する、という選択をしていることになる。(加えて言えば、この記事でも、カジュアルとガチという単語は、競技性の有無という意味で使用されている)

 また、デッキを複数持ち、状況によって使い分けるようなプレイヤーも多いようだ。

 これは、デッキという主観的な要素に対し、プレイヤーが調整を行うことで、上述してきた競技・非競技の度合いが離れているゲームプレイが発生しないようにしている、ということになり、このような試みが行われていることも、競技・非競技を分離した方がよい証左の一つになっているだろう。


 加えて、「マジック:ザ・ギャザリング」における統率者戦は、あくまで有志コミュニティが主導するフォーマットであったのだが、いくつかの事情があり、公式が主導するように変更され、それによって、この競技性における住み分けも、より適したものを公式が提供する形になりそうだ。

 これは、厳密に言えば、上述した競技性だけではなく、排他性のあるカード(端的に言えば、対戦相手に極度に嫌われやすいカード)を含めた区分にはなりそうなのだが、非競技(カジュアル)プレイを推し進めるルールの一つとして、大きな指標になりそうであり、注目に値するだろう。



結言

 本記事では、ガチやカジュアルと呼ばれる言葉には多重的な意味があることを整理し、特に競技性の有無という軸に関しては、プレイヤー側が認識する価値のある定義である、ということを示した。

 競技性は排他性のある性質を持っており、その有無によって、プレイヤーを区別すべきだとし、それによっても問題が生じない十分な人口を持っていることが多いという点を指摘した。

 また、実際にいくつかのゲームにおいて、どのような分離が行われているかの事例を紹介した。

 今後の記事では、この定義と分離の必要性を踏まえた上で、どのようなゲームデザインが望まれるのか、どのような点が現在のゲームには不足しがちなのか、というような点に関して、考えていきたいと思っている。

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