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震える雛鳥のような貴女へ
私が貴女を見るとき。
まるで、震える雛鳥のようだと思う。
貴女は前に進みたいと願いながらも、どこか過去の記憶に追われ、いつも心細げな、不安げな顔をしている。
貴女はそれをひた隠しに、なかったことにしようと、必死に自分の記憶と戦っているのだろうけれど、正直、私の目から見ればその横顔はとても美しく、ある夜、月下美人が密かに咲くように、鬼気迫る美しさがある。
それを、「いけないこと」とは思わない。
*
いつも弱さをさらけ出す貴女を見ていて思うのは憧れだった。
泣き顔は美しい。その胸に、どれだけの苦しみを抱えてきたのか?
貴女が抱えてきた辛さや孤独を心から理解できるから、きっと美しいなどと軽々しく言ってはいけないのだろうけれど。それでもなお、貴女の泣き顔は、人間として生きるすべてを内包していて、私の胸をえぐる。
*
人間らしい、という以上に、この世界で生きる宝はないと思う。
泣きながら、貴女は誰かを愛した。
泣きながら、貴女は人を愛した。
苦しみながら、恨みながら、その人を追い、その自分を恥じ、責めた。
全てが愛の循環の中にいて、貴女がそんな自分を嫌っていたとしても、何よりも美しい姿だと思う。
*
すべて、「愛した」からできたこと。
すべて、「愛があるから」起きたこと。
貴女の愛の重さに、私は愛し合うことの尊さをみる。人間だからこそ、できること。知性あり、言葉を得ている人間だからこそ、できていること。
*
多くの人が、自分の中にある激しい感情を認めようとしない。
認めようとしないというよりも、認めたくない。
それは、「自分はそんな人間ではない。もっと私はできて、素晴らしい人間なのだ」という理想とのギャップから誤解から来るものなのかもしれないし、「自分の中にあるこんな激しい感情、受け止めてしまったら、きっと気が狂ってしまう」という根源的な恐怖からなのかもしれない。
けれど実際は、感情を受け止めたとしても死なないし、気が狂ってしまうこともない。ただ、自分が「激しい感情がある」ということに耐えきれなかっただけ。
感じるときは怖い。
自分の中に、嵐がある。
でも、同時に、それはそれだけ人を愛せるということ。
*
あなたは泣いている。
それは、あなたが人を愛せる人だということ。
あなたは愛せる。
それ以上に、この世界で尊いことなどない。
あなたには、愛がある。
だからこそ、
今、泣いていたとしても、貴女は何よりとても美しい。