Scoot-2
不快な人間であればいっそいい。
善人と悪人の中間の凡庸で毒にも薬にもならない存在であるなら、死んでいるのと同じだ。
誰かを嫌ったり、好いたり、感情を表に出したり、謙遜をして、気を遣い、こういう人間であるのだと定義していく時間は醜く孤独だ。
いつかの誰かが、それを許せるようになればいい。さみしさを満たせるものが文字であるなら、誰かの文字になれることを祈る。それはかみさまがいるよりも、美しいものなのか?
そんな気持ちを込めて。ただ、この小説はつまらないものだから。手慰みの菓子になるほどの甘さがあればいい。
ここまでが日記です。
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柔い朝を街が迎えた。窓から見える橙色の花は朝露に濡れているし、雀の鳴き声だけが耳に入ってくる。満たされた朝だ。キッチンからはコーヒーの匂い。淹れたてなのか、香ばしくてどこか酸いようなにおいがする。ベアトリーチェは、繰り返される幸福に慣れてしまっている自分にどこかおかしさを感じた。ただ平穏でさえあれば良いと思っていても、”幸せ”になってしまった。そんな事を言えば、不幸せな人間がこぞって自分を攻撃してくるだろうし、でも、そうして犯罪者になってさえしまえれば彼らも――ある種の特別感と、幸福を得るだろうとも、彼は思った。
彼――ベアトリーチェという男は、恵まれている。彼のことを知る誰もがそう思うだろうし、知らない人間ですら一目見るだけで理解するだろう。彼が特別な存在であると。
かつて人類は戦争を放棄した。放棄した末に得た平和を享受するために、幾度となく国の代表たちが踊らぬ会議を繰り返した。否、踊ってはいたのかもしれないが、ダンスはいつか終わる。ホールに響く音楽が止まれば、そこが終点なのだ。終点を、一つだけ彼らは見つけることが出来た。
全てを無くしてしまおう――投げやりのようにも思えた誰かの案はどうしてか受け入れられ、あれよあれよという間に世界からは国という概念が消えた。地球上にたった一つの共通政府が作られ、全人類はその指示に従う。そして、国は十分な補助金をたっぷりと”国民”に配るのだ。ディストピア的な粛清や監視なんてナンセンスだ、国民を幸福に、豊かに、そして、選ばれた者には祝福を。罪を犯す人間には、scottを。どうしても抑えられない衝動があるというのならば、発散させてやれば良いのだと。ただ、与えましょうと――それが理想の世界だ。
旧ドイツ地区の科学者ベアトリーチェ・アルが、そう言った。彼女は、ベアトリーチェという恵まれた男の母親でもあった。いつの間にか政府の中心の椅子に彼女は座り、アンドロイドを排除し、神を排除し、ただふたつ、生命を生み出した。自分の子供と、”つまらないもの”を、ひとつずつ。
彼女が生み出したつまらないものは、全てに使われることになった。まだ若い科学者が、如何やって政府を説き伏せたのかは誰も知らない――否、知っはいけない、ノーマンズランド、メスを入れてはいけない場所なのだろう。scottを与えられた人間は、それらをどう扱ってもいい。機械のように使ってもいいし、殺したっていい。新しいものが来るだけだから。一生傍にいたっていい。彼らは老いないが、必要があれば老いたソレを作ればいいだけだから。食ったっていい。悲鳴を上げるが、あなたはそれを楽しみたいからそうするのだろうから。
ただ、しあわせに。あなたが、しあわせになればいい。そう願うのだと、ベアトリーチェ・アル博士は国営放送で穏やかに笑いながらそう言っていた。満たされた完璧な世界に神は必要ないのだと、彼女は論文に記した。勿論、全ての人類が幸福に暮らせる世界なのだから、人々が神を求めるのなら、そこに神は存在するのだろう。けれど、創造主はもはや神ではない。つまらないもの、それ、scott、そして、それを享受するあなたにとっては。
被創造物が被創造物を生み出すには繁殖が必要だ。繁殖を必要とせずに生み出すことが出来るのは、創造主のみである筈なのだから。筈だったのだから、ああ、そうだ、そこのあなた、あなたは、あなたは、あなたは、もう分かっていますか?わかっていますよね。あなただって、幸福になりたい筈ですから。あなたのことです。
完全で満たされた幸福な世界に神は必要ない。満たされないからこそ神が必要なのだ。だから、満たされない、誰か――あなたこそ、幸福であって。
そのための神様が、そこにいる、世界の、はなしです。
2話 終