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01MESSENGER
小説の指南書のようなものをいくつか読んでいると、「書くネタに困ったら?」という項目に出会すことがある。
きっと読者の食いつきがよく、議題にあがるテーマなのだろう。
そしてこの問いに関しては精神的なアプローチを教示してくれるパターンと具体的なテーマを提供してくれるパターンの2パターンの回答があり、前者は「それでもとにかく文字を連ねなさい」といったやや無茶苦茶な根性論で乗り切っている場合もあった。
参考になるのは後者の方で、その多くは「家族のことを書け」と書いてある。作品が支持される要素の一つに「共感しやすい」という点があって、「家族」というテーマは多くの人の共感を得やすいのだろう。家族が一人もいない、という人もいるとは思うが、多くのテーマの中から最大公約数を出せば「家族」というのは間違いないと思う。
家族間での問題を描くのもありだし、家族の何気ない日常を描くのもありだろう。
最小単位の、しかしながら極めて濃密な関係性の人間たちを描くのは誰しも興味の惹かれる部分である。破綻や綻びから浮かび上がるものや単純に過ごす時間の長さなど、小説の題材の縮図のようなこの集団はネタの宝庫なのである。
さて、ここからが本題である。
小説ならば「家族」をテーマに書けばそれなりに体裁は保てると思う。
ところがこれがことエッセイになったらどうだろうか? エッセイと言えば聞こえは良いかもしれない。随筆でも雑文でもなんでもいいけど、とにかく小説ではない文章でネタに困ったらどうしたらいいのだろう?
もう、はっきり言ってしまうと、ここまでうだうだ書いてきたけれども、今日は書くことが何もないのだ。
一応、今年になってから毎週月曜日に記事をアップしているけれども、そう毎週毎週書くことなどない。
そんなに劇的な人生を送っているのなら私小説ばかり書くだろう。
でも、何もない。
今日なんて家出た時には晴れてたのに、出先で雨に降られて、「もぅ」と思っただけだ。実際そんなにびしょ濡れになるほどの雨ではなかったので傘など買わなかったし、でも、濡れるのは濡れるぐらいの雨量だったので、「もぅ」と思ったし、実際小声で「もぅ」と言った。
46歳のおっさんが小声で「もぅ」とちょっとだけ怒った。
それが今日起こった僕の全てである。
これだけの食材でどう料理すればまともな食事が作れるのだろうか?
冷蔵庫開けたら牛丼屋から大量に持って帰ってきた小分けされた紅生姜しかない。
そんな状態で美味しい料理なんて僕には作れません。
助けてください!
と、ここまで書いて思い出したのだけど、昔、芥川龍之介の小説で電車に乗って駅に着いたら夏目漱石に似た人がいたから声をかけようとしたけど、よく見たら別人だったし、もっとよく見たら全然似てもなかった、というのがあった。
やっぱり芥川は天才だ。
何にも起こってないのにそれを小説にしてみせたのだ。
僕も見習わないといけない。
ちょっと雨が降って、傘も持ってなかったのでちょっと濡れて「もぅ」と小さく怒ったけれど、よく見たら全然濡れてなかったし、もっとよく見たら雨も降ってなかったし、冷静になってみたら家から一歩も出てなかったし、もっとよくよく考えたら僕もう死んでたし、もっともっとしっかり考えてみたら僕は元々生きていた人間の脳で、ホルマリン漬けの状態を経て、博士の元で意識を機械に引き継いで死を超越して脳だけで生き続けているマザーコンピューターなのだった!
ハッハッハッハッハッハッ
・・・・・・・・・・・・まあ、こんなもんですよね。
ちなみにエッセイや随筆などでネタがない場合は「夢」の話をするのがいいのだそうです。寝るときに見る「夢」ね。理由は「家族」と一緒で夢を見たことがない人なんていないからです。
来週「夢」の話してたらすみませんね。
それではおやすみなさい💤