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バズラナイトイヤー2022
なんだかよく分からないけどバズってる人がいる。
noteでもなんだかよく分からない「みぃの手のひら日記」みたいなのが記事をあげるたびにバズっていたりする。
内容は食べたランチや行ったヨガスクールの話。
これにコメントがついている。
「みぃさんの生活サイクル憧れます!」
「みぃさんの部屋おしゃれすぎる!」
「私も水素水始めました!」
……
……
いや、水素水はさすがに古いか。
まあ、とにかくそんな感じです。
YouTubeでもそうです。
なんだかよく分からない3人組の男女が2回に1回の割合でドッキリをしているような内容のないチャンネルがバズっていたりする。
んー、よく分からん。
もうオジサンなんだろうか。
昔は大衆の心を掴むものに一定の理解ができた。
というか、面白さが理解できた。
「水曜どうでしょう面白いよ」
「えー、地方の番組でしょ? ホンマに?」
で、観てみたら面白かった。
「ミスチルいいよ」
「えー、ホンマに? ちょっと聴いてみるわ」
で、その後大ブレイク。私もどハマり。
ということがほとんどだった。
なのに今は何が良いんだかサッパリ分からないものが支持を得ている、ような気がする。
ダラダラ観るのにちょうど良い、など求められるものが変化してきているのも十分に理解しているつもりではいます。
だけど、知らない人たちのドッキリとか全然興味がわかないし、理解が追いつかない。
これって感性が鈍ってきてるんですかね?
昔は圧倒的なものに対して惹かれる人が多かった気がする。でも、それこそがその世界のレベルの底上げに繋がる。
今は圧倒的じゃなくていい、なんならやってることは自分と同レベルがいい、という目線で対象を見ているんですね。
圧倒的な歌唱力の歌手より一緒にカラオケに行っても自分が恥ずかしくならないぐらいの同等な歌唱力の人を求めているんです。
下のレベルの人が芸の質や価値観を引きずり下ろしている。
悪い意味での大衆化がどんどん加速していってるんですね。
ただ、質の高いものを求める人も当然一定数いて、その両極化がまた急速に進んでいくのだろうと思います。
そう思うと別にバズらなくていいかなぁ、とも思います。
細々とコアな人にだけ伝われば、というのが自分にも合っている感じがしますしね。
というわけで今日も寒い喫茶店からこの記事を書いているんですけど、多分あんまり読まれないだろうから、今度からオシャレなカフェに行って、オシャレなランチの写真を載せて、オシャレなコメントを添えたいと思います。
小さなことからコツコツと。
では、また。