ヤマケンが語る息子・山本空良「Uを受け継ぐ選手がUFCで勝つことでUWFは完結する」
――今日はですね、「こじらせU系」の皆さんが大好きなゲストにお越しいただきました。山本喧一さんです。ヤマケンさん、よろしくお願いいたします!
ヤマケン よろしくお願いします。
――このDropkickメルマガの読者は主に30代・40代が中心で。UWFや、その流れを受け継ぐRIZINが大好きなんです。UWFインターナショナル出身のヤマケンさんの息子・山本空良選手が先日のRIZINで勝利を収めまして、4月大阪大会にも出るということで、ぜひお話を聞かせていただけないかということで。まずはRIZIN TRIGGER静岡大会勝利おめでとうございます。
ヤマケン ありがとうございます。
――秒殺KOというすごい勝ち方だったのに、セコンドのヤマケンさんは喜びもせず冷静でしたね。
ヤマケン それね、言われましたね(笑)。
――やっぱり言われますよね(笑)。
ヤマケン なんでかというと、相手がのされてるのに、セコンドのボクが盛り上がってるのも、なんかいただけなくないですか。関節を獲って勝ったりするんだったら、相手の意識もあるし、喜んでもいいのかもしれませんけど。打撃で倒れてしまったわけじゃないですか。やっぱりちょっと神妙になりません?
――そういうもんなんですね。
ヤマケン 自分の選手が勝って嬉しいというよりも、相手のことを心配しちゃうんです。周りに気を使うタイプなんです、意外と。
――意外と(笑)。それはやっぱりUインターの新弟子時代に礼儀なんかを叩き込まれたっていうことなんですかね。
ヤマケン そうですね(笑)。気を使うということはびっちり教え込まれたと思います。まず人のことを心配して、解決してから喜ぶ。そのクセがついてるのかもしれないですね。
――「この勝利じゃまだまだ」と気を引き締めているところもあったんですか?
ヤマケン 多少はあったと思いますけど、やっぱり相手のことも心配でしたね。息子は嬉しがってましたけど、「あんまり喜びすぎなよ」って心の中で思ってました。
――厳しいですね(笑)。
ヤマケン インパクトのある勝ち方はできたとは思うんで、それはそれでよかったんですけど。セコンドのボクが冷静じゃないとダメだと思うんですよね。やっぱり選手は興奮するもんじゃないですか。それで試合後に言っちゃいけないこととか、やっちゃいけないことの区別がつかなくなることもあるので。……やっぱり若いときのボクもありましたね(笑)。
――たくさんあったような気がします(笑)。
ヤマケン ハハハハハハ。やっぱり参謀や軍師、セコンド、コーチとか、そういうメンターがちゃんといる選手は違うと思いますよ。いまは彼が現役で主役ですから、裏方としての仕事をちゃんとしようと。できるだけ目立たないようにとは思いつつ……。
――試合後すぐにヤマケンさんにカメラが向けられましたからね(笑)。
ヤマケン なるべく目立たないように、という気持ちがあります(笑)。
――RIZINデビュー戦の鈴木千裕戦は判定で負けちゃいましたけど、試合後に何かアドバイスはされたんですか?
ヤマケン 当面は日本最高峰のRIZINを目標にしてたので、そこのステージに来られた喜びはあって。言うてもTRIGGERですからナンバーシリーズはないんですけど、スタッフには知った顔の人たちがいっぱいいる。お父さんは昔はこういう人たちと一緒に仕事してたんだぞ、という会話を彼がちっちゃいときからしてたんで。そのステージに来られた喜びが大きかったんですよね。本人からしても、高校野球からドラフト指名されてプロ野球に入る感覚なんです。そうしたらですね、舞い上がっちゃって(笑)。
――ひとつの目標が達成できたことで。
ヤマケン それで空回りしちゃったんですよね。距離感もむちゃくちゃでしたし、相手が距離を取って戦ってんのがわかってんのに、無理くりにこじ開けようと殴り合いをして。自分から相手の土俵に上がってしまったんですよね。
――もったいなかったですよね。1ラウンドで極めるチャンスもあったから。
ヤマケン 彼がすごく打撃に自信をつけてきてた時期だったんですよ。相手は打撃の専門家で寝技の心配があったり、いろんな緊張があると思うので、それらを考慮して考えたときに自分のストライキング能力でもいけるんじゃねえの?という過信、軽率さがあったと思うんですよ。冷静に「寝技に持ち込むように」と言っていたんですけど、本人は「わかりました」と言いつつ殴るんです(笑)。
――熱くなっちゃったんですね。
ヤマケン 相手に影響されすぎちゃって、相手を見すぎちゃって。あとウチの息子はFighting NEXUSのフェザー級のベルトを獲ったあとに肩の手術をしまして。脱臼癖があったんですよ。術後6ヵ月後にRoad to ONEの試合があって、TRIGGERは8ヵ月後だったんですけど。まだ稼働域がちゃんと広がっていなかったのと、多少の痛みがあったりして、左の肩がまだうまく使えなくて。たとえばタックルにしても完全にはできなかったんですよね。彼の中でそれはそれで残ってる武器で戦えばいいだけの話なんで、余計にストライキングでやってみたくなったんではないか。カッコつけたんじゃないかと(笑)。
――お父さんの目からはそう見えるんですね。
ヤマケン おいしい相手だなと本人も思ってたはずなんですよ。キックのチャンピオン相手に打撃で倒したら、一躍注目されたりするんじゃないかと。やっぱりボクの血を引いてるので、目立とうという精神があるというか(笑)。勝ち方や内容にこだわる気持ちはどこかあるんだと思います。それは逆にいえば、命取りになったり、勝敗に繋がらなかったり、いまのこの競技では仇になることはあると思うんですけどね。
――ヤマケンさんの血を受け継いでるんだったらしょうがないな、って思っちゃいましたけどね(笑)。
ヤマケン ハハハハハハ。そこを超えて、さらに強くなればいいだけじゃないですか。結局はリスクを背負って客を楽しませるような試合をしても最後に勝っちゃう。そこから桜庭和志が生まれたと思うんですね。その現代版の選手が出てきてくれれば、RIZINも面白いんじゃないかなって。ウチの息子がそうなれるように仕込んできたつもりです。
――いい勝ち方をしたことで、続けてオファーがあったわけですけど。相手は中村大介。キャリア最大の敵ですね。
ヤマケン たしかに中村選手はつい最近もDEEPでタイトルマッチをやってますし、息子とは20歳ぐらい歳が違うのかな。過去最強の敵が現れたって感じですよね。しかもU系。
――中村大介戦のオファーがあったときはどう思われましたか。
ヤマケン 「ああ、きたか」って感じですね。RIZINっぽいなと。
――たしかにRIZINっぽいですよね。
ヤマケン ウチの息子ってRIZIN映えすると思うんですけど。TRIGGERシリーズの波にうまく乗ったというか、ちょうどいいタイミングだと思ってまして。ちょっとでも息子の成長が遅れたり、何かあると間に合いませんでした。肩の脱臼癖もRIZINやUFCとか将来のことを踏まえて手術を受けさせたんですよ。以前は試合中に肩が外れて自分で入れ直してましたから。
――そんな状態だったんですね。
ヤマケン RIZINのアマチュアで優勝(2017年)したときも、途中で肩が外れながらトーナメントを勝ち抜いてるんです。最初はUFCに行ってからアメリカで手術すると。向こうのほうが腕がいいからって言ってたんですが、いい先生に巡り合えたんで、手術をやる決心をしたんですけど。やっぱりそろそろ直さないとマズイんじゃねえかなってことで手術したんですよね。いま思えば不安はありましたけど、そうしたらTRIGGERの流れがあって、前回のKOもあってまたオファーをいただいて。
――タイミングはバッチリなんですね。
ヤマケン 山本空良というキャラがもうちょっと伝わってからのほうがいいんじゃないか?っていう方もいらっしゃったんですけど、ボクはそう思わなくて。ウチの息子が出てくるのが遅れたら、中村くんもあと何年やれるかわかんなかったんですよ。PRIDE時代からU系の選手がこうやってまだ現役でやっていることで、PRIDEがなくなってからRIZINまでの空白の8年間があったとしても、日本の格闘シーンの中でU系の選手が活躍を止めたってことはないですよね。
――なんとか続いてますが、いま巡り合わないとバトンが渡せなかったかもしれないですね。
ヤマケン そうなんです。このタイミングはベストだったんじゃないかなと思ってまして。ウチの息子のポテンシャルって、まだまだ発揮されてないので。練習してきたことを考えたら、全然まだまだ出せてないです。高い目標を持って日々トレーニングしてきてますから、それを発揮できる最高の相手なんじゃないかって思ってますね。
――中村大介選手の師匠はヤマケンさんとも因縁のある田村潔司さんですけど、そこにもドラマはありますね。
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