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プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」■斎藤文彦INTERVIEWS
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2016年2月に掲載されたプロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」原稿を再録します。
モントリオール事件■97年11月9日、WWF(現WWE)のカナダ・モントリオール大会中に起きたベルト強奪事件。ライバル団体WCWへの移籍が内定していた当時のWWF王者ブレット・ハートの試合中、団体オーナーのビンス・マクマホンの指示によりブレッドの負けが突然宣告。事前に決められたストーリーと違う展開にブレットは激怒し、バックステージでビンスを殴打した。プロレス史上最大の裏切り事件と呼ばれている。
――今回はWWEのモントリオール事件についておうかがいします。なぜモントリオール事件を取り上げるかといえば、最近ある格闘技団体の試合中に「これはもう危ない」と判断した主催者がタオルを投入して試合を終わらせたんですが、じつは勝敗を決するような攻防ではなかったということがあって。
フミ 主催者の判断で試合を止めてしまったんですね。
――負けにされた選手がもの凄く不満を漏らして、主催者との関係が悪かったことも匂わせていたので、すぐにモントリオール事件を思い出してしまったんです。あの事件はプロレス史に残る政治的トラブルだったので。
フミ まずモントリオール事件を簡単に説明すると、97年11月9日の『サバイバー・シリーズ』のメインイベントで、ブレット・ハートvsショーン・マイケルズのWWF(現WWE、以降WWE表記)世界ヘビー級王座のタイトルマッチが行われた。すでに王者ブレットがライバル団体WCWへの移籍が決まってる中、挑戦者のショーン・マイケルズがシャープ・シューターを決めた瞬間、ビンス・マクマホンがリングサイドに現れ、レフェリーに命令して試合を止めて、ショーン・マイケルズの勝利をコールさせた。
――ギブアップしてもいないのにこんな裁定を下されて、ブレットはビンス・マクマホンの陰謀だとして大激怒したんですね。
フミ そもそもシャープ・シューターはブレットの必殺技だったし、2人は犬猿の仲だった。それにこの大会はブレット・ハートの地元カナダで行われていたんですね。
――こんなかたちでの敗北は、ブレット・ハートとしてはありえないわけですね。
フミ 一番のポイントは、WCWに移籍することが決まっていたブレット・ハートは、WWEのベルトを翌日のロウで返上するつもりだった。そしてその案をビンスは了承していた。つまり、この王座転落は、ビンスがレフェリーに命じてライバル団体に移籍する「ブレット・ハートの敗北」を強引に演出したもの。ブレット・ハートはビンスにハメられたんです。
――プロレス史上最大の裏切り劇が、大観衆の目の前で行われたんですね……。その後、WWEは全米統一を成し遂げますが、唯一帝国に危機があったとすれば、このブレット・ハートの流失も招いたWCWからの度重なる選手引き抜きですよね。WCWの魔の手がビンスのまさかの決断を誘ったというか、「このまま傷をつけずにWCWに移らせてたまるか」と。
フミ だからモントリオール事件を語るには、「マンデー・ナイト・ウォーズ」というWWEとWCWのテレビ戦争にふれないといけないんですね。毎週月曜日の夜にWWEが「マンデー・ナイト・ロウ」、WCWが「マンデー・ナイトロ」というプロレス番組を全米生中継していて。
――曜日や時間帯、番組名もモロ被りだったんですね。
フミ WWEはのちに「ロウ・イズ・ウォー」というタイトルに変えたんですけど、先行していたのはWWEのほう(93年1月放映開始)で、WCWが同時刻に新番組をぶつけた。始まったのは95年9月からです。
――まさに『オレたちひょうきん族』と『8時だョ!全員集合』のプロレス版ですね。
フミ なぜWCWが戦争を仕掛けたのか。WCWは「テレビ王」と言われたテッド・ターナー率いるTBSグループ企業の中のプロレス事業部。ターナーはプロレス経営にはタッチせずに、エリック・ビショフが副社長として陣頭指揮を執っていた。ビショフはAWAの元リングアナウンサーだったんだけど、そこまで上り詰めたんですよ。あるときTBS上層部とのミーティングの中で「なぜWWEに勝てないのか」ということが議題に上がった。WWEは90年代に入って『レッスルマニア』の回数も重ね、日本のプロレスファンが思っていた以上に、世界制覇に王手をかけていたわけです。
――世界制覇目前だったんですね。
フミ WWEとWCWの力関係は9対1くらいで圧倒的な差があった。WWEの世界制覇の話をすれば、どこまでさかのぼればいいか迷いますけど、プロレスの「1984」体制――。「1984」といえばジョージ・オーウェルが1984年に書いた近未来小説ですね。全体主義国家によって管理された近未来の恐怖を描いたSF小説。実際の1984年に何が起きたかといえば、ビンス・マクマホン・ジュニアが前年の83年に父親ビンス・シニアからWWEを買い取り、当時世界最高峰と言われたNWAから脱退して、全米侵攻プロジェクトを始めた。
――なるほど。いまのプロレス界はいわば、WWE「1984」の管理体制の中で生きているともいえるんですね。
フミ 70年代80年代前半までのプロレス界は地方分権の時代だったけど、WWEはテリトリー制のプロレスに風穴を開けようとした。WWEだけで全米ツアーをやっちゃおう!と。テキサスにはフリッツ・フォン・エリックの鉄の爪王国があり、ミネソタやシカゴの北部から中西部にはバーン・ガニアのAWA帝国があったり。どこにもそれなりの大きさのテリトリーがあったんです。テリトリーというのは日本語で「縄張り」ですね。
――WWEは各地のその縄張りを破壊しようとしたわけですね。
フミ それをやってしまったのがWWEの全米侵攻、1984年に起きたんです。最終的にWCWを滅ぼして世界征服をはたすのが01年だから、なんだかんだ17年はかかってるんですけどね。
――当時のプロレスラーや関係者、ファンは、WWEの「1984」をどう見てたんですか? 「うまくいくわけないよ」と思った人がいても不思議じゃないですけど。
フミ そこは「1984」が起こらなくても、地方分権時代は緩やかに崩壊していったんじゃないかと思います。当時ボクはミネソタの大学に通っていたからわかるけど、その街にいけばその街のプロレスがあったんです。ところが80年代前半にケーブルテレビの全米中継が普及してくるでしょ。ケーブルテレビが見られるようになると、アメリカ全土にはその街以外のプロレスがあることがファンにもわかってくるわけですよ。
◎WWFvsWCW月曜テレビ戦争
◎90年代の「ポスト・ホーガン」
◎ブレットvsナッシュの思想闘争
◎ブレット奥さん「ビンスを信じていない」
◎ショーン・マイケルズ戦で何が起きたのか……まだまだ続く!
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