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齋藤彰俊インタビュー①「名古屋の街の風紀を正していた高校時代」

齋藤彰俊インタビューシリーズ開始!1回目は高校時代のヤバイ話です!(聞き手/ジャン斉藤)

――齋藤選手は高校時代、「新選組」というグループのリーダーとして名古屋の街の不良たちを取り締まっていったそうですが、自分たちも不良だという意識はなかったんですか?

齋藤 いや、どうなんですかね。 どちらかというと悪い人たちを いい方向に導くという意識でしたけど、悲しいかな、服装などを含めて一般的にはそういう評価はされてなかったのかなと(苦笑)。

――ハハハハハハ! それって愚連隊ですけど、そういう文化が名古屋にあったんですか?

齋藤 というわけではないんですけどね。自分が通っていた中京高校はですね、浅田真央選手が在籍したり、いまや男女共学で偏差値が高くないと入れない高校になりましたけど、当時は願書を提出に学校に行くと、校舎から瓶が飛んでくるようなところで(笑)。

――どんな歓迎ですか!

齋藤 いまは違いますけど、当時は「享栄を見たらすぐ逃げて、中京を見たら110番」と恐れられるくらい荒れていた時期でしたので。不良がカッコいいと思われていた時代でしたし。


齋藤 その中京高校の入試を一度、落ちているんです。

――「中京を見たら110番」から拒否されるって! 水泳でも期待されてたんですよね。

齋藤 面接で「君は親と意見が合わなかったり喧嘩になったときどのように対応しますか?」という内容のことばかり聞かれ、変だなとは思ってましたが、その当時はいまよりも三白眼が酷く「外観と話した雰囲気で落ちた」と水泳部の監督から連絡があり、再面接でなんとか受かることができました。

――三白眼が原因(笑)。もちろん番長だったんですか?

齋藤 まずは学校内でも争いがあるわけなので。校内で過ごしやすくするために、まずは自分の中で“心のテリトリー”を作らないといけませんので。当時からプロレスも好きでしたので「いつなんどき誰の挑戦でも受ける」と(笑)。

――ハハハハハハ! まずはクラスから締めていったわけですね。

齋藤 そうですね。そこは別に話し合いがあったっていうわけじゃないんですけど、 態度や威圧感、ちょっとした身体のコンタクトによって過ごしやすい環境が作られていって。

――そこで揉めるようだったら身体のぶつかり合いがあると(笑)。

齋藤 それをやらないと過ごしにくいですから。1年生のときに、もうひとり強い奴がいると聞いたんですよ。それが松永(光弘)だったんですよね。

――運命的な出会いですね!

齋藤 松永とは腕相撲ぐらいはしたことありますけど、なんとなく気が合って仲良くなったんです。松永はその頃から知能犯で。何か自分の悪口を言った・言わないで揉めたときに職員室に逃げ込んだんですよ。職員室なら何もしないだろうと。でも、先生に事情を説明したら「それは松永を悪い」ってことになりましたね(笑)。

――先生もすごいですね(笑)。松永さんも新選組の一員で。

齋藤 自分が初代総長をやらせていただいて。 メンバーは20人くらいかな。名古屋には栄という中心地があるんでしけど、そこで風紀を正す活動をしてたんです。長ランを着ている奴に「それ、ちょうだい?」と言って。

――齋藤選手はどんな格好してたんですか?

齋藤 ……長ランですね(笑)。

――街の風紀を乱してますよ!(笑)。

齋藤 たとえばですよね、マル暴もそういう方々を取り締まりますけど、格好はそういう方々と変わらないですよね。

――デンジャラスなロジックですね(笑)。

齋藤 そうやって活動してると、普段悪いことをやってる人たちも陰に隠れるわけですよ。

――「新選組が来たぞ」と。

齋藤 なので、グループの中で見た目も格好も普通の子を先頭にするんです。そこから20メートル、 30メートル間隔で2人、3人、4人とあとについて歩いて。先頭の子に誰かが絡むわけですよね。そうしたら「どうした、どうした?」と一斉に取り囲んで。

――罠を張って獲物をおびき寄せる(笑)。

齋藤 そういう活動をしておりました(笑)。

――本職の方とは衝突しなかったんですか?

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