つれづれわびて #3
探さないでください。でも,見つけてください。
今日もひどく個人的な体験から。
子どもの頃から現在に至るまで,失くしものが多い。輪をかけて深刻なのは,探しものの下手さだ。あれ,どこ置いたかな?たぶんここかな?と思ってゴソゴソするも見つからず,別の場所かな,とあちこち探しても当然見つからず,途方に暮れる。
そのまま完全に遺失する場合もあるが,大抵は忘れた頃に再会する。別離の後に再開する場所は次の二か所が多い。一つは,最初に「たぶんここなんだけど」と探した場所の近く(鞄のポケットの奥の奥など)。これは普段の習慣や,自分の行動のかすかな記憶をたよりに探しはじめて,初手は正しかったが続く展開あるいは最後の詰めを誤ったパターンだ。もう一つは,全く思いもよらぬ場所に置いてしまった場合。曖昧な(時には捏造された)記憶に基づいて熱心に探すも,完全な空振りに終わる。
目的のブツが隠れている場所にこれら両極のパターンがあるので,探しものの際にどこまで記憶や直観に頼ったものか定まらない。捜索中は基本的に疑心暗鬼である。「ソコを探しても無駄だよ」「イマ探しても出ていかないよ」という何かの声がどこかから聞こえてくる。
さて先日,一年近く探していたものをついに見つけた。
今回は実在のものではなく,頭にこびりついていたメロディー。
この旋律,むせかえるような哀愁はきっとブラームスだよなあと思って時々youtubeなどで検索していたが,一向に見つからず。今回は上記の記憶と捜索の分類でいうと完全に後者で,探すところを間違えていた。てっきり弦楽のカルテットかクインテットと思い込んでいたけど,隠れていた場所はチェロソナタだった(第1番,Op. 38)。ブラームスくんみぃーーーっけポコペン!!
再会のきっかけは,家にいる時間が長いので,ついに音楽サブスクに手を染めたことだった(Amazon Music Unlimited)。ブラームスを適当に聴いていたら,あの旋律が。その後も次々と忘却の彼方にあった音楽たちと再会している。すごい!すごいぞunlimited!
ただ,こういう場所で見つけてしまうと,「ああ,もう失くならないんだろうなあ」という一種逆説的な哀しさを感じることもあったりして。フィジカルなものは,触知できる確かな存在感と同時に,いつ失くなるか分からない緊張感もまたあるように思うのです,私のようなものにとっては。(借りパクしたりされたりで繋がる何かもあったりなかったり。)
ライブでその場限りの音楽聴くときの必死さとか陶酔感にもつながるのかな。これもしかして,ベンヤミンさんのいう芸術の光輝とか一回性ってやつなのかしら。ちょっと分からなくなってきたけど,しばらく,探さないでください,でもいつか,見つけてください。
(追記)最近知り合いのツイートから,もう10年くらい聴いていないアーティストと再会した。当時は頻繁に聴いていたがipodの容量的に押し出されてout of sightしてから,すっかりout of mindしていた。こういう再会もいいもんですね。しかし,このたぐいの「失くしかた」はなくなるかもしれない。容量という概念すら消えつつあるから。今の30代以上は,レコード,カセット,CD,MD,ipod/itunes, サブスク,と音楽メディアの目まぐるしい変遷を経験してきたが,この先も進化するのかな?それとも安定かな?