人を育てる時にできることはタカが知れている
人は誰かに育てられるのか、勝手に育つのか。
主にエンジニアの育成論でTwitterのタイムラインに流れてきた話題だけど
エンジニアに限らずどんな業界でも後進育成が必要な場面はあるはずで
自分なりの育成論みたいなものを書いてみようと思う。
一応基本的な自分の考えは140文字ジャストでまとめてみた。
このツイートだけで言いたいことは大体言えてるんだけど
あえてnoteに書こうとしてる内容は以下の3つ。
1. 人が変わるのはいつだって自分の意志
2. 真の意味で「勝手に育つ」人はいない
3. 誰かのきっかけになれるのは誇らしい
1. 人が変わるのはいつだって自分の意志
これはある意味では自分への戒めでもある。
良い経験をしたり良い話を聞いたところで
その先に活かせるかは自分次第、
だからサボるんじゃないぞ、と言い聞かせてみたり。
後輩からなにかしら相談をされた時に
1から10まで答えを教えてしまうようなことを戒めるためだったり。
そもそも誰かの正解が自分の正解だとは限らないわけで、
人から聞いた話はヒントにはなっても答えにはならない。
それで自分が失敗するなら自分の責任で構わないけど
自分を信頼して相談してくれた誰かに対して
無責任なことをいうわけにはいかない、という思いがある。
だからこそ出来ることは機会を提供することと
気づきのきっかけになるかもしれない何かを渡すことくらい。
子育てはまさにこれがそのまま当てはまる事例であり
タメになる(はずの)100の話より、1回新たな体験をしたほうが
子供は大きく成長する。
だからこそより多くの機会を得られるように
そこで何かのきっかけを掴んでくれるように
ただそう願っては見守ることしかできない。
向き合う事象のレベルが異なるだけで
仕事における後進育成もこれと全く同じだと思う。
人に対して「こうなってほしい」というのは
ハッキリ言って傲慢だ。
死ぬまで面倒を見続ける覚悟なら構わないかもしれないが
子育てだってせいぜい20年、仕事の後輩ならせいぜい数年。
自分が関わらない人生の方が圧倒的に長いのだから
その人の人生を変えようとしすぎてはいけないと思う。
常に相手の意志を尊重したい。
2. 真の意味で「勝手に育つ」人はいない
育てることができないということは
人は結局勝手に育っていく、ということかというと
決してそういうことではない。
自分は誰にも育てられず勝手に育った、というのも否定はしないが
冷静に歩いてきた道のりを見返してみれば
必ずどこかで誰かからきっかけをもらっているはず。
エンジニアに限った話でもないのかもしれないが
「最近の若い人たちは自分で勉強してスキルアップする意欲がない」
という話を何度も聞いたことがある。
自分たちの時は違った、という話だ。
ただこれもよくよく話を聞いてみると
結局「自分たちの時」は大炎上プロジェクトなどを経験していて
そこで大きく成長した上で
自分に足りないものを自覚したり、もっとこうしたいという欲が出たり
もしくはその炎上中に必要に迫られた結果必死で勉強したり
その結果行動に移したから今があることがほとんどだ。
確かにそこで行動に移せることは素晴らしい。
そうではない人たちもいたからこそ、行動した人たちは評価されて
それなりの立場を得るようになった。
そしてその人たちが上司になり
昔のプロジェクトを「失敗」や「リスク」と捉えて
「プロジェクトを炎上させないようにたち振る舞おう」
と動いた結果、自分たちの時にあったきっかけを
若手から奪ってしまったのだ。
もちろん炎上プロジェクト、いわゆるデスマーチなんてないほうがいい。
ただそれがあってこそ今がある人たちが
そこに気づかずに若手の努力不足を嘆いてばかりいてはいけない。
新しいきっかけを作ることが役割なのだと思う。
誰しも勝手に育ったのではなく、何かのきっかけがあったはずなのだから。
単にプログラムが楽しくて独学でずっとやってきた人だって
プログラムができる環境を与えてくれた誰かがいただろう。
出来上がったものを褒めてくれた人がいたのかもしれない。
それは育てるつもりなんかなかったとしても、
きっかけとして重要な出来事だったはずだ。
3. 誰かのきっかけになれるのは誇らしい
子育てのように親として責任がある場合とは違って
後進育成に関しては、それが評価されなければやる価値がない、
と考える人もいるかもしれない。
育てた結果、自分の地位が脅かされる可能性もあるわけで
それを恐れることを責めることは誰にもできないだろう。
これは100%個人的な意見だが
(今までの内容も個人的な意見以外のナニモノでもないが)
評価されようとされまいと
誰かのきっかけになれたとしたら
自分が生きてる意味もあると思っている。
世界を変えるなんてそんな大層なことができるわけではないけど
誰かの人生をちょっと良い方へ変える手助けができれば。
直接的でも間接的でも、ほんの少しでも構わない。
そういうところに人生の楽しみを感じている。
だからこそ、本当に大したことができないからこそ
自分の意志で何かを変えようとする人たちは
その思いや努力がきちんと報われてほしいと思うし
そこに協力できることが少しでもあるなら全力でやりたい。
その結果、仮に自分の地位が脅かされてしまうのだとしたら
所詮自分はそこ止まりなんだと思う。
最後に
あくまで自分が「人を育てる」ということについて思ってることなので
これで誰かの考え方を変えたいとかそういう思いは一切ない。
(人が変えるのはいつだって自分の意志なので)
育成というのは人の歴史が続く限り現れるテーマだし
育成論というものはきっと人の数だけあるのだと思う。
色々な人の考えがもっとタイムラインに流れてくると面白いな、と思っている。
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