24/09/2020:『With You』
川沿いにあるホステルは受付やキッチン、食堂やリビングスペースがあるメインの建物の他に、5つほど小屋のようなものが敷地内に点在している。その各部屋が、シングルだったり、ダブルだったり、ファミリー向けだったりの客室になっていた。
「さ、ご飯作りましょう。」
そのうちの一つの小屋が僕らにあてがわれた部屋で荷物を下ろすと、事前に街で買ってきた材料たちを持ってキッチンへと向かった。
「あら、仲良くお料理?いいわね。」
と、オーナーのローザが言う。バンダナを巻いた姿は僕の祖母とどことなく雰囲気が似ていて、チェックインの時からずっとニコニコしているところが素敵だ。
「昨日のでよかったらワインもあるけど、どう?ここに置いておくわね。」
そう言い残して、どこかへと行ってしまった。
僕らは改めて目を合わせると、
「いいねぇ。」
と、微笑んだ。
キッチンは4口のコンロがガスタンクに繋がっていて、きっと手作りだろう不揃いな大きさの板を壁の留め具に渡して、その上にお皿や調味料が配置されている。鍋やフライパンはシンクしたの引き出しに入っていた。
「まな板は、これ、包丁はこれでいいかしら?」
「うん、ありがとう。じゃ、作ろうか。」
何はともあれ、旅路の宿で食べるスパゲティは最高だ。だから、僕らはいつもこうして旅に出る度に一緒に作って食べていた。ここみたいに田舎の方に行けば、市場で安くて新鮮な野菜がたくさん手に入るし、大抵宿に塩もニンニクもオリーブオイルもある。後からかける用に小瓶に入れたエキストラ・バージンのオイル、こだわりのパスタだけを持って行けば何不自由なく作って食べることができる。
「じゃ、色々よろしく。私はサラダ係だから。」
彼女はレタスをバリバリと分解し始めた。ザルに入れて冷たい水で洗う。瑞々しい緑が気持ちよさそうだ。
僕は小振りなニンニクを二つまな板の上に置いた。それぞれ縦に切って芽を取り出すと、スライスにしてフライパンへと入れる。彼女は辛いものが苦手だから、鷹の爪は半分だけ。
お湯が沸いて塩を多めに入れた時、
「ねぇ、ローザは一人でこの宿をしてるのかしら。」
と、彼女が言った。
・・・
町外れのバスも通らないような道。公園で拾ったタクシーのおじさんは、
「お、あの宿か。いいじゃないか。今日みたいな天気には最高だ。」
と、話した。
「30年くらい前かな?どっかから突然移住してきたんだ。あそこ一体の土地を買って、あとはあっという間。あの宿ができたのさ。」
声の感じと表情を見る限り、その運転手はローザのことを快く思っているようだった。
「が、しかし、こんな山奥に来るなんてねぇ。人生って本当にわからないよな。」
ラジオからは古いフォークソングが流れていて、過ぎ去っていく木々の切れ間に川の水面が光った。
・・・
だから、僕も、
「んー、そうだね。タクシーのおっちゃんの話では、誰かと始めたって雰囲気じゃなかったしね。」
と、相槌を打つようにして答えた。
フライパンが温まってきた。乱切りしたズッキーニを入れて、タイミングを見ながらミニトマトを放り込む。パスタの煮汁を注いで、優しくでもしっかりとフライパンを揺すって乳化を促す。
「きっと、大きな決断だったんだと思うわ。私も、今まで何かを始めようとか、あるいは辞めてしまおうとか、そういう決断はたくさんしてきたけれど、」
「うん。」
「でも、さすがにホステルをやる決断はできないかも。」
セールになっていたオイルサーディンを投入する。底に貼りついたり、形が崩れないようにしながら油になじませた後、鍋からパスタを掻き入れた。
人生を変えるほどの決断。
が、その陰には、人生を変えるほどの決断をさせるくらいの出来事があったのではないか。本人の力によるものではなく、他の誰かによる、何かによる、大きくて深くて、もう後戻りのできないような出来事が。
放流を決めたダムが、一気に何千リットルも水を流すように。
乾燥した砂漠が、一晩の雨で沼地に変わってしまうように。
「できた。お皿、お願い。」
「あ、はい、ここにあるわよ。」
シンク横のスペースには水色と青緑のお皿が二枚置かれていて、きっと色の深い方が僕だから、そっちに多めによそった。
白い深めの小皿にはさっき彼女が洗ったレタスがオリーブやパプリカと一緒に品よく収まっていて、僕らはそれを川がよく見えるテラスまで持っていった。
いくつものトライアングルをそっと鳴らしたような水の音が、山から吹く角の取れた風に乗って聞こえてくる。
「あ、ワイン。ごめん、取ってくる。」
ローザがくれたワインと、グラスを取りにキッチンへ戻る。
すると、棚の脇に写真立てが置いてあるのに気が付いた。白黒の画、バンダナを巻いた若い女性。
その横には、背の高い男性が立っていて、精悍でいてそして爽やかな笑顔はいつの時代でも愛される種類のものだった。
「ふーん。」
僕は少しだけ写真を見つめると、そのままテラスの方へと戻った。
パスタは申し分なかったし、サラダの野菜たちもとても新鮮だった。彼女はもぐもぐと食べ続け、時折僕の方を見て、
「おいしいね。」
と、笑ってくれた。
「うん、二人で作ると、なんでもおいしい。」
僕はそう答えて、ワインを一口飲む。
少し渋くて、でも縦にすっきりとぶどうの香りが広がった。
「あら、美味しそうじゃない。素敵ね。」
どこからかローザがやって来て、また笑顔を振りまいてくれる。
風にバンダナが揺れて、きらきらと水面が光った。
・・・
今日も等しく夜が来ました。
Sam Cookeで『With You』。