27/06/2020:『Al otro lado del Río』

川 1

「この川を越えていけば、国境だよ。」

土で汚れた農夫が教えてくれた。爪の間、耳のなか、全てが土に一体化したかのように彼は働いていて、見渡す限りの草原の中には彼と僕しか見えなかった。彼は乾燥藁をかき集めバスタブくらいの大きさに四角く整えると、それを麻ひもで縛る作業を繰り返していた。その営みは、誰もいない草原に町を作っているようにも見えた。

僕は放出品のバックパックを背負って、首から水筒を下げ、祖父から譲り受けた帽子を被っていた。旅に出る直前に買ったブーツはくたくたになっていて、鼈甲のメガネとともに、僕はとても気に入っていた。

「その帽子を見ると、昔を思い出すよ。」

農夫は川の向こうを見詰めながら、静かにこぼした。

「これが?そうですか。」

特に気にせず僕は礼を言って歩き出した。

川は茶色く濁り、ゆっくりと流れていた。

                  ・・・

農夫 1

普段歩く道が、何倍も道が広く、固くなった。馬車が走ってもこんな轍はできない。畑での作業を終えて家に帰る途中、空から津波が来たんじゃいかと思うほどの大きな音がした。見上げると、爆撃機が何十機と通り過ぎる影が視界を暗く狭めた。そして後ろからは無数の戦車とトラックが馬車道をこちらに向かって来た。僕と父さんと弟はその大きなものたちの列に道を譲るために、柵に足をかけ、川には落ちないように、向こう側へと飛び降りた。いつまで経っても終わらないその連なりは、この川のようにいつまでも茶色く流れていくようだった。

トラックからこちらを見つめる男たちは、みんな同じ深緑の帽子を被っていて、真ん中に星があるデザインをしている。その星が少し斜めにくるように、彼らはわざと帽子をずらして被っていた。

家に帰ると、ラジオからは政府がどうのこうの、軍部がなんやかんやと大きな声が聞こえて来た。父さんと母さんは何も言わずに、下を向いて聞いていた。

僕は、川のように流れていく、帽子を斜めに被った男たちのことを思い出していた。

                 ・・・

川 2

近くに桟橋があり、そこから渡し船が出ているらしい。ぼちぼち行かないと間に合わない。おまけに日も傾きかけていた。

農夫に教わった通り、少し川沿いを下ると、木造の乾いた桟橋があった。ジャガイモを詰めたズタ袋がいくつかおいてあり、隣には卵の入ったカゴや牛乳瓶のケースも見えた。そして、先ほどの農夫と同じような格好をした人たちが、どこを見るわけでもなく佇んでいた。

「渡し船はまだこないんですかね。」

と、一人の女性に聞いた。背が小さく、重い荷物に少しずつ圧迫されてできた体のように見えた。

「ほら、向こうから来るでしょ。今日はあれが最後よ。」

川の向こうから、バスケットのハーフコートくらいの筏がやって来た。船頭が一人、原付に付いているくらいのエンジンの脇で、筏の操縦をしていた。川上からやって来たためか、モーターは動いておらず、川の流れにそのまま運ばれてきたようだった。

筏が此岸に着くと、ゆっくりと人々が動き出す。協力して荷物を積み込み、それぞれの場所を確保すると、また静かに佇む。

僕も適当な場所を見つけて、バックパックを下ろした。

筏は川上へ向かって出発した。

                  ・・・

農夫 2

ラジオがテレビになり、僕も新聞を読むようになっても、生活は変わらなかった。川沿いを上り、藁を集める。結婚して子供ができても変わらない。テレビの向こうでは、あの時見た帽子と同じものを被った指導者が、大勢の人の前で激しく何かを訴えていた。

大衆は旗を振り、指導者に応えるように拳を突き上げていた。子供を抱きかかえながら、演説を聞く女性の姿も見える。子供は何もわかっていないような顔で母親の腕の中に抱かれている。革命広場と呼ばれるそこには、何万人と人が集まっている。付近の高層ビル、その窓から顔を出したり手を降ったりして、どうにかその広場と繋がろうとしている人たちも映っていた。

でも、僕の目の前には広場もビルもない。見渡すかぎりの畑、はしゃぐ子供たち。鍬と轍。スピードを変えることなく流れる川、茶色い川。

僕はまた藁を集め始めた。

                  ・・・

川 3

「その帽子はどこで手に入れたんだい。」

先ほどの女性が話しかけて来た。彼女はジャガイモの入った袋にもたれ座っている。

「祖父の部屋にあったものを、亡くなったときに遺品としてもらったんです。」

「そうかい。」

それ以降、彼女は何も話しかけてこなかった。

日はさらに傾き、地平線に沈もうとしている。縁がゆらゆらと揺れ、左右にぶれながら溶けていくように落ちていく。オレンジ色が筏を飲み込むようだった。

上流に向かう筏は、先ほど僕が道を聞いた農夫のいるところまで上ってきた。

農夫に無事の筏に乗れたことを伝えようと思い、僕は立ち上がると、帽子を手に大きく手を振った。

すると彼は僕に気づき、こちらを振り返ってくれた。僕は大きく手を降り続けた。

地平線いっぱいに沈む夕日を背にした農夫。逆光線。影になったその表情は、筏の上からでは捉えることができなかった。

流れに逆らうように、筏は農夫から遠ざかっていく。

僕は手を振り続けた。農夫はしばらくこちらを見つめた後、また鍬を動かし始めた。

川は茶色く流れ続けていく。

農夫は、もうこちらを見ることはなかった。

                 ・・・

今日も等しく夜が来ました。

陽気で明るいということは、繊細で陰りがあるということでもある。

そう思います。

Jorge Drexierで『Al otro lado del Río』です。



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