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土着的なコ・デザイン-ローカルプレーヤーの狭間をみる

コンセントでは、2023年度から「ひらくデザインリサーチ」という活動を実施している。有志メンバーが集まり、自分の興味や関心をベースに問いを立ち上げ、探索するためのデザインリサーチプログラムで、「土着」「工夫」「余裕」という3つのテーマに分かれて活動している。
土着チームは、「土着的なコ・デザインのエコシステムを複眼的に捉える」というテーマで、会津でのフィールドワークを実施した。調査にあたっては、「複眼的」という名の通り、メンバーそれぞれが事前に独自の「問い」を立て、それぞれの視点からフィールドワークでの気付きを解釈するようなアプローチをとった。同じフィールドを複数の異なるレンズを通して見てみることで、「土着とは何か?」を多面的に捉えようという試みである。このマガジンでは、リサーチャーそれぞれの気づきを個別の記事として随時配信していく。

土着チームメンバーそれぞれの視点

私は現在、コンセントに所属しながら山形県山形市にて遠方地勤務をしている。山形に移住をしたのは2023年9月。移住直後にこのひらくデザインリサーチの活動は始まった。
私が問いを立ち上げるには、大学時代から振り返る必要があった。少々前置きが長くなるが、私の大学の話から始める。

ローカルに触れた大学時代

私の母校は、山形県山形市にある東北芸術工科大学(以下、芸工大)である。大学は丘の上にあり、山形市内の街並みや朝日連邦、月山といった山々を一望できる。私は、この景色を見て大学入学を決めた。

大学の講義室からの景色、筆者が撮影

大学では「コミュニティデザイン」を専攻した。2014年に新設された学科で、studio-Lの山崎亮さんが学科長を務めていた。教員もstudio-Lのスタッフで構成されており、それぞれが現場に立ち、プロジェクトを動かす第一線のメンバーだった。
当時「コミュニティデザイン」を専門に学べる学科は芸工大しかなかった。「地域を元気にしたい」とかそんな気持ちはさらさらなくて、「なんか新しいことが学べそう」というワクワク感で学科選択をした。
私は2015年2期生として入学した。2014年に施行された「まち・ひと・しごと創生法」によって「地方創生」や「地域活性化」、「参加型デザイン」等に対する機運も高まり始めた頃である。

大学4年間はあっという間だった。そして多くの地域の方と出会い、育ててもらった。学ぶ場所はいつも大学の外に広がる地域だった。

大学時代の活動
  • とにかく地域に出て、何かやりたいと思った大学1年目の春に出会った山形市栄町商店会のおっちゃんたちと一緒に取り組んだ1000個のキャンドルに火を灯すイベント(キャンドルスケープ)

  • 40人の高校生を迎え、朝日町をフィールドに地域の課題を発見し、解決策を町長に提案する2泊3日の合宿(アイディアキャンプ)

  • 「高校と地域との協働」というテーマに関して、それぞれの課題感を持つ高校関係者や地域関係者、行政の三者が集い、ともに課題を共有し、今後の行動について考える1泊2日のシンポジウム(SCHシンポジウム)

…などなど様々な場の企画・運営に取り組んだ。
中でも最も時間を費やしたのは、今は無き「やまがた藝術学舎(芸工大が所有していた旧県知事公舎・公館)」を拠点に取り組んだ市民活動支援だった。「つまむ(つどう・まなぶ・むすぶの頭文字をとった造語)でやまがたを元気にする」をコンセプトに活動の立ち上げや伴走を行なった。

壁のその先

これらの活動を通して、徐々に地域で立ち上がるプロジェクトの持続可能性を考えるようになった。
そして壁に感じたのが、ボランティアでは回らない現状だった。いい取り組みであっても、色々な事情によって続けることが難しくなることが多々あった。続けるには誰かが無理をしている状況もあり厳しかった。

一方で、私が出会ったローカルプレーヤーたちは、なんだかんだで様々な工夫をしてその壁を乗り越えながら活動していた。ボランティアではなく、ちゃんとビジネスとして回している人もいた。その姿がカッコよくて、私の憧れだった。

ただ進路を考える頃、そのままローカルの現場に進むことを躊躇した。当時の私は、壁の乗り越え方がわからなかったから。
もう少し広い視点でローカルで起きていることを捉えられるようになりたい。もっとお金の流れも含む仕組み全体を考え、実装できる人になりたい。こんな感じでモヤモヤしながら就活する中で出会ったのが、今所属している株式会社コンセントであり「サービスデザイン」だった。
ユーザー、ビジネス、社会といった複数の視点でサービスを考え、それを持続可能な状態で届ける仕組みをつくるサービスデザインは、まさに私が次に学びたいことだった。

大学卒業後を機に上京。大学で学んでいたことが通じる業務もあるが、新たに学ぶことの方が多い。しばらくの間は目の前の仕事に集中した。

転機となったのは社会人4年目の頃。「これからどこで暮らしたいか」を真剣に考えるようになった。いろんな要因があるが、コロナ禍によってリモートワークが普及し、クライアントとのコミュニケーションもオンラインで行うことが当たり前になってきたことが大きな後押しとなった。また、仕事に少し慣れてきて、自分の生活に目をむける余力も出てきた頃だった。
しばらくの間は悶々としていたが、いろんなタイミングが重なり、私はパートナーと共に再び山形に移住することを決めた。社会人5年目になる頃である。

(ちなみに私は栃木県出身でパートナーも愛知県出身。2人とも大学が山形で、大学4年間の経験が強烈で、山形のことが大好きになってしまったのだ。)

問いを立ち上げる

2023年9月、山形に移住した。1ヶ月が経つ頃に「ひらくデザインリサーチ」の活動が始まった。
「自ら問いを立ち上げよ」と始まった本活動は、普段やっているクライアントワークと頭の使い方が違う。普段はクライアントが「問い」を持っていて、それを一緒に考えることを仕事にしているが、この活動は自分の中から問いを生成するからだ。
正直、最初は問いを立てられない自分に驚いたが、メンバーと対話をする中で、自分の関心に最も近い「土着的なコ・デザイン」というテーマを探索することになった。
メンバーとは、いろんな文献を読み漁り、共通言語を増やしながら自分の問いを探した。主な参考文献をここに列挙する。



私は問いを深める中で、先に書いたような大学時代のモヤモヤとローカルプレーヤーに対する憧れの感情を思い出した。
地域には、台風の目のように活動を起こすローカルプレイヤーが存在する。書籍「おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる」にあるようにデザイナーがその中心を担っている場合もあれば、そもそも専門的なデザイナーが介在しなくてもコ・デザイン的な活動を本能的に実施している場合もある。
彼らは、イタリアのデザイン研究者エツィオ・マンツィーニが言う「ライフプロジェクト(自分自身の人生、あるいは人生の一部に関わる目的を達成するための、話し合いや行動が結びついたものー『日々の政治』より)」に取り組んでいる。彼らはなぜライフプロジェクトを立ち上げ、「コト」を起こすことができるのか。彼らの活躍を支えるイネーブラー的要素は何なのか。
そんなことを参考文献を通して考えた。

私が大学時代に憧れたあの人もその人も、自分がやりたいことや実現したい未来に向けて、時に不条理や理不尽に対して折り合いをつけながら歩みを止めない。それでいて、ちゃんと稼ぎも確保している。振り返ると、彼らはサバイブする力に長けていた。

いろんな紆余曲折を経て、山形に還った今、私はこの活動の中で、大学時代に憧れていたローカルプレーヤーに対する解像度を上げたいと考えた。
そこで、最終的には以下の「問い」を設定することにした。

  • ローカルプレイヤーは、どのような振る舞いをしているのか

  • ローカルプレーヤーが持つサバイバル力の構成要素は何か

自分自身のこれからに向けたヒントが見つかればいいなと思った。

会津へ

私たちのチームは「土着的コ・デザイン」というテーマを掲げている以上、土着の現場を見に行かない手はなかった。そこで各自「問い」を携えて、フィールドワーク※をすることにした。
※ちなみに、今回は1泊2日と滞在時間がコンパクトだったため、フィールドワークというよりは現地視察と呼ぶ方が適切かもしれない。

今回のフィールドワークの舞台は会津。フィールドを探す過程では他にもいくつか候補を検討していたが、今回は、会社の先輩小橋さんのつながりで会津の暮らし研究室の研究員である藤井さん、矢野さんに協力いただけることになった。

小橋さんのnoteが「会津がどんな場所なのか」をうまく表現していたので、そのまま引用する。

会津には、移住者、Uターン、地元の大学生やエンジニア、大企業、地場産業の老舗メーカーなど、実にさまざまなプレイヤーが集まっている。しかも、全体で1つの活動をしているというより、方向性の異なる複数の取り組みが同時多発的に発生しており、目的が複層的に重なり合っている。

小橋さんのnote『土着的なコ・デザイン-人間とモノのアッサンブラージュ〈後編〉』より

会津でのフィールドワークは、藤井さん、矢野さんの全面コーディネートのもとで実現した。私たちのざっくりしたリサーチの目的や狙いを汲み取ってくださり、素敵なローカルプレーヤーの皆さんにお声がけいただいた。
急なお願いだったにも関わらず、2日間のアテンドまでいただいた。足を向けて寝られない。

主な訪問先は以下の通りである。

今回フィールドワークで訪れた拠点

ローカルプレーヤーの狭間をみる

フィールドワークを通して私が特に着目したのは、ローカルプレーヤー特有の「狭間」である。

私が出会ったローカルプレーヤーには、様々な「狭間」で揺れ動きながら、適切な落とし所を探る態度があった。
具体的には、二項対立で物事をとらえない態度、いろいろな「狭間」の中で、それぞれに折り合いをつけながら、最適な形を模索する態度である。
地域固有の文化や信仰、風景や文脈といった「故い物語」と最新の技術や価値観、アイディアといった「新しい視点」との狭間資本主義経済で効率化や成長を重視する「都市の原理」と伝統的経済で現状維持や継承を重視した非論理的な「村の原理」との狭間。それ以外にも「よそ者」と「地元民」との狭間「官」と「民」との狭間等、様々な「狭間」にローカルプレーヤーは存在していると考えた。

ローカルプレーヤーはいろいろなものの狭間にいる

この記事では、特に今回のフィールドワークで印象的だった以下2つの狭間を取り上げる。

  • 狭間1|故い物語↔︎新しい視点

  • 狭間2|都市の原理↔︎村の原理

狭間1|故い物語↔︎新しい視点

①NIPPONIA楢山集落
NIPPONIA楢山集落のオーナーである矢部さんは、約360年続く山奥の集落にある家を19代目として継承しながら、ランドスケープ・アーキテクトとしての知識や経験を軸に、西会津国際芸術村ディレクターやNextCommonsLab西会津ディレクターなど務められている。

ご自身の活動テーマは「故くて新しい未来」。人口減少により、失われていくものがある中で、その場所に残されたもの、すでにあるものを殺さずに活かしアップデートされている。

今回見学させていただいたNIPPONIA楢山集落は、使われなくなった建物や蔵を地元の大工さんを巻き込みリノベーション。センスのいい大工さんを外から呼んで建てるのは簡単だが、それでは持続可能な生活にならないので、西会津の親方を兵庫までお連れし、古民家再生の最新例を見てもらうところから始めたそうだ。

NIPPONIA楢山集落を矢部さんに案内いただいている様子

NIPPONIA楢山集落での宿泊・滞在を通して、自然と人との共生について考えるきっかけを提供している。例えば、お風呂のお湯は、集落の裏山で間伐・択伐した木々などを熱源にした薪ボイラーで沸かすシステムが導入されいるそうで、多くの方が滞在するほど、森林に手が入り、集落の生態系を回復できるような仕掛けになっている。

宿泊部屋を見学した際、西会津の伝統和紙である「出ケ原和紙」を使った襖を見せていただいた。西会津の伝統和紙を生産しながら、主なミディアムとして美術作品を創作しているアーティストの滝澤さんが創作した作品で、雲海が立ち込む集落の風景を感じる襖を前にコンセントメンバーは圧倒された。
NIPPONIA楢山集落の裏山には、矢部さんの曾祖父さんが錦鯉ビジネスをされていた池がある。この襖は、冬の雪の降る日に裏山の池の中で和紙を漉いて作られたそうで、そのストーリーを聞いて余計に感動した。

裏山にある池。真冬の寒い日にこの池へ入り、アーティストの滝澤さんと矢部さんの2人がかりで和紙を漉いたそう。
噂の襖。池の草や泥も作品の一部となっていた

襖を前に、矢部さんがこんな話をしてくださった。

今までの資本主義社会って作ったものをいかに遠くまで飛ばして価値をスケールさせるかということをやってきたのですが、僕は真逆を行きたいと思って。この土地にないと価値がないものを作ろうと思っています。それが実は地方創生だったり、意味ですよね。相対的な価値ではなく絶対的な価値をどう作っていくかを考えていきたいと思っています。

NIPPONIA楢山集落での矢部さんの発話より

池も集落も裏山も、昔からそこにあったものである。先人たちの生活がそこにはあり、その歴史の先に今がある。単に、新しいものを外から持ち込むのではなく、かつての物語に目を向け、そこにあったものを活かして、現代版にアップデートしていく。それにより他にはない、そこにある意味や価値が生まれ、未来に繋がることを教えていただいた。

②アルテマイスター
アルテマイスターでは、運よく保志社長にお話を伺うことができた。

保志社長と対談するコンセントメンバー。当初はお話を伺う予定ではなかったが、たまたま出張から帰ってきたそうで、急遽、私たちと話す時間を作ってくださった。

アルテマイスターは「祈りの文化を創造する」というビジョンを掲げ、現代の住環境に適した「新しい祈りのかたち」を提案している。創業120年の老舗メーカーが、意味のイノベーションによって土着的なビジネスを現代に合わせてアップデートしている。

見学したショールーム。洗練された展示空間に心躍った

私たちは、保志社長に「仏壇が減少する中で、経営環境の変化と社員の内発的動機がうまくシンクロしてビジョンの転換ができたのか」と投げかけた。

今やろうとしているのは潜在需要を顕在化する活動。気を衒って新しいことをするのではなく、昔からある伝統を現代にどうアップデートするかという周波数の合わせ方が大事
 仏具が果たしてきた役割を現代の生活の周波数に合わせて、「これ探していた」「これこういう使い方だったんだ」となることが必要だと考えています。
仏壇・仏具・位牌は「弔い」の装置だけど、「祈り」に転換すれば「世界の精神文化をつくること」につながると考えました。「祈り」とは自分だけでなく家族や友人、他人の幸せをも願う気持ちにつながり、「利己」から「利他」へと広がっていく。そのための装置を世界中へ広げていくということをやっていきたいのです。

アルテマイスター保志社長との対談にて

実際に見た商品は日常に溶け込む佇まいをしていた。スタイリッシュでかっこいい。

白虹B型。ウォールナットや扉の形状など 現代の家具を意識したデザインが特徴的。

私は、仏壇といえばおばあちゃんの家の畳の部屋にある「あの」かたちしか知らなかった。
だが、アルテマイスターの商品は、古くから親しまれてきた伝統的なものから、リビングなどの生活空間に合わせやすいモダンなもの、スペースを取らずに移動ができるコンパクトなものなど、多様なニーズに寄り添うかたちをしていた。

工房厨子。モダンな部屋にも溶け込みそうなコンパクトな祈りのかたち。

核家族化や洋風化が進み、昔からの供養や祈りの習慣が様変わりする中で、現代の住環境に合い、人の心に寄り添う祈りのかたちを提供できるようなものづくりを目指しているという。
確かに、私たちの暮らしの中に「ありがとう」「いってらっしゃい」「応援しているよ」「見守っているからね」といった「祈り」に通づる他者を想う行為が深く根付いている。

信仰に限ったものではなく、暮らしの中に溢れている「祈り」を支えるためのプロダクトへ。アルテマイスターの取り組みもまた、「故い物語」に対して意味の再解釈やデザイナーによる新しいかたちの提案など「新しい視点」を織り交ぜていくことで、独自のプロダクトを生み出している

ちなみに、アルテマイスターには、私の大学の先輩トミーさん(冨田恭平さん)が勤めている。まさか会津で会えると思っていなかったのでとても嬉しかった。到着早々、トミーさんとも名刺交換したけれど、普段はプライベートでしか会わないのでなんだか照れ臭かった。

トミーさんと私。仕事以外にも創作活動をしているかっこいい先輩。

③石高プロジェクト
フィールドワークの最後は「石高プロジェクト」。アプリを実際に体験しながら、プロジェクトの担当者である地域おこし協力隊の長橋さん、行政職員の武藤さんにお話を伺った。

2列目一番右が武藤さん、その隣が長橋さん。今回アテンドしてくださった矢野さんは私の左隣(1列目右から2番目)、藤田さんは2列目1番左。

西会津は昔からお米が美味しく、主要産業の1つが稲作である。ただ、既知の通り、農業・稲作を取り巻く現状はかなり厳しい。西会津でも担い手不足や耕作放棄地の増加、サルやイノシシなどの有害鳥獣被害が深刻化、天候不順や米価下落などの課題が深刻化している。
この状況に対して、農家と消費者がデジタルでつながり、コミュニティによって農家を支えていく仕組みを構築する試みが石高プロジェクトである。

フィールドワークの道中で通過した西会津町の棚田


ウェブサイトには「Web3と現代の米本位制」の文字が並ぶ。Web3と米本位制。この2単語が並んでいるだけでも「故い物語」と「新しい視点(技術)」が融合していることがわかる。

米本位制は、農民から徴収した年貢米を江戸や大阪で現金化し、物資の購入に充てる制度だった。かつての日本では、「米が通貨の代わり」となる経済体制があった。
しかし、現代においては、エリアによって一括で米の価格が決まってしまう。そのため、農家が頑張って農法を工夫する等の差別化を図ろうとしても、市場では価格差が反映されづらいという。
また、西会津町は山間部で稲作に取り組んでいる背景もあり、(平地のように)大規模化して利益を増やすことも難しいそうだ。
そこで、「農家の工夫」や「水や土壌の良さ等の西会津だからこその価値」を価格に反映する仕組みが構築され、そこで活用されたのがブロックチェーン技術だったという。

この新しい技術を使った農家とつながる仕組みは、構想からわずか10ヶ月程度で西会津町の取り組みとしてプレスリリースされた。
なぜこんなにスピーディーに進められたのか。長橋さんに伺った。

西会津国際芸術村のディレクターを務める矢部さんと西会津に関わっていた東京大学・慶應大学の教授を務める鈴木寛先生らが「未来型地域のあり方」について話していたのが発端。元々は、町の事業としてやろうという流れでしたが、補助金の活用の話が盛り上がり申請することになりました。2023年2月に国に助成金を申請、5月に採択。6月にはプレスリリースというスピード感でした。「米をもっと売りたい」という共通認識歴史的背景がある「石」という材料設定(コンセプトメイク)、また、このプロジェクトの立ち上げに関わった西会津にいる・集う人々の存在などが合致したからこのスピードでできたんだと思います。

また、役場の懐の広さもこのスピードでの実現の背景にはありました。
スピード感を持って新しいことを始められたのは役場職員の武藤さんがいたことが大きいです。武藤さんの親友が米農家として参加しています。武藤さんの親友も納得いくサービスをつくるという意味で、武藤さんが首を縦に振れば進められるという状況でした(笑)

長橋さんより

武藤さんは、企画構想の段階で石高プロジェクトに合流。合流以前はプロジェクトのことは知らなかったという。

どうやって役場を回すかを考えていました。
現在は助成金によってプロジェクトを運営しています(期間は3年)。
助成金を使っている以上、行政の仕組みに変換して回さないといけないと。

武藤さんのお話より

元からある「行政の仕組み」に対して「新しい取り組み」をチューニングさせていく(お金が回るようにしていく)武藤さんの奮闘もまた、ローカルプレーヤーの「狭間」の1つのように思う。
昔から続く「地元の米農家」「美味しいお米とそれを育む水資源や土壌」という元々そこにあるものや「米本位制」や「石高制」といった歴史的背景などの「故い物語」。それに対して、「Web3」「ブロックチェーン」「NFT」といった「新しい視点(技術)」をエンジニアや投資家などにしか分からないものとして扱うのではなく、「農家と消費者をデジタルでつなぐ仕組み」のなかで活用。この翻訳というかコンセプトメイクが、石高プロジェクトの魅力であり、「狭間」を感じた点である。

COMEing soon…(コメイングスーン…)

ぜひ、石高プロジェクトのアプリが手に入れば、ぜひ細部まで見ていただきたい。「米」にちなんだキャッチーでユーモア溢れるワードにあなたもフフッとなるだろう。

狭間2)都市の原理↔︎村の原理

『武器としての土着思考』という本が最近出た。

この本では『都市の原理』と『村の原理』に関する言及がある。
それぞれについて、ざっくり整理すと以下のようになる。

『武器としての土着思考』を読みながら筆者が作成

ローカルプレーヤーはこの「都市の原理」と「村の原理」を行ったり来たりしながらどちらに寄るわけでもない新しい原理を生み出している人と捉えるのが良い気がした。

こう考えた背景には、今回アテンドしてくださった会津の暮らしの研究室の藤井さん・矢野さん、NIPPONIA楢山集落のオーナー矢部さんに伺った「稼ぐこと」に関する話がある。

奥川集落唯一の味処「さかや」にてみなさんとラーメンを食べていた時にこんな会話があった。

矢野さん:最近、外貨は稼ぎに行ってるの?落ち着いてきた?
矢部さん:いや今年は珍しく落ち着いていて、外に行ってないから西会津にいる時間が多いんですよ。

初めは「外貨を稼ぐ」と聞いて「?」となっていたが、話を聞いていくと「会津以外の仕事で稼ぎを得る」という意味だとわかった。外貨を稼いで、地域の中の活動に投資しているという。
町の中だけで利益を上げようとしても、人口減少している今の状況では、そもそも町にお金がないので現実的ではない。だから町外の企業や自治体、教育機関等をクライアントに稼ぎを得て、その稼ぎを元手に地域に投資をしながら活動しているそうだ。

例えば矢部さんの場合、グラフィックやWebサイトなどのデザインが約3-4割、地域診断のようなコンサルティングが約2-3割、そして、芸術村の掃除やNIPPONIA楢山集落の草刈り、今回のようなアテンドなどが残りの割合を占めている。比較的安定的な収入を得ることができるデザインの仕事とスポットで発生するコンサルティングの仕事によって外貨を稼ぐ。そして、これらで得た利益を芸術村やNIPPONIAなど(それだけではない様々な)西会津内の活動に投資されているそうだ。

「外貨を獲得して文化にお金が回せる仕組みを作らないと地域が沈んでいく」と矢部さんは話す。ただ、稼ぐことだけに集中して、文化を作る行為を続けないと地域が悪い方向に行くので、矢部さんは現状はアート活動を継続するために投資し続けているそう。稼ぐ仕事と投資をする仕事。複数の仕事をパラレルで走らせながら、お金を回す仕組みがそこにはあった。

なぜこのようなことができるのだろうか。

これに対する答えはまだないのだが、矢部さんも藤井さんも、資本主義社会の中でどっぷり戦ってきたという経歴が今の働き方を支えている気がした。現代を規定している資本主義のルールを知った上で、そのルールをうまく使いながら自分たちにとってあるべき姿の実現に向けて奮闘されているように思う。

藤井さんは日立電子サービス(現:日立システムズ)やAppleを経て、仙台で、株式会社ピンポンプロダクションズを設立。2012年にKLab株式会社とのM&Aを行い、イグジットした経歴がある。その後、会津大学の教授になることがきっかけで会津に来た。矢部さんはラウンドスケープアーキテクチャーとして、マニトバ大学大学院ランドスケープアーキテクチャー修士首席修了後、NITA DESIGN GROUPでアメリカや上海で仕事をしたのち、3.11をきっかけに地元に試合ずにUターンをされた。

彼らは、経済合理主義的な、競争社会の中で酸いも甘いもを経験した上でローカルに根を下ろしている。資本主義社会のルールを知らずして独自の戦術を生み出すことができない。会津に来たことで、今度は「村社会」の中にどっぷり入りながらも、都市の原理と村の原理のどちらに寄ることもない独自の戦い方をしている点が興味深い。

今回の私の学びはこんなところだが、この点についてはより深い分析が必要だろう。ただ、私が大学時代にモヤモヤした地域の活動はお金が流れず続けにくい問題に対するカウンターとなりそうでワクワクした。

終わりに

「土着的コ・デザインを複眼的に捉える」をテーマに活動してきた「ひらくデザインリサーチ」。結局私にとって「土着」とはなんなのだろうか。
正直まだよくわからない。ただ、仮に「土着する」ということがローカルプレーヤーとしてライフプロジェクトを立ち上げ活動することを意味するのであれば、今回のリサーチを通して見えたいろんなものの「狭間」に「土着」もあるように思う。

土着のポジションはこの真ん中?

さて、山形にいる私はこれから何をしようか。
会津でのフィールドワークを通して、みなさんが口を揃えていうのは、「土壌を育むことの重要性」だった。土壌を育むには時間がかかるし、短期的な成果を追ってもうまくいかない。

非公式コミュニティでの信頼関係を築いていくことが大事。非公式コミュニティーにはパーパスはいらない。パーパスを掲げると人を排除してしまう。それぞれのナラティブがあり、一緒に時間を過ごしていく中で、雪の結晶のようにプロジェクトが立ち上がる。

フィールドワーク中に伺った藤井さんのお話より

ある会社が自社のプログラム(パケージ化されたもの)を会津でやりたいと相談しに来た。そういうものはやりたいと思えない。柔らかい段階から一緒に探るような関係性を築けないとなかなか難しい。
地域に溶け込むポイントは「入り方」と「タイミング」。誰経由で溶け込んでいくのか、とタイミングが重要。それが揃わないとうまくいかない。

フィールドワーク中に伺った矢野さんのお話より

土壌ができるのに7年かかりました。移住者がようやく増えてきて自分が耕した土壌で新しい活動を始める人が増えてきた時に、「あ、ようやく土ができてきたな」と思えるようになりました。初めはアートやデザインの価値が低すぎました。低い状態から、徐々に上げいくのには時間がかかります。

フィールドワーク中に伺った矢部さんのお話より

私はしばらくの間「ただそこにいる」をやっていきたい
山に囲まれた風景、移ろいゆく関係性の中に、身を投じているだけではあるが、そこにいることで生まれる会話を通して、これから何かが起こりそうな気配を感じている。そこにいるだけで、「始まってしまう」のだと思う。
だからその時が来るまで、じっくりその土地で漂うように生きていればいいのではないか。そう思っている。
私は最近まで「山形の仕事をつくりたい」、そう思っていた。いや、心の奥底には今もこの気持ちはある。ただ、焦って「つくる」必要はないように思う。私はもうしばらく「そこにいる」「漂う」時間を過ごそうと思う。
藤井さん曰く、目的・期間・課題が設定されてた上で始まるプロジェクトは、すでに構造から入ってしまっている。そうではないプロジェクトの立ち上げ方を自分自身が山形にいる中で、考えていきたい。

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