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魔法物語 他世界 No.37

 光が失われてゆく。
 色が失われてゆく。
 夜の入り口に差し掛かった。そんな時を選んで、出陣を迎えようとしている。
「魔導師らしい人が、なにかしてます」
 自由に動ける小さな目で見て、ロウチは兵士たちの様子を伝えている。言葉で表現する技術はつたない。けれど聞くリドウは、そのつたなさを補う力を持っている。
「異世界への扉を開くのだよ」
 それはほぼ確定事項。どんな魔法を使うのか、それは分からない。リドウが魔法によって得るのは、言葉というあやふやな手段を使って手に入れる情報。しかもその言葉も、的確なものを与えられるわけではない。
 世界が滅びるなら滅ばない世界を手に入れれば良い。短絡的な発想だ。危機感のない世界に行くことが出来るならば、征服もたやすいだろう。滅びる世界の住人は、消滅することを前提に戦うのだから、死を恐れる必要がない。最強の軍隊となりうる。
 表面的な理屈としてはその通りかもしれない。
 だが、この論理には相手についての情報が欠けているのだ。別の世界が滅びない保証があるだろうか。予想もしていない欠陥はないだろうか。なにより、戦う相手についてなにも分かっていない。
「とにかく、ここを出るか」
 リドウがそう言った時、ロウチが叫んだ。
「扉が、開きます」
 小さな目が見る。扉が、開く。暗くなった広場の隅に、淡い光が差し込む。それはいびつな四角だ。
「向こう側が明るい」
 広場の端が街につながっている。建物と道、そこに住む人々がいる。
「扉の大きさはどうだ」
「小さいです。高さも幅も、建物の扉くらい。人なら数人通り抜けられる程度です」
「数は?」
「いまのところひとつだけ」
 万にも及ぼうという軍勢が抜けるには小さすぎる。少なすぎる。
「よし」
 出陣に時間がかかる。本格的に戦いが、あるいは殺戮が始まるまで余裕ができた。ならば、やりようがあると、リドウは鋭く頷く。
「行くぞ」
 だれからともなくそう言われる。牢内の仲間たちの気持ちがひとつになる。
「ロウチ、おまえは一足早く扉を抜けて、向こう側の世界の様子を確認してくれ」
「わかりました。ぼくは目を閉じてますから、移動の時は手を引いてください」
 すかさず返事がかえってくる。
「見ながら動けるんだな? こっちの声は……」
「聞こえてます」
 話が早い。
「あ、軍勢が動き出しました。先回りします」
 ロウチが叫ぶ。そうしてすぐに、
「同じです。まだ明るいけど、こっちと同じ町並みのように見えます」
「やはりそうか」
 リドウは微笑みながら頷く。

 兵士たちは戸惑っていた。
 具体的な指示が定まらぬまま、敵地に攻め込む段階になったらしい。そのために、異なる世界への扉が開いたわけだ。その向こうがやけに明るくて、なるほど今いる場所とは違うようだと判断できる。
 けれど、不安にはなるのだ。進むことに臆するのに十分な怪しさがある。
 魔法によって生じる出来事に、だれもがある程度は慣れている。分からない状況を、分からないまま受け入れる経験を、皆がそれなりにしてきた。実際、魔法の力によって一気に遠くまで移動したという、今回に似た経験を持つ者も少なからずいる。だから、敵地への扉という話も、信用できない、ということもない。
 ただ、扉が小さすぎる。これから戦いに行くというのに、味方の戦力が期待できないかもしれない。見えないどこかに罠があるかもしれない。
 そもそも扉の位置が良くない。進軍するには順序が重要だ。どの隊が先陣を切るかは、戦況に大きく関わってくるのだ。いきなり、「さあここです」ということになっても、進むべきか退くべきか判断しにくい。
 扉に近い者も、遠い者も、それぞれに逡巡した。
 それでも、隊ごとに指揮を執る者がある。扉が開いたということは、もう戦地に等しい。こちらが行かなければ、向こうが来るかもしれない。浮き足立っている場合ではなく、すぐにでも戦えるようにするべきだと判断し、命令をくだす。
「隊形を整えよ。三人単位で扉を抜けるのだ」
 ひとりだけで進む恐怖を、抑える。あらかじめ組む相手が決まっているのだろう。その一言で少し混乱が収まって、扉に近い兵士たちが動き出す。
 魔導師の声が高まる。扉を大きくするためだ。実際、異世界への扉は呼吸するように揺らぎ、拡張してゆく。
 だが、ようやく混乱から立ち直りかけた軍勢の前に、新たな混乱が待ち受けていた。

 空気がこもって、人の体臭とカビのにおいが澱む。少し埃っぽい。鉄格子によって仕切られた空間、つまり牢内である。
 そこに九人。ひとりだけが若く、あとは高齢と呼ぶには少し早いという程度の男たち。そのうちの一人が、今、鍵を開けた。
「さあ、行こうか」
 号令をかけるのは教師にして学者のリドウ。もっとも年長のこの男は、男のたちの中では穏やかそうな外見を持つ。小柄で、胸も薄く、腕も細い。それでも、特殊な魔法の力と相まって、信頼も厚い。
「看守はいないようだ」
 鍵を開けたのは仕立屋のボーム。指先まで丸っこい印象で、背丈は大きくないが厚みのある身体で全体的に大きい印象。穴に糸を自由に通すという、仕立屋でさえほとんど意味のない魔法を扱う。ただし、牢の鍵を破ったのはその魔法の応用でもあった。
 先行して牢を出るのは鍛冶のヘパイツ。浅黒い肌の、筋肉質の印象で剣を手にすれば強い。細身だが肩が厚いのは打撃力の証明でもある。過去に評判の高い同名の刀剣職人がいたが、その孫にあたる。
「動き出してます」
 ひとりだけの若者・ロウチが目を閉じたまま言う。
「あせるな。俺がおまえの手を引いて外まで連れていけばいいよな」
 そう確認するのが飯屋のギリセ。丸顔で髪が薄い、優しそうな雰囲気の男。特においしいという評判もない食事どころの主人だ。ただし料理を出すのがとびきり早いので有名だ。
「援護する」
 すかさず前に出るのは元傭兵のハサイグ。鍛え上げた肉体の持ち主である。一般的には大柄の部類だが、傭兵としては平均程度。無口で、自分から会話に加わることはほとんどない。
「そこでわしの出番じゃな」
 自信ありそうに言う漁師のミイッゼ。ただし自称である。この近くに海も大きな川もない。見たところも、色白でやせている。漁師らしくはない。どちらかといえばうさん臭い。だが、リドウが近づいてきて尋ねる。
「適当なやつがいたか」
「ああ、お誂え向きのがいた」
「では、ここを出たら手はず通りに」
 さて牢内にはあとふたり。職業不詳のダイリーと商人のキハラ。どちらも見た目には特徴がない。中肉中背。牢内であり、多くは望めないにせよ、清潔にしている服装。とはいえ、ふたりが似ているという印象もない。
「まかせてくれ」
 ダイリーがだれにともなく嬉しそうに言う。
「おまえが言うな!」
 キハラがつぶやくようにツッコミを入れる。
 などと言っている間にも一団は動き出す。牢を抜け、街に、広場に出来た扉に、戦場に向かうのだ。

 昼と夜とが、ひとつの穴を通してつながっている。
 穴の周辺は、それぞれなにも変わらない。昼は昼で夜は夜だ。だから、その穴を避けるなら、あるいは横から見れば、なにも変わっていない。そこだけ、わずかにまわりと異なる風があるだけだ。
 ただし穴には輪郭があった。昼と夜とを溶かして作ったような、鈍い色彩の枠組みである。框のようなその枠組みがなければ、その穴はひどく危険な存在だろう。たとえば身体の一部だけを穴に通して、そのまま穴の位置を通り過ぎたら、穴の境界線は鋭利な刃物と同様に機能する。首だけが穴を通り過ぎてしまい、穴を通っていない残りがこちら側にある、といった形になるからだ。
 たしかに枠があればそうはならない。ただ、枠こそを穴の本質であるかのように誤解すれば、枠を広げて穴を大きくしよう、などと考える者も出てしまう。
 左右で力自慢が引っ張ったりし始める。さらに、扉を開けた魔導師も、大きくしようと懸命だ。
 ただしそんな騒ぎが、穴を通り抜けようとする兵士たちの渋滞をますます重くする。
 とん
 穴の枠に邪魔されて、前のめりになって倒れかけた兵士の首筋を、なにかが踏んだ。
 白い影。夜の世界から昼の世界に抜けて、兵士たちの頭上に浮かび、輝く。
 それは翼を持つサルだ。キマージョと呼ばれる、魔法生物だった。
 キマージョは軽やかに浮かび、人の背丈の倍ほどの高さから、あたりの様子を見下ろした。
 昼の街は混乱していた。
 夜の街は、異世界に侵攻する兵士たちの世界だ。ひとつの目的に支配され、統制された者たち。
 だが昼の世界は日常であった。日々の営みを続ける者たちの世界。そこに、非日常が攻め込もうとしている。予期していなかった暴力がやってくる。
 一方的になるはずだった。わずかな時間で、大量の殺戮が起こるはずだった。
 だが……。
「さて皆さん、ここはどこでしょう」
 いきなりキマージョがしゃべった。人々の動きが止まる。
「あなたたちは、だれと戦うのでしょう」
 白きサルはさらに言う。
「だれを殺すというのでしょう」
 と。

 思い描けば止まる。
 大きな力をふるい、まとめてたくさんの人を殺すのに想像力は邪魔になる。数万の人を殺すのに、ひとりひとりの顔を思い浮かべていたら、殺せはしない。ただ数の、記号と化した人を消すように殺すのだ。
 自分の力だけを頼みに人を殺すなら、恐怖を伴って行うことになる。向かい合ったなら、殺すだけではなく殺される状況にもなって、そこに生じる恐怖を、実行への力とするだろう。
 もちろん、そうではない人もいる。殺すことになんら痛痒を感じない特殊な人。普通の人であっても、さまざまな経験によって慣れることもある。
 だが異世界を侵攻するように命じられた兵士たちは、圧倒的に経験不足な普通の人ばかりだった。
 まして、攻め込む敵地は、よく知った街の通りであり、制圧すべきはそこに住む人々だ。時に、よく知っている相手。否応なしに想像力を刺激され、それぞれが多くの思い出をかき立てられた。近くを歩く人たちの姿は、日常を暮らす穏やかさにあふれ、対して、攻め行った自分たちの軍装はあまりに不吉だった。
「気づけ」
 空に浮かぶ小さな白いサルが言う。かすかに生じたためらいを、確かなものにしようとする。
 兵士たちは臆する。
「おまえたちは、家族を、友人を、大切な人を手にかけようとしている」
 街路に生じた異変に、昼の街に住む人たちが気づきはじめている。まだ、自分たちが殺戮の対象であると知るはずもない。けれど、武装した一団の登場は恐怖を誘う。混乱を招く。
 悲鳴が響く。状況を決定的にする叫び。人々が凍りつく。だがなぜか、兵士たちも。

 そこはどこまでもずっと夜。
 リドウに率いられ九人の男たちは、夜の街の建物に入り込んでいた。高い部屋。窓から兵士たちが集合した広場を見下ろせる。状況を確認できる。かろうじて昼にいるキマージョの声も聞こえる。ただし、昼の街の様子は小さな扉越しとなり、よくは見えないのだ。ロウチと、もうひとりを除けば。
 もうひとり、それは自称漁師のミイッゼである。彼は、動物の感覚を支配し、自由に操る魔法を使えた。もちろん、今操っているのはキマージョである。彼の目的は、兵士たちを足止めすることだった。
 しかしキマージョは話せない。
 キマージョの位置から声を発しているのは、別の魔法だった。その魔法はキハラが使う。両手を合わせて小さな空間を作り、そこに声を入れる。すると声が飛ぶ。任意の場所に声を運ぶ。今は、ミイッゼの操るキマージョのところまで声を伝え、そこから言葉を落としているのだ。
 ただしその言葉はリドウによる。キハラが作った両手の集音機構に口を近づけて、かねて用意の台詞を放つ。侵攻する兵士たちを足止めし、無軌道な殺戮が始まってしまわぬように。
 老境より少し若い程度のおじさんが、祈るように手を合わせている。そこに、さらに年かさのおじさんが口を近づけて、真剣な顔つきで言葉を発している。
 はたから見れば滑稽な様子。本人たちが真剣であればあるほどおかしみが生じる。けれど誰も笑わない。
 皆が知っている。今まさに正念場であると。
 もしも兵士たちのひとりでも、この一種の呪縛から逃れて、剣を抜きだれかを斬れば、そこから状況は一変するだろう。混乱は狂気となり乾いた殺意となり連鎖してゆくに違いない。ささやかな論理を受け取る理性はたちまち失われ、そこから虐殺が始まる。少数が理性を保てたとしても、大多数が運ぶ功利と恐怖の船を止めることはかなうまい。流れ始めた血は、簡単には止まらない。
 分かっている。男たちは、戦いが始まらないようにせねばならないと。とうに承知している。
「向こう側の住人が集まってきました」
 ロウチは言った。

 奇妙な扉越しに夜の世界と昼の世界が接している。
 夜の世界は、やがて滅びる運命にあるのだという。その話を、ロウチはどこかしら本気になれずにいた。
 この夜の世界は、ロウチが生きた世界だ。生まれて育った、家族の住む世界だ。それが滅びてしまうと言われて、たしかに本当なら大変なことだけれど、鵜呑みにするにはあまりに途方もない。
 世界という言葉も、どこかとらえどころがなくて、どう滅びるのかも想像できない。ただロウチは。父が死んでから身につけた小さな目の魔法によって、別のものらしい世界を見た経験があった。青い竜を追って、たくさんの世界が接している場面にも出会っていた。
 もし世界が泡なら、いくつもの泡が集まっているのなら、そのうちのひとつがはじけることだってありそうだ。少なくとも、そんなふうには想像できる。
 実感を伴わない空疎な妄想のようになら。
 だが、目の前に広がる情景は、その滅びを、真剣に受け止めた者たちが織りなすものだ。遠からず死ぬ、いや、死なないにしても消滅する、消え去ってしまうことを案じ、回避しようとする人たち。
 リドウをはじめとする人たちにしても、異なる世界に扉を開き、ここから逃げだそうとする人たちにしても、滅びを前提として生きている。そこに、奇妙な非現実感があって、ロウチはためらう。
 小さな目は、昼の世界にある。身体は夜の世界だ。
 ふと思いついて、小さな目を動かしてみた。昼の世界にあるまま、扉をくぐり抜けることなしに回り込んだら、昼の世界のまま、身体があるはずの位置に行けるのではないだろうか。
 移ろう視界。探るようにゆっくり進む。時々、ふたつの目を開けて、自分のいる位置を確認する。閉じたり、開いたり。やがて小さな目は、ひとつの部屋にたどり着く。
 家具も装飾も、今いる部屋と同じ。
「あ」
 思わず声をもらす。
「どうした」
 手をつないでここまでロウチを連れて来てくれたギリセが、少しあせったように尋ねてきた。けれど、どう説明したらいいのだろう。
 小さな目で見る昼の世界のこの部屋に人がいた。それはリドウのように見えた。服装は違うが、同じ人、いや、夜の世界のリドウの方が少し髭が伸びている。
 ロウチにとって、それは驚きだった。異なる世界に、それぞれ同じ人がいること。リドウが兵士たちに話していたことを実感させられたから。
 とにかく、
「あっちにもリドウさんがいます」
「そうか」
 こっちのリドウが思わず声をもらす。
 きっと、キマージョも同じように言ったろう。その声は、この部屋では聞き取れなかったけれど。
「あっちはなにをしている」
「キョロキョロして、それから、なにか本を手にとっています」
 昼のリドウが、おそらくなにか気づいたのだ。そこからならこの部屋と同様、兵士たちが来るところを眺められる。事態を判断するために、行動を起こしたのだと考えられる。
 ロウチは、小さな目を動かす。そうして、夜のこの部屋の、自分がいる場所まで、昼の小さな目を誘導する。さらに、自分の額があるあたりまで運んだ。向きも調整して、額に三番目の目があるみたいにする。
 それから、三つの目のすべてを開けた。
 一瞬、くらりと目眩がした。ふたつの世界の両方を同時に見て、少しぶれているせいだ。がんばって調整する。窓枠のように両方にあるものが、重なってひとつに見えるように。
「動き出しました」
 昼のリドウが窓の外を見る。そこに見えるのは、キマージョが浮かぶ街路に、武装した兵士たちがいる、ただし扉を抜け出た一部だけ。
「部屋を出てゆこうとしています」
「そうか、ならば合流してみるか」
 夜のリドウには扉が見える。抜け出せば昼の世界に行けると分かるはずだ。
「行くぞ」
 ハサイグが言う。移動するなら自分の出番だと心得ているのだ。とっさに動くことにしたのは、あとはロウチとキハラだけだった。残りは、自分がどうするか決めかねている。
 かまわずリドウが行く。部屋を出る。階段を急ぎ足で降りる。ロウチが追う。昼と夜のリドウが、同じように進んで行くのが見える。
 ハサイグが先行する。リドウより足も速い。剣を構え、行く手を開ける。ロウチの後ろには、おぼつかぬ足取りでキハラがついてくる。
 外は夜。集合した兵士たちは、再び混乱し、扉を越えていいものかどうか決めかねているのだろう。その横を夜のリドウがすり抜ける。昼の街の同じ場所を、昼のリドウもまた駆けてゆく。今はまだ、互いに言葉を交わすこともできずにいるが、もうすぐ出会えるはずと。
 ロウチも走る。わたわたと走る。リドウがなにをするのか、見逃すまいと。
 やがて昼と夜のリドウたちが、扉に届く。

 夜の兵士のひとりが叫んだ。
「エリーニア!」
 その声に、昼の街路にいた若い女性が反応する。
「メイファ」
 ふたりの間でだけ伝わる、互いの名前に込めた響き。
 異なる世界に暮らし、生きた二人の、すれ違わなかった思いの重さ。

 風がぬめる。冷たく同時に暖かい。
 ロウチを包む空気の、ふたつの感触が溶ける。夜にあり、昼にない。昼にあり、夜にない。視覚は感覚の上位にあり、その他の感覚が視覚に追随するように錯覚をもたらしている。
 夜の景色と昼の景色が重なって見えている。かすかな身体の動きで、小さな目の視界とズレが生じてチラチラときらめく景観となる。
 それは刺激的な感覚だ。
 ロウチは軽い興奮状態にあった。そのため、きわめて重要なことにまだ気づいていない。
 ハサイグが、滞留する兵士たちを押しのけて、別の世界に続く扉への通り道を作る。その手前に、リドウが走っている。その輪郭が、振動するようにブレている。その意味するところ。
 ついに夜のリドウが別世界への扉に到達して、そのまま通り過ぎようとする。振動は止まったように見える。
 二つの世界を隔てているはずの見えない面。そこに、わずかな薄膜さえない。なんの抵抗もなく、リドウが抜けてゆく。
 鼻先が、重なった。昼の鼻と夜の鼻が、同じ空間の同じ座標を同時に占める。それでもかまわずリドウは進む。
 なにも起こらない。あるいは、なにも起こっていないように、ロウチには見えた。
 その一瞬に、ふたりのリドウは完全に重なり合ったようだったから、異世界の扉をくぐり抜けた場所に、なにごともなく、最初からひとりきりだったようにリドウが姿を現したことに不自然さがなかった。
 いやひとつだけ。ふたりのリドウはそれぞれ異なる服装だったから、そこだけは、ひとつに溶け合うことが出来なかったのだ。残ったのは、夜のリドウの服装。だからロウチの目には、昼のリドウが夜のリドウに吸収されてしまったように見えた。チラチラと瞬くような輪郭が消えて、夜のリドウになったように。
 その時キマージョが翼を広げ、ゆるやかに降下してくる。
 ためらわずリドウの前に浮かぶ。まるで、その顔色を確認しているかのようにのぞき込む。
 するといきなりリドウが動いた。宙にあるキマージョを翼ごと抱きしめる。そして言う、
「ああ、大丈夫だ。動ける」
 と。

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