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魔法物語 不穏 No.34
大きな街は、多くの人の命を支えるための機構を有する必要がある。
とりわけ重要なのは、人数に見合った量の飲食をいかに提供するか。および、結果として発生する排泄物をどのように処理するか、である。
もちろんこの世界には魔法がある。魔法を効果的に利用することが可能であれば、問題のほとんどは解決できるだろう。とはいえ、魔法とて無限の能力を提供できるわけではない。魔法によって形を変えることができるとしても、排泄物を食料に直接変化させるには心理的障壁を越える必要があるし、なにより、排泄物や食料という漠然とした表現で適用できるほど魔法も単純ではないのだ。
結果的に、魔法を上手に介在させる形で、魔法に頼ることのない農業、わずかに魔法を利用する工業の技術などが必要になる。魔導師でない者たちの仕事が発生することになる。
だが、理念だけを唱えたところで社会がうまく回ってゆくわけではない。なんでも思うままに作れる、扱える魔導師であれば、ひとりだけでも生きていけるだろう。けれど魔法を使えぬ者であれば、さまざまな場面で分担し協力することで互いを生きやすくすることになってゆく。
なにごとにつけ、さまざまな条件のせめぎあいが、全体の状況を決定してゆくことになるのだ。
食料の供給の仕組みは、食料の種類によって多様な結論が提示される。たとえば主食となるべき穀物は、安定した供給だけではなく保存性が求められる。あるいは副菜となるべき野菜や、あるいは果実のごときは、多く新鮮さが求められる。となれば、消費地の近くで生産されるか、高速輸送機構が必要だ。後者を実現する手段として魔法が利用されたり、魔導師が働く必要も生じる。
問題は、魔導師の供給である。魔導師は、基本的に通常の人間を変化させて作り出す。具体的には、生殖器官を魔法を扱う臓器に変え、それによって魔法を取り扱えるようにする。ただし、それは人間本来の機能ではないため、生得的に扱えるものではない。ひとつ間違えば、思いがけない魔法を、制御不能状態で世に出すことになる。
また、魔導師は自らの能力を特権的なものにしたがる。いや、誰であれ、自分の持つ特別な力を特別でないものになどしたくないだろう。自分の生殖能力を失っている魔導師は、本来は自分の子孫を残さない。それでも、協力者という意味で、あるいは自ら磨いた魔法を残すために、普通の人間から子どもをさらい、それを自分の後継者にする、ということが多かった。師匠と弟子という関係になる。上下関係を設け、魔法に関する均衡を作りだそうとしたわけで、実際、ある程度はうまくいっていた。
だが、こうした暗黙の了解のようなものを前提とした社会が維持されるのは、社会全体が穏やかに推移している時に限られる。予想されなかった大きな変異が世界にもたらされた時、均衡は崩れてしまう。
およそ六十年の昔、その大きな変異が生じた。
悪の魔導師ラシリウスによる、国家転覆の計画である。魔導師は、本来群れることのない魔物たちを率い、あるいはその魔法によって人々を魔物に変えながら勢力を拡大して、ついに王の率いる軍勢と相戦うこととなった。
王の軍勢には大魔導師と呼ばれるロカンドの姿があった。結果、戦いは壮絶をきわめる魔法合戦となり、戦いの地を異世界のように変えて終息した。
と、されている。
その実際の顛末について、人に知られることはほとんどなかったのだ。
それは、光の子と呼ばれる四つの魔法を担う者を作り出すための、多数の犠牲を織り込んだ、ロカンドとラシリウスふたりの大芝居だったのである。かれらはこの戦いを通じて、世界に破局をもたらす存在、時の泥土クローニを封じようとしたのだ。
が、それもまた表面的なことだ。大きな目標の実行には、ことの成否に関わらず、さまざまな波及効果がもたらされる。魔法による大きな変異がもたらしたのは、実は小さな薄い大量の変異の発生でもあったのだ。
とりわけこの世界においては、クローニの消滅以後、魔導師の状況が大きく変わった。大魔導師の不在が、魔導師たちの自制を失わせ、その数が増えることになったのである。つまり初心者に近い魔導師が、大量に発生することになったのだ。
たとえば家族の、兄弟の中にひとりだけ魔導師になる者が生まれる。ただし、さほど大きな力は使えない。また、これまで同様に家族関係を継続したりする。一方、新たな魔導師を作り出した魔導師も、さほどの力量があるわけでもなく、新たな弟子にあまりこだわらない。
こうして、人口密集地においては、能力の低い魔導師が社会に溶け込んでゆくようになった。
彼らは、自らの持つ魔法を、あたかも職人の特殊技能のように扱うこととなった。
たとえば暗がりに明かりを灯す魔法の球を作る者。たとえば建物を少し丈夫にする魔法。たとえば農作物に虫がつきにくくなるようにする魔法や上手に畝を立てる魔法。こうした些細な、けれど役に立つ魔法によって、たくさんの魔導師が社会に溶け込んでいった。実際、なんでも出来る魔導師は気味が悪く、危険な存在だ。逆に、ごく単純そうな小さな魔法を使う者は親しみやすい。
こうして生まれる魔法を前提とする新たな社会構造。とはいえ、それは行き当たりばったりの、統制されていないたくさんの変化の総体に過ぎない。作り出されるのも、まだまだ未熟な社会であるとも言えたし、人口の少ない地域では、さほど大きな変革とはゆかなかった。
この日ロウチが向かったのは、そんな変革の最先端と言える街だった。
朝に黒い鳥としばしにらめっこして、ふいに自分のことがおかしくなって歩き出す。旅立ちの日から比べるなら、ずいぶん気候も穏やかになって、風なども心地よい。
ラギュは濁った声を高く、長く鳴いて飛び立つ。なにか納得したかのように。
ふと、あのラギュはロウチの操る小さな目と似ているのではないかと思う。なんの根拠もなく、自分が見ている景観が、あの黒い鳥を経て届けられているのではないかと思ったのだ。もしかしたら、ラギュは世界の境界を越えることさえできるのかもしれない。
ゆらり、進む。
歩くうちに、道の様子が変わってくる。王都に近づくにつれて、整備されてゆく。左右に広がる畑の作物なども、ずいぶんきれいに並んでいる気がする。
魔法が関わっているのだろうと思う。魔法でなにかまとまった作業をするには、なるべく同じようにする方がいい。ひとつの魔法の繰り返しで、作業がはかどるからだ。魔法なのだから勝手にやらせておけばいい、とも言えるのだが、それでは効率も悪いし、作物の育ち方は通常の農業と変わりはしない。日光や雨を十分に受けて、良い作物に育つ方がいい。
考え方や技術は徐々に洗練される。すぐにではなくてもやがて、きれいに整理された畑ができる。こうなってくれれば収穫の時も簡単だ。収穫の魔法にもいろいろあるが、一気に収穫できる方がいい。
ロウチは空を見て進む。
整理された風景を、横切って行く。
ふと、なぜだか寂しくなった。澄んだ空の下、畑の広がり、自分だけがここにいる。
身体が、わき上がる感情に逆らおうとしていた。
歌でも歌おうか、と思ったけれど、この気分に似合う曲は知らなかった。
かまわず進み行く。ふいに雲が出て暗くなったが、風が吹き払って、また明るい道。順調に進み行く。
だが、予想外のことが起こった。
ほとんどまっすぐに続く道である。
行く手には大きな城のある街が見える。
自分の他に歩く者もない。はずだった。
だが、前方から近づいて来る者の姿がある。しかも人影はひとつではない。
「なんだろう」
ロウチはいぶかしみ、警戒し、道の中央から端に移動した。
近づいてくる人影は、やがて中央にやや小柄な兵装の者、背後に軽装だが屈強そうな大男がふたり、と分かる。なんだか剣呑な気配をたたえている。
とはいえ逃げ出す理由はない。
やり過ごすためにロウチは立ち止まり、彼らが近づくのを待った。おそらくすぐに通り過ぎて行くだろう、と予想して。実際、中央の男はロウチの横を過ぎた。
と、思った時、ふいにロウチの全身がこわばる。身体の自由がきかなくなる。魔法か、と思った時には普通に両腕を掴まれていた。
「いきなりだが、捕らえさせてもらおう」
中央の男が言った。見た目通り、この男が指揮官にあたるようだ。
「なぜですか」
とっさに尋ねたが、返事はなかった。たちまち縄で縛り上げられる。きわめて手慣れた動きだった。さらに大男の一方が、軽々とロウチを担ぎ上げる。
まるで抵抗できなかった。旅の前に過ごした訓練の時間など、少なくとも今は役にたたなかった。暴れても、叫んでも、効果はありそうになかった。
小さな目を出す。状況を把握し、対策を考える。それ以外については体力を温存し無駄な消耗を避ける。それがロウチにとって最大の抵抗だったのだ。
街は静かだった。
目隠しされているわけではないが、自分の目では見るものがあまりに限られるからそちらは閉じた。小さな目で見る風景に音は伴わないが、今は小さな目がロウチの近くで状況を確認している。当然、聞こえてくる音も自分の耳によるものだが、差はわずかな位置のずれに過ぎない。
閑散とした街を行く。ロウチが担がれている状況に不審そうな反応もない。ただ、前夜事前に確認していた奇妙な気配を感じ取れる。
「気をつけろ。やけに静かだ」
声が聞こえる。おそらく指示する男だろう。言われてみればなるほど、良い機会があれば逃げ出すという選択肢もあると気づいた。
しかしそんな機会は訪れないまま、ロウチたちは目的地に到着したようだ。
石造りの、牢獄とおぼしき建物。口頭で手続きを済ましたら、担がれたまま中に入れられる。薄暗い通路を、ためらわず進んで行く。檻だ。鉄格子がある。
そうして、そのまま檻に入れられた。扉を開け、後ろから押し込まれ、すぐに施錠。
なんの取り調べも、なんの説明もなかった。それどころか、身につけていた武器も取り上げず、さらには縛りつけた縄を解いてくれることもない。放り込まれただけだ。
それが済むと三人がちょっとした挨拶めいた言葉を口にし、すぐ去って行った。
それでも、檻の中には他に人がいた。
「おいおい、まだ子どもじゃねえか」
近づいて来て、すぐに縄を解いてくれたのは、四十代くらいと見える男だった。
「ありがとうございます」
同じ檻の中に、八人の人影があった。一見したところ凶悪そうな人物は見あたらない。街にいれば、普通のおじさん、という印象の人々。女性はいないようだ。
決して険悪な気配ではないのを感じて、ロウチは少しほっとした。
「下手な抵抗はしなかったようだな」
奥の方から声がかかった。
「怪我でもしたらつまらねえことになる」
軽口を叩くような穏やかさ。とはいえ、ここがそれほど安心できる状況ではないことは確かだと思った。