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魔法物語 闇の大樹 No.30

 風の中にいた。
 朝の独特な色の空にいた。
 ただ眼前には夜が、夜よりも濃い夜をまとった大木の姿がある。
 オクライは距離をとって、巻き込まれないようにしていた。今もまだ、巨竜は欠片となって、呻きながら渦を巻き、闇の大樹に吸い込まれてゆく。あの中にいれば、魔導師オクライとしても無事ではいられないだろう。
 巨竜の欠片は、意志持つ存在であるようだった。いっそ、それぞれが人であるのかもしれない。
 けれど確かめるすべはない。みな闇の大樹に吸収されてしまう。
 それぞれは闇の大樹を育てる栄養になったのだろうか。そう見えないこともない。闇に呑まれ闇となって、そこに新たな居場所を見つけたのだと。
 だがオクライは違うと思う。
 あれは穴のようなものなのではないか。竜の欠片は、ただ穴に落ちて行ったのではないか。
 魔法によって空間を研究してきたオクライはそう思うのである。
 風に泳ぎ、距離を測る。
 二頭いた巨竜のもう一方は、今のところさしたる反応を見せない。そのことが不安を誘う。
 タイファの姿は見えない。自ら作り出したこの大樹に、呑み込まれてしまったのだろうか。ありえない話ではないが、そんなはずはない、とも思う。
 闇の周囲を回ってみる。
 闇に呑み込まれている巨竜の、まだ残る頭部に近づくと、表情はまるで眠っているようにおだやかだ。痛くも苦しくもないのだろう。
 その横にタイファを見つけた。竜の頬にもたれるようにしていた。ただ疲れ果てているように見える。
 放置すれば、やがて彼も闇の大樹に呑まれてしまうだろうか。そうはならない気もするが、試すことが良いとも思えなかった。
 巨竜の体内にいた時なら難しかったかもしれない。だが今なら助けるのもたやすい。
 風を切り裂き、オクライは降下した。もちろん単なる親切心ではない。これから必要になりそうな鍵を、拾いに行くような気分で。
 地表近くでは、竜の欠片が描く渦の勢いも弱い。
 静かに降り立って、歩いてタイファに近づく。すると、疲れて眠っているようだったタイファの右手が動いた。気配を察して剣を掴んだ、と見えた。
 オクライは苦笑した。助けは必要なさそうだった。
「オクライというものだ。おまえは、タイファだな」
 一瞬迷うような間があった。が、
「俺になにか用か」
 ゆっくりと目を開け、そう応じた。

 メイリはそっと目を開け、あたりの様子をうかがった。そこは相変わらず飛行艇の中で、ホーサグやロブロウの姿も見られる。ふたりとも眠っているように見えた。
 上半身を起こして、他にいるはずの人を探すと、リーラが起きているのが分かった。
 その様子に、メイリは不安を感じて立ち上がり、近づいて行く。
「おはよう」
 そう言うのも慣れた。ちょっとくすぐったい感じがするのは相変わらずだけれど。
「おはようございます」
 リーラは投影されている外の様子から目を離さない。
 横顔が疲れて見えた。
「大丈夫?」
「大丈夫よ」
「そうなの?」
 けれどリーラは返事をせず、口元にだけ薄い笑みを浮かべた。
 投影された外の映像は、岩肌の多い斜面だった。
 弱い光の中で、それはとても静かな風景だ。魔物も動物もいない。灌木の葉が風に動いている。
「降りるね」
 そうして、斜面が近づいてくる。その中に岩だなのようになった少しだけ平らな場所がある。ふわりと速度を落として、かすかに機首を上げて、そこで一度静止してから、そっと地面に降りた。それでも強く揺れた。
 リーラが大きく息を吐く。肩を落とす。
 周囲に魔物がいる様子はなかった。
「休憩」
 今度は小さく息を吐いた。それからもう一度飛行艇を少し上昇させて半ひねりさせる。すると、広がる景色を切り裂くように、影でできた大木が見えた。
 異様な景色だった。なにもかも呑み込んでしまいそうな夜の樹。たとえば世界と世界でないものとが対比されているようだ。
 だがなぜかメイリには、美しく感じられた。その樹にはまるで表面というものが感じられず、だから現実感に乏しい、まるで幻想的な影絵だった。
「すごいね」
 メイリは闇の大樹を見つめる。

 ィメイリもまた闇の大樹を見つめていた。
 ィロウチの小さな目の魔法が、その成長の様子を届けていた。魔法は自在に状況を映し出した。眠る必要のないこの世界の仲間たちは、予想していなかった展開を、じっと見続けていた。
 それぞれに思うところがあった。とりわけィオクライとィタイファは、画面の中の自分の行動を、緊張して見守り続けてきた。外にいる自分が死んでしまった時に、自分が無関係でいられる保証はない。それを無関係であると思うのは、あくまで予測に過ぎなかった。
「こんなことになるとはな」
 ィタイファがつぶやく。自分もまた、巨竜の中に入って覚醒したいと考えはしたが、それがどのような結末をもたらすのか、考えられていなかった。
 この白い空間に闇の樹が育つ、ということが、あり得ないとはゆくまい。そうなった時にどうなるのか。今見ている外の世界と同じだろうか。そう簡単ではあるまい。なにかもっと恐ろしいことになりそうだと、大人たちは思う。子どもたちは、ただ不安を感じるばかり。
 けれどそんな状況はきっと、外の様子を見ていない巨竜と青い竜には伝わってはいないだろう。魔法が映し出す映像を見ていないのだから。
「樹に食われた竜は、こいつの本体なのか。それとももう一頭の方か」
 ふとィセグロがつぶやく。ただ、そこに重要な点があるだろうと感じるだけで、特に勝算があるわけではない。
「なにを食うか。なぜ食うのか、か」
 ィオクライだった。
「選んでいる」
 ィタイファが加わる。
「なにを選ぶ」
「あたしとおんなじ」
 ふいにィメイリが声をあげた。なるほど、得体の知れない白い空間に、人を呼び込んでいる状況は似ていると言えた。
 ィオクライは小さく頷く。それからィタイファに向かって尋ねた。
「あの黒い樹について、知っていることを教えてもらいたい」

 タイファとィタイファ、オクライとィオクライが、それぞれに出会った。
 それは、闇の種と熱き星、ふたつの光の子の魔法、その因果が交錯したことを意味した。だが、当人たちにはさまざまな確認が必要だった。
「……それらを光の子と呼んだ」
「その魔法はいくつある?」
「四つ、あるいは四人だ。おれの力は、どうやら闇の種と呼ばれるものらしい」
「それぞれに呼び名があるのだな」
「黒い風、滅びの光、闇の種、熱き星だ」
「どうやってその呼び名を手に入れた」
「光の子の運命を生涯かけて追った男がある。リバという、昔、出会った時には既に老境にあった。その男に教えてもらった」
「世界を救うための魔法と言ったな」
「ああ。世界を消滅させる存在、時の泥土クローニを封じるための力だ。ただし、四つの魔法のうち、有効なのはひとつだけだったらしい。おれの魔法は、いらないものだった」
「四つのうち三つまでが無駄だったのか」
「そうとは限らない、とおれは思っている。未知の敵に対して、さまざまな策を講じることがある。使わなかった策を無駄と考えるべきではない」
「なるほど。別の敵には有効、ということもあるか」
「有効であるかどうかが問題なのではない。可能性をふさぐことが重要なのだ」
「クローニとはいかなるものだ」
「それは分からない。ただ、おそろしく不快な存在であったらしい。おれが見たのは、ある種の幻だったが、その気持ちは分かった」
「どう不快だった」
「時々、思い出してきた。その都度、考えてきた。おれなりの結論としてだが、あれはきっと、自分自身を否定される感触だ。自らの能力、嫌悪の情、さまざまな成長といった人生、さらにはそれを成してきた環境、世界といったすべてに、無駄であると、無意味であると決めつけてくる。途方もない徒労感を味あわせてくる。おそらくそういった存在なのだ」
「ならば、クローニとは絶望をもたらし、それによって世界を滅ぼすのか」
「いや……」
「そうではないのか?」
「クローニを倒した魔法は、滅びの光だった。それでは滅びによって滅びを消し去るといったことであり、どこか納得がいかんのだ」
「ならばなんだ」
「クローニのもたらす徒労感は、我々を滅ぼすのではなく、ただその有り様を示すのではないか。たとえば、ここまで育て上げた世界そのものに対する、クローニの絶望だったのではないか」
「どういうことだ」
「思うのだ。滅びの光とは、終末をもたらす力だったのではないかと。反対に、クローニがもたらす力は、現状を否定し、やり直す力だったのではないか」
「同じではないのか」
「違う。いわば滅びの光は現状を肯定し世界を遠い未来に運ぶ力。一方、クローニはやり直し、すなわち始原へ、なにもかもをなかったことにして遠い過去から始める力なのではないか」
「どのみち世界がなくなるにしても」
「そうだ。滅びの光が現状を肯定する力であるとすれば、クローニは世界を否定する力だ」
「証明することはできないだろうな」
「想像でしかないな」
「だが、光の子と呼ばれる魔法がクローニに対抗して世界を滅ぼさないためにあるなら、それが達成された時点で残りの魔法が存在する意味が否定されたことになる」
「その通りだ、だが……」
「だが、なんだ」
「おれはこうして生きている。それは、おれ自身がおのれを肯定していることに他ならない。クローニがいかに世界に絶望しようとも、そんなものはひとつの価値観による評価に過ぎないのだ。その価値観が、おれのものと同じである必要はない」
「そうか」
「だからおれは、おれのために生きることができる」
 タイファが、あるいはィタイファが力強く言い放って、オクライもしくはィオクライが頷く。

「しぶとさがおれの身上なんだ」
 ィタイファが微笑んだ。
 そこに、精一杯の強い意志をもって近づき、ィロウチが声をかけた。
「教えてください。ぼくの父、トーフェは、どんな人でしたか?」
「トーフェ? すまん。よく知らない。一度、幻で会ったことはあるが、その時は君より子どもだったよ。いや、なぜトーフェに子どもがいるんだ? おれが幻に会った時、やつはもう消滅したあとだったはずだ。いったいどうやって子どもを作った」
「でもいます。他にもいます」
「他に」
 ィタイファが混乱した様子を見せた。
「こいつは、我々とは異なる世界から来たらしい。そこでは、この世界とは異なる可能性が実現しているのだ」
 そう口を出したのはィオクライだった。だが、そんな説明をただちに納得できるはずがない。
 ただし、この白い世界が自分の生きてきた世界とは異なるものらしい、という点については、ィタイファも納得してきたところだった。
「そうか、異なる世界を作る、というのも光の子の魔法なのかもしれんな」
「闇の種というのも、そういう魔法なのではないかと、わしは考えている。さらにこの白い世界は、熱き星なのかもしれない」
 ィオクライが言う。だが、自信があるようでもない。仮説を検討しているといったところだろう。
「同じような魔法がふたつあるのか」
「いや、おそらく違う。ふたつの魔法は、相互に助け合う関係になるはずだ」
 再び始まったィオクライとィタイファの面倒そうな会話に、意を決して加わろうとしていたィロウチは困惑するしかない。
「あのー」
 もう一度、声をかける。それを、背後から近づいたィセグロが止めた。肩を軽く叩いて、
「放っておこう。我々はあのへんの魔法にはあまり関わらぬ方がいい。それより、君にはもっとできることがあるように思う」
 ィセグロはなぜだか困ったように微笑んだ。

 太陽は中天に進み空の色を変える。
 雲はなく、ただ平板に塗られたような輝く青。そこにあくまで黒い樹影が広がった。どこまでも高く。
 もう巨竜の頭部までが欠片になり果てて、闇の大樹の渦に呑み込まれていた。その幹は徐々に太くなって、もう巨竜の首以上はある。
 奇妙なことが起こっていた。竜の大地を住処としていた魔物たちが、自ら闇の大樹に近づいてゆくのだ。欠片になることなく、自らの足で、あるいは翼によって飛び、闇の中に入って行くのである。
 地面に近いあたりで澱んでいた瘴気もまた、ゆるやかに呑み込まれてゆく。
 飛行艇の中の者も、距離をとりつつ観察をしていたふたりも、その様子をただ見ていることしかできない。
 だが、大きな変化はふいに生じた。
 地鳴りがして、大地は揺れた。
 巨竜であった。闇の大樹に呑み込まれていないもう一頭の竜が大きく身体を揺すったのだ。
 そうして、立った。ただ寝そべっているだけと見えた巨竜が、その巨体の重さを魔法で殺し、自らの足で身体を支え、ゆっくりと、ゆっくりと立ち上がってゆく。その尾を、徐々に上げてゆく。

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