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魔法物語 メイリ4
メイリは静かに立ち上がる。もうこの場所に寝ているわけにはゆかない。
まだ幼いが、裸であるのは問題だろうと、魔導師が魔法で着衣を用意する。
とはいえオクライにはなにをどう着せて良いかも分からない。大きな生成の布の中央に、頭を出す穴が開いている程度。あとは腰のあたりに紐を巻く。
魔導師は手先が不器用だった。
少女もやったことがなかった。
無駄に時間がかかる。
魔法で着せることもできたのだろうが、なにをどうすべきか理解できていないのに、魔法だからと上手な仕上がりを期待できはしない。
だからこれも、とりあえずのとりあえずだ。さすがに、全裸の少女を連れ回すわけにはゆかない、という程度の配慮は働いた。
いや、ィセグロに言われたのだった。
もちろんオクライだって、魔法で子どもを作って育てた経験はある。だがまあ、その頃も細かい配慮までは行き届いていなかった。雑にやっつけただけだった。
これから成すべきは、幼いメイリを育てること。同時にその魔法の中に、危機に対処するための部隊を作り上げることだ。言葉にすれば単純だが、いずれも簡単にできることではなかった。
メイリの中のィセグロが、「難しいから覚悟しろ」と強く主張していた。その上で、準備ができたらまずはメイリに何か食べさせろとも。
それは、メイリにとって生まれて初めての食事だ。
とはいえ、そろそろ真夜中という時刻だった。他に当てもなく、ィセグロが「行け」と言うから木のウロを出る。星空の夜。
ひぃりぃと風が鳴く。
高い梢が歌っている。
オクライはメイリを抱えて飛ぶ。翼は広げるが羽ばたきはしない。魔導師なら翼などなくても飛べる。ただ方向舵として便利だ。
目的地は『青い猫亭』だ。真っ直ぐ店の前に降りて、いきなり扉を開ける。店に客はない。サマエの姿もない。
「そろそろだと思ったよ」
店の奥でセグロが迎えた。幼い子どもでも食べられるようにと、食事の準備もされていた。テネアに似た少女が、ここに来ることを見越していたようだった。
メイリが食べ始める。
「あんた酒は?」
セグロはオクライに尋ねる。その時にはもう、ちょっとしたつまみは出されている。背のない高い椅子も用意されている。
「おれたちは食べなくていいのか?」
ィセグロが残念そうに言った。
「だが、たぶんメイリの感覚は共有できる」
ィオクライが言う。
「おいしい」
とィメイリが言って、「うん」とィロウチが頷く。
「自分の料理を、他人の感覚で味わうってのは初めてだが、悪くないな」
ィセグロは笑った。
「酒を飲ますわけにはいかないがな」
「仕方ないな」
決起の宴、というわけにはゆかないようだった。
世界に性質がある、という考えに気づいて、ィロウチはひとりで興奮していた。
ィセグロとィオクライは、まず、今いるこの白い世界の性質について知ろうとしていた。それは、自分自身の状況と関わり合っている。
たとえば、空腹にならない。おしっこなどもしたくならない。たぶん疲れないし眠くもならない。
けれどこの世界を作ったメイリは、活動を始めたら疲れるしおなかもすくし眠くなる。ならば、この世界にそういうことが影響するかどうか。メイリが眠ってしまったらこの世界全体が眠ってしまったりするのか。もしメイリが死んでしまったら、この世界全体が消滅してしまうのか。
そういうことを、ィオクライたちは議論していたのだったが、だったら、ここではない外の世界、ロウチが暮らしていた元の世界にだって、なにかそういう性質があるのではないだろうか。住んで、当たり前だと思っていることの中に、世界の性質だから、と決めつけてしまっていたことがあるのではないか。もしかしたら、それを知れば、自分が出来ることが変わったり、拡張されたりするのではないだろうか。もしかしたら自分にも、小さい目以外の魔法が使えるんじゃないだろうか。ひょっとしたら、世界そのものを変えることだってできるんじゃないだろうか。
そんなふうに考えて、さらに気づいた。こうして自分が旅に出たことは、世界への関わりにつながっているのかもしれない。たとえば、世界そのものが消滅してしまうような危機と、それを回避するようなことが、起こるんじゃないだろうか。
翼の魔導師たちは、そういう話をしているのかもしれないのだ。
ィロウチはワクワクしてしまう。少し不謹慎に。自分もまた当事者なのに、どこかしら他人事として。
ふいに、ィメイリが走り出す。どこまでも広い、白い空間を走る。地面があるのかどうかさえ定かでないのに、走る。
最初は全裸だったはずなのに、今はなにか布のようなもので身体を包んでいる。ただし裸足だ。
ィロウチは追った。どこまで走ってゆけるのか分からない。どこかに危ないことがあるかも分からない。ただ、ひとりで行かせていいかどうか判断できないから追う。
速い。
ィロウチも走って、走れることを確認する。
ィメイリが楽しそうに歓声をあげるのを抱き上げた。抱き上げることができた。感触もあった。
「お兄ちゃんと遊ぼうか」
ちょっとはにかみながら言ってみる。
ロウチは末っ子だったから、そう言うことに気恥ずかしさが伴ったけれど。
ィメイリとィロウチが無邪気に遊んでいる様子を見て、ィセグロは苦笑した。自分の緊張感がほぐれてゆくようだ。悪い印象ではない。それくらいでいいのだろうと、少し肩の力が抜けたのだ。
この世界を生み出す魔法の持ち主であるメイリ、世界を飛び越える力を持つロウチ。いずれも、これからの活動にとって鍵となる存在だ。一方、そんなことあんなことを考えてしまうだけの自分は、ただの心配性おじさんだ。
「ひとつ気になることがある。メイリを、つまり外のメイリを、生かすこと。それから、移動する方法だ」
言えばィオクライは、すぐに理解を示す。
「そうだな。われわれにとって、メイリを生かしておくことは、活動の限界と関わってくる」
たとえメイリが死んでしまっても、この世界そのものは維持されるかもしれない。しかしおそらく、その場合には新たな住人を増やすことができなくなる。この世界の可能性は、住人の能力と連動するようだから、メイリの死亡が限界をもたらす。そういうことだ。
「メイリを守るには、生活を維持できるようにすることと、危険に対応する方策を持つこと」
ィセグロが言えばィオクライもすぐに応じる。
「それぞれに異なる能力が必要そうだな。さらに付け加えるなら、魔法への対応力」
「敵対する魔導師や、魔法を使える魔物も考慮する必要がある、ということか」
剣と魔法と生活力。どれひとつ欠くわけにはゆかない、ということだ。さらに、生きて何事かを成すためには、より広い世界と接触しなければならない。
魔導師については、最終的には味方であるはずだが、意志疎通が前提ということになれば、ひとまずは敵対する者が現れても不思議はない。そもそも魔導師というのは協調性がない、という印象がある。まことに面倒なことだが、理念だけですべてがうまくゆくと考えるほどセグロは単純な男ではなかった。
「ひとつ、移動手段とメイリの保護、ということについては考えがある」
そうしてィオクライからひとつの提案がなされた。
船、である。
ただし、空を飛ぶ船だ。
昔、夢に見るように知った。それは、巨木を使って遙かな空に行くために作られた船だと。それほどの巨船である必要はないが、十人ほどを運べる空を飛ぶ船を、家としても使おうというのである。
「面白いな」
思わずもらす。あとは、どのようなものを作るか。どうやって作ればいいのか、だ。
「相談してみるか」
ィオクライからそう提案された。見た目に反して、この魔導師は協調性があるのかもしれない。
「そうしよう」
眠くなるまで、いや、眠くなどならないなら飽きるまでは。
メイリが食べる。
おそらくこれは、生まれて初めての食事だろうと、セグロは思っていた。
粗末というより粗雑な服に身を包み、礼儀もなにもあったもんじゃなく、用意した食事をする少女を、それでもセグロは微笑ましく感じていた。
素直で正直で無邪気で、枠組みのようなものに囚われない存在は、セグロの生き方とはかけ離れている。
そういえば初めて会ったサマエも、こんなふうだったかもしれない。だから、しつけようと思った。
今はもう、そんなふうには思わない。いずれにせよセグロにはそんな資格はないが。ともあれ、ただ見ている。
オクライがつまみを食べる。
たぶん食べたことのないものだろう。豆を煎ってサクサクになったところを油で炒めたものだ。塩味と辛みがある。魔導師は、辛みなど使わないのではないか。
ちょっと顔をしかめたのが分かる。酒を飲めばいいのに、ためらっている。
魔導師が酔っぱらったら困るだろうから、そのへんは配慮しておく。
やがてメイリがおなかいっぱいになった。
「そういう時は『ごちそうさま』だよ」
そのくらいは教えておこうか。
メイリはきょろきょろして、オクライを見て、それからセグロを見て、
「ごちそうさま」
と言った。
それをきっかけにふたりは帰って行った。けれど翌朝、またオクライが来て、
「一緒に行かないか」
と誘われたのだ。が、セグロはきっぱり断った。メイリの面倒をみてもらいたい、という意味だと思った。けれど、ここは踏み込むべきではない、と昨夜のうちに結論していたのだ。
もう一度子どもを育てることに、興味はあった。一度だけ経験した育児はセグロにとって、あまりに想定外のことばかりで、悔いもあったからだ。だが、そこに必要とされるはずの時間を思えば、自分には無理だ。
ただ、「一緒に行く」という言葉の意味が気がかりだった。どう行くのか、どこに行くのか、そうしてなぜ行くのか。
尋ねて、その夜に答えのひとつを見せられた。
それが、ソドウの樹の枝を使って作る飛行艇だった。
そいつに乗ってみたいと、前言撤回しそうなくらい、セグロ好みだった。
もちろん、乗りはしない。
なにより、自分がその乗員になる自信がない。老いた身で、足手まといにだけはなりたくなかったのだ。