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魔法物語 タイファ3 No.27
オオクラクは滅びた街の名だ。
タイファがテットと出会ったのは、かつてそんな名の街であった荒野だった。
それからしばらく、光り歌う石テットは、タイファの相棒として過ごした。
たとえば楽しい、とも言えた。あるいはひどく煩わしいとも言えた。
テットは、明らかに人ではない。そもそもが人であった、という来歴もない。それでいて、丸い石という身体で、いかにも人であるかのような気分にさせる奇妙な存在だった。
もしタイファが子どもの頃にテットと知り合ったのなら、そういうものか、と受け入れていただろう。だがタイファはもう大人だった。それなりに複雑な経験を経た後に出会ったのだ。よけいなことを、まるで考えないというわけにはいかなかった。
「投げて」
と言われたことがあった。
「なるべく遠くに投げて」
などと言うのだ。それならと、戦いで礫を投げるように、草原をめがけて力一杯投げてやった。テットは真っ直ぐ飛んで、けれど草の中に落ちたりせず、空中で少し静止してから戻ってきた。
「あんなもん?」
などと言うのだった。鼻なんてないのに、鼻で笑うように、バカにしたように言うのだった。
その奇妙な関係性。
オオクラクは滅びた街の名だ。けれど、タイファはその街が滅びる前の情景に入り込んだことがある。
その状況をタイファは、その場所の思い出なのだと考えていた。ずっと昔にあったことを、その土地が思い出していたのだと。懐かしんでいたのだと。
テットもまた、なにかしらそういった思い出のようなやつなのだろうと、勝手に思いこんでいた。
実物でない思い出としてのテットにも、かつて会ったことがあったから。
今また、本物ではないテットがいる。本物ではないルクセと一緒に、タイファの前にいる。そのことをタイファは、温かさ、熱のような感触として受け取っている。
ルクセの剣は重い。鋭さよりも素早さよりも、打ちかかって来る強さの剣だ。けれどそれは、ただ印象によってもたらされている。そういうものであるはずだと、感覚が勝手に決めつけている。
テットのことも、ルクセのことも、そういった先入観めいた幻覚なのだともうタイファは承知している。その上でこの戦いを楽しんでいる。味わっている。
つまりは自分自身の記憶との対峙だ。おそらく、これまで関わった、もっとも強き者としてルクセがある。
確認したわけではないが、光の子には四つの魔法を顕現させる他に、それぞれ特筆すべき能力が備わっている。ルクセの場合には、その怪力だ。タイファの場合はきっと、持久力である。
避けきれぬほど速い攻撃ではない。だが、強い打撃を受け止めれば体力を大きく消耗する。タイファの体力がいかに大きくても無限ではないだろう。現実のルクセなら、体力比べになるが、このルクセが相手であれば分が悪い。なにか策が必要なのだろう。
けれどタイファは急がない。慌てないでゆっくり。
できるだけ長く、ただ長く戦い続けること。ひとまずはそれを目標とした。
そもそも、幻のルクセに勝ったとしても、それで自分の魔法が覚醒するという保証はないのだ。
ィタイファは、ィメイリに気づいて、困惑した表情を浮かべた。
この幼い少女は、なにを言っているのだろうと、まずはいぶかしむ。自分も巨竜に入りたいなどと、正気とは思えない。だがその上で、奇妙な親近感を抱く。考えれば、それをやって見せたのは自分、もしくは自分の分身だ。
「どうして入りたいんだい」
近づいていって尋ねてみる。返事はすぐ。
「楽しそうだから」
無邪気で真っ直ぐな答えだ。
「そうか」
なんの考えもない答えか。あるいは剣舞のように動くタイファの映像を見ての印象か。それとも、あの巨竜そのものを楽しそうだと思う理由があるのか。
その瞬間、ありそうもないひとつの解釈が胸をよぎる。もしやこの少女もまた、光の子なのだろうか。
だが、そう考えるには、あまりに子ども過ぎる。光の子は、ひとつの大きな出来事をきっかけに生まれた存在のはずだ。つまり見てくれについては多少の誤差もあるかもしれないが、おおよそタイファと違わない年齢であるはずなのである。
「危ないかもしれない」
おおかたの大人たちが引き留めにかかっている。その中で、こんな誘うような言い方をしてしまった。
「うん」
危ない、ということをまるで理解していないような、ためらいのない返事。
「なら、おじさんがいっしょに行ってやろう」
その瞬間までは、考えてもいないことだった。だが、口に出したら、それが正しい気になった。外のタイファが試練に挑んでいる。ならば自分はこのままでいいのだろうかと気づいたのだ。
「いいの?」
少女は屈託なく答える。
様子を見ていた他の大人たちが、ことの成り行きにようやく気づいてアタフタとし始める。
その時、
ウィォーンヌ
突然聞こえてきたのは、ィタイファにも聞き覚えのある、時には自分の運命を示す道標のように感じてきた、あの青い竜の声だった。ルシフスの声だった。
それはしかし、肯定とも否定とも確定できない、超然たる声であった。
それは巨竜の頭部に乗って、こちらの様子を見ているようだ。決断を見きわめようとするのか。それとも、なんら意味のない気まぐれなのか。
「いいみたいだな」
確信はない。だが、ここはそう言うべきだった。
飛行艇は空中に静止していた。
翼による揚力ではなく、浮かぶのは魔導師リーラによる魔法だから、そんな芸当ができる。
「行ってくる」
前に進む力と制御を担当するオクライは、説明もせず飛行艇に関わる魔法を止めた。その上で、外に出て行くことにした。
「どういうことだ」
ロブロウが不満げに言う。
「分かりません」
リーラが小声で言う。
かまわず扉を開ければ、外気が入って瘴気のにおいがする。風は吹いている風だ。下方には、かすかに発光している竜の姿があった。
「竜を見に行くのよ」
メイリが叫ぶ。
「ああ」
夜の空に羽根を広げ、オクライは応える。だが、その声はもう飛行艇の中には届かない。飛び立てば言葉はただ風に消える。
降下しながら浮かぶ。
翼は方向舵として使う。浮かぶのは魔法だ。身体を使うことで、立って姿勢を整えるのと同じように空中姿勢も制御している。
そのまま飛んで竜の頭部を越え、背中の上に進む。二頭の巨竜のもっとも大きく接触しているあたりへ。背中は露出している。宵闇の中でも、色の違いで境界線が判別できる。
とん、と軽やかに竜の背に降り立つ。
今は、タイファを呑んだ方だ。すこし揺れる。
オクライは、そこから巨竜の体内を探ることにした。もちろん、魔法の知覚によって。
タイファを追っていた時には、竜の身体は障害物だったが、今はそれ自体を感じ取ろうとする。どこか感じる違和感。それは実体があるようでいて、同時に幻でもあるかのような感触だ。
幻を越えてゆくように、まずはタイファのいるはずの場所を探る。竜の背中からは瘴気が吹き出している。なるべく吸いたくないが、完全に避けるのも難しい。
ふいに足下が強く動いて、オクライは転びそうになった。とっさに翼を開いて空気を抱え、体勢を立て直す。
その直後に、感覚はタイファのいる位置に到達。通常なら消化器官の中であるはずだが、衣服や身体が溶けている様子もない。生物の生理現象が起こっていない。
安全を確認できたので、改めて目的の作業にかかる。
すなわち、巨竜がどのような構造であるのか。魔法の知覚を変化させる。たとえば拡大する。あるいは構造や組成を分析する。
魔法とは形を変える力だ。だが、目的のある変化を生じさせるには、構造や組成を把握するのは当然だ。漠然とした印象だけで、人を虫に変えたり石にする、などということが出来るはずはない。
熟練した魔導師であれば、そのような知覚はことさらに意識せずとも行える。オクライはたちまち解析を開始し、だがその瞬間に足下が揺れる。
今度は呆気なく、オクライは尻餅をついた。
始まった解析の結果が、体勢を立て直す余裕を与えてくれなかったのだ。
「おぉ」
無様に転んだ状態でオクライは吐息をこぼす。
展開した情景に圧倒されたからだった。
それは、記憶の結晶とでも言うべき光景だった。
タイファの戦いは徐々に様相を変えていた。
テットとルクセだけが戦いの参加者であることは変わらない。ただ、周辺の状況が変わってゆくのだ。
最初はぼんやりと、どこかの街という印象だった。それが鮮明になる。たしかに記憶にあるタシュクの街路。ただしその風景が移ろってゆく。季節感も変わる。どこのいつ、と特定できるほどではない。けれど、いつかきっとここにいたことがあると感じる。記憶の中の風景と、その感じ。日差しであったり、においであったり。
記憶の中の状態が、今の現実と溶け合って、区別がつかなくなる。
いやそもそもここは夢のような、幻に過ぎない世界であるはずなのに。
ルクセが攻撃を続ける。重く強い一撃。その繰り返し。だが、それもまた幻に過ぎないのだと、タイファは感覚的に納得して、自らの動きを組み立てる。まだ大丈夫。まだ対応できる。
だが、どれほどの時間が流れたろう。どこまで続くのだろう。
テットは相変わらず飛び回っているが、もう応援という感じではなく、勝手に歌など歌い始める。
ロンロンロン ロンロンロン
まるで揶揄するように、長引く戦いに飽きてきたとでもいうように、そのくせ旋律は軽やかなのだ。
いっそ自分も歌おうかと、頭の隅でかすかに思う。
歌わない。
「楽しいねえ」
ふいにルクセが声をあげた。
「ああ」
すぐにタイファも応じた。
そこに上段からの一撃。避けるか受けるか、判断が一瞬遅れ、不十分な体勢で受ける。衝撃が刹那のうちに指を痺れさせ、剣を落とす。
ひやりと戦慄が走る。身体をねじりながら次の一撃を回避しようとするそこに、ルクセの横薙ぎ。
息が止まる。
唐突に死を意識した。
夢なのに。
夢のはずなのに。
ィセグロは状況を把握しようとしていた。
見ることができる状況、聞くことができる言葉は、どうやらかなり限定的であるようだ。だがその中で、重要さの軽重がある。どこを、どう捉えるべきか、経験と重ねた思索によって導こうとする。
息をひとつ。この世界に呼吸などないのかもしれないのは承知だ。だが、深呼吸しようとする意識に、おそらく意味がある。
たしかにあちこちが混乱している。だが、なにか共通の思惑に貫かれているようにも感じるのだ。
その背後にあるのは、混乱の舞台の登場人物。
ならばと考察を進める。
そうだ。
竜と、竜との関係を持つ者たちが、まるで斜面を転げ落ちてゆくように、同様の行動原理に囚われてしまっているのではないか。走らされているのではないか。
そう感じられる。
だがその行動原理とはなんだ。そう問えば、ある答えが浮かびあがってくる。
多くの人間が、あるいは社会の圧力が、呪いのように囚われている思考の圧力。
向上心、もしくは、向上せねばならないと思いこんでしまっていること。あまりにも当然で、その善し悪しを判定されることさえもない思考の枠。
そうだ。彼らが求めているのは、おのれを向上させること。より良き自分であろうとする呪縛。
けれど、彼らの向上とはなんだ。なぜ向上する必要があるんだ。
より強い自分か。より賢い自分か。いやきっと、より正しい自分を目指しているのだ。特別な存在であると信じる自己が特別である理由。自己の正しさ。
まるで、いつか自分では足りなくなった時を、自分では不足していたと気づくのを恐れてでもいるように……。
そこまで考えて、ィセグロは恐くなった。その向上心の呪いは、自分にもかかっていると気づいたからだ。
彼らは、われこそが正しいと証明するために、目の前の試練に飛び込んでゆくのだ。
「だめだよ」
そんな言葉が聞こえてくる。ィスティナだ。ィメイリの遊び相手としてこの世界に招かれた、おそらく今この世界で、もっとも特別という評価から遠い少女。
そのィスティナが、きっとこの世界で最も特別な存在であるィメイリを叱っている。
「どうして?」
当然のようにィメイリが反発する。だが、ィスティナも引かない。
「みんなが困るからだよ。あなたが竜の中に行っちゃったら、きっとみんな困るよ」
少しも論理的でなく、ただ感覚的な言葉。
「困らないよ。大丈夫だよ」
「困るよ。だってあたしは困る。あたしはすごく心配しちゃうもん」
ィセグロは、なぜか母を思いだしていた。
恐れ、不安、それでも紛れもなく、相手を案じているというそのことを、母という心象が表している。
「なあ」
ィホーサグが話しかけてきた。
「どうしてあの子は、竜が恐くないんだ?」
それは思ってもみない疑問だった。ィセグロはとっさに頭を働かせて答えを紡ぐ。
「たぶん、自分でこの世界にいれたからだよ」
そう答えた時、なにかが心に引っかかった。その小さなきっかけをィホーサグが言葉にした。
「どうして竜が中に入れたんだ? 他の魔物でも、あの子がいれたいと思えば入れるのか?」
すると突然、ィセグロに天啓のごとく答えは訪れる。それが正しいという保証も証拠もない。だが、無視できない可能性として強引に浮かび上がる。
「……かもしれない」
「は?」
「竜は、人なのかもしれない」
言えばィホーサグは笑う。そんなはずがあるか、人は人で竜は竜だ、と。
だがィセグロはもう、次の疑問に向かい合っていた。
(ならば、人とはなんだ?)
と。
ィルシフスが鳴いた。
誰かを呼ぶように。