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魔法物語 ロウチ4

(買いかぶりだよ)
 畑中の帰り道。ロウチはチリムの言葉を思う。マウフウが言っていたというロウチへの評価。
「みんな甘やかして、過保護になってるだけだ。俺は、あいつは十分に成長していると思う」
 そう言っていた、と聞かされた。
 旅、それとも冒険。どちらも、ほんの十日前には考えもしない言葉だった。少なくとも、自分のこととしては。――過保護という言葉を胸で繰り返した。
 陽が傾きかけて、肌寒くなってくる。
 風がムギ畑の上を通りすぎる。ムギたちはずっと、おおまかな風の形を示し続けている。
 ただ、なぜだかロウチは暖かく感じる。身体のどこかに熱を感じている。
 立ち止まって天を仰ぐ。どこまでも空が高く見える。昨日までは、もっと平板に感じていたように思う。錯覚だろうとも思う。
 今も竜がそこにいるはずもない。
 けれどその高さから見たこの場所の印象は消えない。
 広さ、同時に狭さ。
 空の深さに目を細める、その視界を影が横切った。思わず昨夜の竜の輪郭を重ねてしまう。けれど、もっとずっと小さく、もっと低いところを飛ぶもの。
 黒い鳥が飛んで行く。
 その行方を追うと、鳥はロウチの家に向かって、やがて庭先の木の枝に留まった。
 嫌な予感がよぎる。
 はっきりと見分けられたわけではないが、それは不吉と言われる鳥であるようだった。ラギュというその鳥は、不幸を求めると言われる。
 けれど、父の死は四日も前だ。遅すぎる。
 ひときわ強く風が吹いた。夜が近づいている。
 目を閉じる。第三の目が見る景色は、いつものように穏やかだった。
 その時ロウチは、旅を意識した。昨夜からさまざまに生じた兆しのどれよりも強く、家を出ることを切実に感じさせられていた。
 今は、些細な気配もない。
 だからずっと、このままでかまわない。そう、思っている自分に気づいたからだ。けれどもしかしたら、なにか別の見方があるのかもしれない。だったらせめて、確かめてみるべきじゃないだろうか。
 ちょっとため息をこぼした。
 その方法が旅だというのは、あまりに押しつけられた方法に過ぎるかもしれない。
 風の中にラギュが鳴く。不吉と言われる理由のひとつだ。濁ったその声は多くの人を不安にするだろう。
 けれどロウチは素直に聞いた。ラギュにはラギュの理由があって、そう鳴いているだけだからと。それは「ここにいる」と聞こえた。
 身体を離れた小さな目は、するするとラギュに近づく。その表情を捉える。黒い鳥は、悲しそうでもなく楽しそうでもなく、淡々と鳴く。
 目を開けて、景色が身体に帰る。空と風と畑の緑。少し夜に近づく色彩。世界に全身が包まれている。その一点に黒い鳥の声が納められて。
 振り払う。歩き出す。帰途につく。
 母が待っていた。

「ひとりで行きます」
 その晩、ロウチはそう結論した。

 ラギュの聲と母の待つ家でもたらされたのは、やはり旅立ちへの誘いだった。
 フキオルは、父の死を知ってこの家を訪れた。遠い日の、友人として。
「少し離れたところにおりました。今日までかかってしまった」
 苦い笑いを浮かべて言い訳した。なぜだかロウチはその言葉で、庭にいたラギュを思った。
「明日には、また戻らなければなりません。もし、息子さんが旅に出るのなら、しばらくは道連れになれます」
 ロウチとあまり変わらない年格好だが、フキオルは老成した口調で話す。やはり、見た目以上に長く生きているのかもしれない。
 そんな話を、母は複雑そうな顔で聞いた。すでにおおよその相談はできているようだった。
 しかし急な話だった。昨日の今日で、明日には旅立つことになるというのだ。
 姉たちの姿は見えない。すでに一通り反対して、説き伏せられたのかふてくされているかだろう。
 尋ねるべきことがひとつあった。
「教えていただきたいのですが」
 聞きたいことはひとつ。だが、質問の仕方が重要だ。
 フキオルは、まるで予期していたかのように目を細めた。だから、なるべくごまかさない。
「旅とは、どこへ行くのでしょう。どこまでもどこまでも行けば、どうなるでしょう」
 するとフキオルはロウチの目を覗き込んだ。何事かを試すように。
 それからイトトセの様子を確認する。
「旅はね、可能性を確認するために行くんだ。君のように若い者なら、それは大切なことだ」
 あやふやな言い方だった。
「答えになっていません」
「そうかな。だったらこう言おう。旅は、限界を見るために行われる。どこまでもどこまでも行くことはできない。きっと限界に遭遇する」
 たとえ話のように受け取ることもできる。だが、フキオルは暗に、世界の果てを語っているようでもあった。
「限界に達したら、帰って来るんですか?」
「それは自分しだいだよ」
 なにか大切なことを隠しているようだった。
「越えてみたい」
 つぶやくように言葉にしていた。小さい目に導かれて出会った世界の果てを、越えようとしなかった悔いがまだ残っていた。
 フキオルは一瞬いぶかしげに表情を歪めた。けれど、問いただしはしなかった。

 ロウチはにぎやかな食卓をささやかな不安をともなって見渡した。肉類は少し。根菜を主体とした煮物。揚げ物もある。姉たちががんばったのが分かる。
 ただし夕餉となる小さな宴に酒はなかった。父も母も酒を好まなかった。客があれば用意することもあったが、今夜はそんな準備をする余裕もなかった。
 父の葬儀は済んでいたが、それでも珍しい客があったために、改めて心づくしの食事が用意されたのだ。
 フキオルは、時々ぼんやりとして、心がどこかに行ってしまったようだった。それでも、イトトセの料理を食べてほめることは忘れない。
「実においしい。魔法のようだ」
 お世辞ではないだろう。けれどどこか薄っぺらな印象をぬぐえない。互いの距離感を、測りかねているようだった。
「主人の好きだった料理です」
 母の言葉にフキオルはうなずき、
「そうでしたか。彼は幸せだった」
 不用意に傷にふれる。
「早すぎます」
 そうして沈黙が訪れる。
 両親のなれそめについて、ロウチは、あまり知らなかった。それは話したくない話題であるようだったし、そういう話を聞き出すことが嫌だった。
 知っているのは最低限。
 ふたりは、ランパという山間の小さな集落で育った。ただし、父は少し特殊な事情があって、母親だけと暮らしていた。
 だがある日、父とその母が暮らしていた家で火事があった。一人きりになってしまった父は、まだ子どもだったが、集落からいなくなった。
 再会はおよそ三年後。旅人の街と呼ばれるグラウゼでのことだったようだ。
 その程度。あとは想像で補うしかない。
 ただ、二人ともきっと、つらい日々を過ごしていたのだろうと思う。
 母は父より少し年上だった。いや、父は自分の年齢を正確には知らなかった。誕生日もなかった。ともかく、二人は最初、姉と弟のような関係だったのだろう。まだロウチの年齢にさえなっていなかったはずだ。
 まだ幼いとさえいえる二人は、助け合って暮らしていたに違いない。
「お母さん、あの夜のこと話してよ」
 キミレが、空気の重さに逆らうように言った。
「あの夜?」
 思わずロウチが口をはさむ。と、姉はちょっときつい目でロウチをにらむ。
「お父さんが、お母さんに心を預けた夜よ」
「空に魔法の光が浮かび上がった夜よ」
 姉たちがすかさず言葉を重ねる。「知らないの?」と言外にロウチを責めるが、知らないものは知らない。
「ああ、それは是非とも聞かせていただきたい。こんな夜には、思い出話をしましょう」
 フキオルは、老人のように言った。

 静かな人でした。
 なのに、なにか強いものを持っている人でした。
 小さい頃は、不思議な感じで、村でも仲間外れになってることが多かったんです。ひとりでどこかへ行って、暗くなる前に帰ってくる、みたいな感じでした。
 ただ、弟はよく遊んでもらっていたんで、それでグラウゼで会った時に話ができたんです。
 ふたりとも、まだなにもできない、やらせてもらえない年頃でしたから、ただ知り合いに会ったというだけで、少しほっとしたんです。
 街にはいろんな店や宿があって、トーフェはいろんな場所に顔を出して、雑用を引き受けることで暮らしていました。街の下働きという感じです。あの人は人付き合いは下手だったけど、とても足が速かったから、ちょっとした荷物の配達や買い物、言伝みたいな時には、いつも重宝がられていました。
 あたしは、小さな宿に住み込みで働いていました。そのせいで時々会うことがあって、ふたりとも時間がある時には、食事したこともあります。
 恋心、という感じはあまりなかったわ。
 ただの知り合いだった。
 ところが、ある日、なんだか様子がおかしかったの。
 昼過ぎに会った時から、少し虚ろな目をしていて、あたしのことも見ているようで見ていなくて。言葉だってまとまらないまま口に出していたみたい。
 そんなだから、心配になってしまって、本当なら働き先に戻らなくてはならない夕方になっても、ずっと一緒にいたんです。
 もう暗くなりそうなのに、街を見下ろせる丘の上にいて、暗くなる街に少しずつ明かりが灯って、空の色が変わって、そんなのを並んで眺めていました。
 ふたりにとって、初めての特別な時間だった。
 あの人は。だんだん落ち着かなくなって、不安そうになって、まるで泣いているみたいでした。
「どうかしたの?」
 お姉さん気分で、あたしは声をかけたの。
「だいじょうぶ」
 って、あの人は答えたけれど、ちっとも大丈夫そうじゃなかった。なんにもない、あたしには悪いことが起こりそうな予感も、不吉な兆しも見えなかった。ただ、日が暮れてゆく中で、ちょっと冷たい風が吹いて……。
 あの人は小刻みに震えていた。
 そう、たしか、
「空っぽだ」
 みたいに言ったから、
「なにが?」
「ほら」
 彼が見ているのは空と、地上とをへだてる山の、ひどく尖った稜線。そこに、小さな光を見つけた。最初は淡く、やがて強く青白く輝く光の点が、ゆっくりと浮かんでいったのよ。
 見たことのない景色だった。
 光は昇ってゆきながら、少しずつ大きくなっていって、山の高さを超えるくらいで止まった。
「ああ」
 って、小さい声でトーフェが言った。それは小さくても、ひどく大きな意味があるため息だって分かった。
 あたしはなにも質問できなかった。
「ぼくはきっと、今、終わってしまった」
 やっと聞こえるくらいでそう言ったのを聞いて、あたしはもう、すごく悲しくて、
「だめ」
 ぎゅっ、て抱きしめていた。そうしないと、そのまま彼は消えてしまいそうだった。
 あなたはここにいるって、ここにいて、って。なにも分からないし、理由なんてなかったかもしれなくって、それでも、あたしがそうしたかった。
 それだけ。

 母の目から涙がこぼれた。言葉が止まった。
「続きは、あたしが話すね」
 長女のミリカが静かにつなぐ。
「お父さん、びっくりしたって。少しはお母さんのこと好きだったけど、まだ、そんな仲じゃなかったんだって」
 そんな話を、姉は父から聞いていたのか。
「その時、お父さんは決めたのよ。お母さんを守れるような男になろうって」
 三女のリアが口を出す。
「あなたに心を預けます、って」
「そんなことは言わなかったみたいだけど、そういうことよ」
「だから旅に出たのよね」
「強い男になるために、三年待ってくださいって」
「ちがーう。会わなければならない人がいる気がする、って言ったのよ」
 四人の姉たちは、かまびすしく言葉を交わす。
「帰る場所ができたから」
「お母さんのところに戻るために、旅するのよ」
「うちの男たちは、だから旅に出るの」
 ほとんどなにも知らなかったロウチ。少しくらいなら聞いたことがあったかもしれないけれど、父と母が恋愛したなんてだけで、恥ずかしかったロウチ。
 けれど分かった。
 それは母にとって、それからきっと父にとっても、幸せという時間が始まった標の物語だったのだ、と。
 母の涙は止まらない。
 フキオルは優しく微笑んでいる。
「ねえ」
 ロウチは声をあげた。意外にも、静かになる。みんなロウチを見ている。
 だから言った。
「ぼくも、旅に出るよ。父さんみたいに、ひとりで」
 と。

 フキオルさんが近づいてくる。
 かすかに汗と、かいだことのないにおいをさせて、ぼくの横に来て、ぼくの耳をさわる。
「君は、父上に似ているかもしれないな。もしかしたら、彼の運命さえも、君が引き継ぐのかもしれない」
 たしかにぼくの耳は、父さんに似て少し尖っている。

 それから、家族は少し揉めた。

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