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第3話 空手と脚本 | Saito Daichi

 極真空手を選んだのは、家の近くにあったのが理由でした。

 ただ、素手で打撃戦ができるからという魅力もありました。

 映画の格闘シーンでグローブやヘッドギアを着けることはない。

 なので、やるにはピッタリだと思いました。

 空手にも伝統派空手など様々な流派があります。

 極真は相手に直接触れない「寸止め」ではなく、フルコンタクトで実際に当てる直接打撃制が採用されています。

 ただし、顔面への拳による突きは禁止。

 頭部への攻撃は回し蹴りなどに限定されます。

 素手での顔面攻撃が許されないのは不服でしたが、いずれにせよ実戦的だと思い、私は極真を選びました。

 ちなみに、実写版『るろうに剣心』など一部のこだわりの強いアクション映画を除き、実際に相手に当てるスタントは一般的ではありません。

 そういう意味では、私の推論は間違ってました。

 当時、空手教室には様々な人間がおり、多種多様な練習がありました。

 道場に通い、試合を行い、合宿で道着のまま海に入って正拳突きをしました。

 他に覚えているのは砂浜での腕立て1000回くらいで、「早くやらないと溺れるぞ!」と言われました。

 明朝から始まり、昼頃に終わったと思います。

 ですが、いくら子供で体重が軽いからと言って、正しい腕立てを1000回も連続でこなせるわけがありませんでした。

 押し寄せる波から逃げるように、先生が後ろ向いた瞬間、全員で腕立て伏せをしながら蟹のように浜へとちょっとずつ逃げました。

 そして昇級試験を行い、帯の色も変わってきた頃。

 ——そう言えば、映画の脚本が作りたいんだけど、どうして空手をやっているんだろう?

 そんな疑問が浮かびました。

 よくよく考えれば、

 今の状態では脚本執筆が難しい→映画の仕事には関わりたい→役者ではなくスタントマンならばできるのでは?

 という、一種の妥協のような思考回路で空手に取り組んでいたことに、今更ながら気付いたのでした。

 また、本気の組手で相手の頭部に回し蹴りを打ち込み、倒れた相手を見て、私は達成感より相手の怪我が心配になってしまいました。

 ――これが本当に自分のやりたいことなのだろうか?

 スパーリングや試合がある武道、格闘技なので怪我は当然です。

 ただ、自分の気持ちとしては、映画のようなアクションやストーリーで、観た人が楽しめたり、教訓になったり、心温まって日常に戻れるような、そんな作品を創りたいという意識が強かったのです。

 また、国語の授業で題材は何でも良いから小説を書くという日がありました。

 生徒同士で順番に回して書き足していくのですが、私が書いた部分が同級生や先生に受け、クラスの話題となりました。

 しかし、気恥ずかしくなって、いつまで経っても次の子に渡さず、「早く見せてくれ!」と言われました。

 もし一人で書かせてくれるのだったら、もっと練ったシナリオを書く——

 序破急を意識して、ハリウッド映画みたいな脚本に——

 そんな思いで書いていただけで、褒めて欲しいわけではありません。

 ただ、その時から「僕だったらこうする」という意思を譲れませんでした。

 そして世代に関係なく、周囲が笑顔になってくれたことが、記憶に焼き付きました。

 私は空手道場を辞め、小説を書くことにしました。

 いきなり「映画の脚本家」といっても、映画を創るためには脚本以外にも様々な要素が必要です。

 仮に監督兼演出兼脚本家だとしても、

 役者。

 カメラマン。

 撮影機器。

 舞台装置。

 衣装に小道具。

 音響や劇伴。

 特に、「音楽は映画の7割を決める」と思っています。

 日本人にとっては『パイレーツ・オブ・カリビアン』のメインテーマなどで有名なハンス・ジマー氏。

『スター・ウォーズ』のジョン・ウィリアムズ氏。

 観終わった後、いずれも曲を思い出すことができました。

 そして、ジャンルにもよりますが膨大な製作費が必要になります。

 これが「銀行強盗」や「SAW」のような密室群像劇(ソリッド・シチュエーション)だったら、製作費をある程度は抑えることが可能です。

 しかし、自分が影響を受けた作品は総製作費が何億もかけられた超A級のビッグタイトルばかりでした。

 同じ土俵に立つには、学生どころか一般の社会人でも素人の自主製作では資金調達が絶望視されるような規模です。

 ゲーム制作も考えましたが、当時はプレイステーションやニンテンドー64が全盛期で、実写のようなグラフィックになるのは当分、先だろうと高を括っていました。

 それらコストパフォーマンスを考えた結果、「小説ならタダで書ける」という発想に落ち着いたのです。

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