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「信教の自由」で国連・女子差別撤廃委員会の「皇室典範改正」勧告を一撃必殺できたのか?──合気道なら完全制圧のはずだが…「皇統を守る国民連合の会」意見書を批判的に読む(令和7年2月26日)

(画像はPAPILの意見書)

◇1 合気道の演武を見るがごとき反論


国際歴史論戦研究所
(iRICH、山本優美子所長)のサイトによると、国連・女子差別撤廃委員会(CEDAW)に対して、今回、日本の市民団体から44の意見書が提出されたという。このうち皇位継承問題に関して提出されたのは、保守系団体では、iRICHと「皇統(父系男系)を守る国民連合の会」(PAPIL、葛城奈海会長)の2団体だけらしい。男系継承の継続を願う立場からすれば、それだけ両団体の活動はきわめて貴重であり、行動力は高く評価される。

両者の意見書がiRICHのサイトに載っているので、今回はPAPILの意見書(2024年8月31日づけ)について、あえて批判的に紹介することにする。むろん批判のための批判ではない。議論のより一層の深まりを願うからである。

PAPILの意見書
〈https://i-rich.org/wp-content/uploads/2024/10/PAPIL.pdf〉

結論からいえば、PAPILの主張には違和感が否めなかった。というのも、産経が報道したように、CEDAWのNGO会合に参加した葛城会長は35秒間のスピーチで、皇位の本質について、「天皇は祭祀王である」と訴えていたからである。だとすれば、〈天皇は祭祀王である〉→〈その意味はしかじかである〉→〈だから女性天皇・女系継承容認は認められない〉という論理が展開されるものと予想し、「祭祀王」天皇論の本格的中身が読めることを強く期待したのである。「祭祀王」天皇論を語りながら、その意味を教えてくれる識者が見当たらないのが現実だからである。

ところが、意見書の論理はまるで違っていた。意見書では、〈男系男子による皇位継承は信仰に基づいている〉→〈だから皇室典範=性差別とするのは「信教の自由」の侵害である〉と説くのである。「皇室典範の男系男子継承は女子差別」と真正面から斬りつけてきたCEDAWに対して、ひらりと身をかわし、逆に〈CEDAWこそは基本的人権の侵害者である。差別者呼ばわりはシャラくせえ〉とばかりに一撃必殺の反撃を加えてみせたのである。まるで合気道の演武を見る思いがする。

いや、果たしてそうなのか? 「合気道とは自分を殺しに来た相手と仲良くすることだ」と達人・塩田剛三は語ったそうだが、仲良くなれただろうか? そもそも意見書の主張は妥当だろうか? 十分だろうか?

◇2 CEDAW勧告は「信教の自由」の侵害


前回(令和7年2月11日)は自由人権協会(JCLU)の「要望書」を取り上げたが、PAPILの意見書は「男系男子継承は女性差別」と断定するJCLUの要望書を強く意識し、真っ向から対峙している。

意見書にはPAPILが意見書を提出するに至った経緯が説明されている。すなわち、CEDAWが今回、事前質問票(2020年3月11日)に皇室典範問題を加えたこと、そしてJCLUから提出された要望書(同年2月28日)が「男系男子継承主義は女子差別撤廃条約違反」と断定していることに、男系派として強い危機感を覚えたことが、文書による意見具申のきっかけとなったらしい。

しかし両者は皇位の本質に関する理解のみならず、論理がまったく異なる。JCLUの要望書は日本国憲法が定める象徴天皇論が議論の出発点で、法律家集団らしく、おもに法律論が展開されていたが、PAPILの意見書はこれとは一線を画する、むしろ日本の歴史全体を俯瞰する宗教的民族史論を基礎にしている。

意見書の前書きの一文がすべてを言い尽くしている。

The succession to the throne by a paternal male, as stipulated in Japan's Imperial House Law, is based on traditions and beliefs rooted in ancient folklore. Treating this as gender discrimination is an infringement on the “freedom of religion.”
(日本の皇室典範に規定されているような、父方の男性による皇位継承は、古代の民間伝承に根ざした伝統と信念に基づいています。これを性差別とみなすことは、「信教の自由」の侵害です)

PAPILの意見書から

つまり、意見書の考えでは、皇室典範の男系男子継承主義は一法律の世界にとどまるものではなく、古来、日本列島に住む人々のなかに伝統的に存在してきた民間伝承folkloreであり、人々の信仰に基づいている。であるから、皇室の男系男子継承に干渉し、変更を要求することは、皇室典範の改変のみならず、古今の日本人全体に対する、冒してはならない「信教の自由」の侵害に当たる。CEDAWは男女平等という基本的人権の尊重を謳いながら、みずから人権を侵している。そんなCEDAWに人権を語る資格性はない。皇位継承ルールは委員会が扱うべき女子差別問題とは別次元の問題であるということになる。

◇3 男系継承が2600年間、続いてきた事実


議論はもうすでに終わっているようにも見えるが、さらにいくつかの論点が指摘できる。以前、書いたように、女性天皇・女系継承容認論には①法理論、②歴史論、③現実論の3つの論拠があるが、意見書の反論はとくに②に集中している。意見書の真骨頂である。

女系派は〈8人10代の女性天皇が歴史に存在する〉〈女子の継承が否定されたのは近代であり、男女差別の結果だ〉〈海外では男女を問わない王位継承に変わっている〉と主張する。JCLUの要望書も「最後の女性天皇は後桜町天皇であった」「皇位の明治の典範が皇位の男系男子継承を初めて法定した」などと記述している。

これを批判するPAPILの論拠であるが、意見書を読むかぎりでは、男系主義は古来の民族的なfolkloreだと説明されているだけである。おそらく民間のfolkloreが皇室の男系継承主義と連続しているとの理解かと思われる。

たしかに、民間および皇室において男系継承主義がかくあるべきものとして、疑いもなしに続いてきたであろうことは、私も以前、語源学や方言学の成果を借りて、説明を試みたことがある。「日本人は古来、皇位継承が特別そうだというのではなくて、およそ血統というものが母系ではなく父系によることを、自明のこととして信じてきたのではないか」と当時、私は書いている。

PAPILの意見書は、あくまで歴史の事実として、皇位の男系継承が「神武天皇の建国以来、2600年間、途切れることなく続いてきた」と指摘している。そして、日本が世界最古、最長の国家であるとともに、王朝の交替を経験していない。それを可能にした根本的な力は、皇統の連続性にあると説くのである。

JCLUの要望書では「神話」とされていたことが、つまり、科学性や実証性に欠けるものは無視されてよいとされているらしいことが、PAPILの意見書では「日本書紀によれば」として、じつに素直に、無批判に、取り上げられている。

しかしあえて批判すれば、皇位継承のあり方は建国以来、必ずしも不変ではない。前提となる大婚は、古代では皇族同士の婚姻だったのが、時代が下るにつれて拡大し、戦後は民間人との婚姻が認められることとなった。変わらないのは父方の皇族性が厳格に要求されることである。内親王の皇位継承が認められなくなったのは、「男系男子」を明記した明治の皇室典範以降で、明治になって採用された終身在位制との関連性があると思われるが、PAPILの意見書には紙幅の制限があるからか、考察らしきものがない。

◇4 なぜ男系主義なのか、説明されていない


PAPILの意見書は天皇と国民との関係について、日本では、天皇は天から送られた宝物として尊敬されてきた。国民は天皇を国民の幸福と繁栄を祈る祭祀王devine priestとして尊敬している。天皇と国民との間のこの緊密で長期にわたる関係は、海外では類を見ないものだと説明している。「祭祀王」への言及はこれだけである。

PAPILの意見書から

なるほど記紀には天孫降臨の物語が記されている。しかしJCLUの要望書が指摘するように「神話」である。歴代天皇が国と民のために祈り続けてこられてきたことは、保守派にとっては常識である。しかし世論調査では女帝容認が国民の8割を占めるに至っている。天皇が祭祀王であることを知らない国民が増え、知識人までが宮中祭祀の廃止を提案し、あるいは祭祀王天皇の前提を欠いた象徴天皇論が大手を振るう時代になっている。それだけ天皇と国民との関係は質的大変革の只中にある。だからこそ、女帝容認論が大半を占めるまでに至ったのであろうが、意見書では時代の変化がかえりみられない。

最後にもう一点だけ取り上げると、PAPILの意見書は、カトリックのローマ教皇ほか聖職者はもっぱら男子で、結婚は許されない。イスラムのアッラーマもすべて男性で、チベット仏教のダライ・ラマ法王も男性である。彼らはみな一代限りだが、日本では皇統の連綿性が重視されてきた。日本の皇室は「壮大な血統」であり、「王朝の世界遺産」が存在するなら、天皇制こそ指定されるべきだ。天皇継承への介入は人種差別であるなどとたたみかけている。

PAPILの意見書から

まったく仰せの通りである。以前、触れたように、CEDAWはサウジアラビア王室の男系継承を不問に付しているらしい。しかし一方で、イギリスのように、かつての男系主義を廃止し、王位継承法を「not depend on gender」に変更した国もあるのである。

結局のところ、PAPILの意見書はまことに残念ながら、なぜ皇位は男系主義なのか、そこにどんな意味と価値があるのか、もっとも肝心な論点について、多くの知識人と同様、説明していない。左右激突の戦場と化したジュネーブにまで訪ねて行って、保守派の言論を展開したことは立派で、頭が下がるのだが、CEDAWの委員たちに強い印象は与えたとして、納得させることはできたのだろうか?

CEDAWの勧告は合気道の達人によって、完膚なきまでに投げ飛ばされたかに見える。だが、ちょうど合気道の演武がそうであるように、みごとな技であればあるほど、相手は投げ飛ばされ、制圧されたことにすら気づかないかも知れない。CEDAWの委員たちがまさにそうではなかろうか? 制圧されたと気づかないなら、塩田剛三の言うような「仲良くなれる」ことはできないだろう。

日本審査を担当したネパールのバンダナ・ラナ(Bandana Rana)委員は新聞インタビューで、PAPILが指摘する日本古来の信仰について高評価するどころか、「日本文化に深く根付いた、家父長制的な観念」と一刀両断にこき下ろしているくらいである。PAPILの熱い訴えは同委員の心には届いていないのではないか? とすれば、皇室への理不尽な攻撃は今後も続くことになる。


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